亀浦城 訪問記 其の三。
[前回までの訪問記 概要]
陸橋前の駐車場から散策スタート。主郭部は整備が進み美しい状態で高石垣が残る。折れを多く持つ複雑な形の石垣が堅固さを表している。北側に回り込んで主郭内へ。東の帯曲輪を遮断する張り出し部を散策。其の三では食い違い虎口から北の曲輪へ。
訪問時期:2017年11月
亀浦城 訪問記 − 其の一、二、三、四。
倭城めぐりの旅 − トップページ。
<訪問記>
其の二で見た主郭東の張り出し部を俯瞰する。
主郭の南端へ。丸い土塁の盛り上がりがある。近代の砲台跡?
砲台跡?から見返す主郭全景。かなり細長いがキレイに削平された曲輪だ。
西側の主郭石垣の折れ部。先程下を通ったときに下から見上げた、横矢掛けだ。確かにここから、北の石垣に張り付いた敵兵は狙撃し放題だ。
折れ曲がりの隅石を上から見下ろす。迫力!
最初に主郭部へ入ったときに正面に見た、南端の高石垣を見に行ってみよう。目の前の隅石がそれか。
上から隅石を見下ろす。上からは数えられないが、下から見たときは15段ぐらい積んであった。ひえー! 下から見た姿はこちら(訪問記 其の一)。
では主郭を北に抜けて、巨大な食い違い虎口から北の曲輪へと向かってみよう。右側の土塁の上が主郭。正面のくぼみから、左へ曲がるように虎口が形成されている。
主郭北の食い違い虎口へ。正面の土塁が、主郭東の張り出し部。
虎口の中を進む。右側が張り出し部。
虎口の中から主郭方面を見返す。正面の一番高い石垣の上が主郭。左側の石垣が張り出し部。
そして、先程畑になっていた推定 二ノ丸の外周石垣。食い違い虎口を構成する隅部の石垣は崩壊しているが、奥は主郭に負けない高い石垣が積まれているようだ。
食い違い虎口を出て、見返す。右側が二ノ丸の石垣、正面が主郭張り出し部。
二ノ丸の石垣の端っこまで来てみた。残念ながらあまり草刈りなど整備がここまではされておらず、石垣手前ギリギリまで来ないと草木で見えなかった。
食い違い虎口へと向かう道。二ノ丸の石垣もなかなかしっかりと積み上げられている。11月末でこれなので、夏場は鬱蒼とした蒸し暑い道かもしれない。
そして食い違い虎口から北へ進み、北の曲輪へ。崩れているが右側に土塁が見える。
北の曲輪 入り口の土塁。右側は大きく凹んでおり、東の山麓からあがってきた人はこの土塁にあたり、右奥から回り込むように北の曲輪へと入るルートだった。かつてはこの土塁は石垣づくりだったのだろう。今は僅かに残るのみ。
北の曲輪。左の切岸の上は、畑だった二ノ丸。
北の曲輪は丘の斜面に面する位置にあることからか、外周部は土塁が築かれていた。ちなみに土塁の斜面側は石垣が築かれている。
北の曲輪を奥へ進み、二ノ丸の北側あたりへやってきた。正面右奥の盛り上がりは櫓台、か。先の縄張図で言うところの G にあたる。
北の曲輪 西端の櫓台。崩壊しているがかつては石垣づくりだったようだ。この奥には登り石垣が丘の下まで築かれており、まさに見張りのための櫓が建っていたことと思われる。
櫓台から登り土塁方面へと降りる部分は笹の森と化していたが、左奥に少しだけ切れ目ができていた。ここから登り石垣に沿って丘の下まで降りられる。後ほど、下からここまで上がってみよう。
櫓台あたりから、北の曲輪 全景を見る。かなり広い!
北の曲輪の外周部にもびっしりと石垣の城壁が築かれているが、こちらはほとんど整備されていないようで、枯れ草や枯れ葉が積もり全く見えなかった。
左側に残る、北の曲輪外周に築かれた土塁。内側にも低い石積みが貼り付けられている。
北の曲輪の折れ曲がり部から、外周に巻かれている石垣を垣間見る。
ぐるっと北の曲輪を一周まわってきた。最初に見た土塁の反対側、本来 下から入ってくるルートへ。
土塁の内側へ入ると、端っこに石段跡があった。今は石段をあがるとそのまま土塁の上へあがってしまいそうな感じだが、当時は土塁の手前を右に進み、右奥から土塁を越えて奥へ入る構造だったようだ。あるいは今いる石段は公園化された際にアクセスを良くするために作られたものかもしれない。
石段あたりから見る、土塁の手前の凹み。当時はこの斜面を右側から登ってあがってきた?
少し斜面側に降りてみる。左側の木々の奥にも低い石垣が見える。やはりここが登り口、かな。
もう少し斜面を降りると、斜面の上に高い石垣が見えた。急斜面に築かれているため、非常に足の長い隅石垣となっている。これは主郭東の張り出し部の石垣だ。
>> 亀浦城 [4/4] へ続く。<<
訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)
投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る