亀浦城 [1/4] 短命だったが高石垣や桝形虎口が良好に残る日本式城郭。

倭城 亀浦城
亀浦城は文禄の役で小早川隆景らによって洛東江沿いの丘陵上に築かれた倭城。上流には内陸部の前線基地だった梁山城があり、また西側には支流・西洛東江沿いに金海竹島城があり、亀浦城はその支城とも言われる。文禄の役後 一旦廃城となったようだが、慶長の役が始まると、戦線縮小のため梁山城が廃止され、慶長三年3月、毛利秀元により下流の亀浦城が再建された。黒田長政が在城するも、僅か2ヶ月後の5月には亀浦城も廃城となった。主要部を中心に高石垣や桝形虎口が良好に残る。

<基本データ>
●名称:亀浦城 (くぽ うぇそん)
●所在:釜山広域市北区徳川洞 (地図)
●城主:小早川隆景 毛利秀元 黒田長政
●築城:文禄二年 (1593)
●遺構:石垣、天守台、虎口、登り石垣
●情報:倭城

訪問時期:2017年11月

亀浦城 訪問記 − 其の一
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<訪問記>

wajo_kupo-01_7806亀浦城の残る小丘の麓には、亀龍寺という寺院がある。その脇の舗装された坂道の途中に駐車場があるので、そこから散策スタート。眼の前の坂道の先が城跡だ。ちなみに駐車場の奥(写真右側)には、丘の下を通る幹線道路に架けられた、巨大な陸橋へと続いている。

wajo_kupo-02_7807坂道を上がると最初の削平地、仏像のある曲輪へ。左側には仏像や墓石が並んでおり、手前の石垣も主要部のそれとは大きく異なり、大きく改変されたと思われる。右側の巨大スロープを通って主要部へ。

wajo_kupo-03_7808主要部へと続く巨大スロープ。倭城を歩くには主要部南側に伸びる登り石垣と書かれていた。土塁左右の石垣は大きく失われており、登り石垣だったのか登り土塁だったのか、あるいは土橋のような構造だったのか、現場ではよく分からなかった。

wajo_kupo-04_7789スロープを上がると、広い削平地へ出る。正面には巨大な石垣でその上が主郭にあたる。草もキレイに刈られている。思わず すごい!と声が出る。帯曲輪というには巨大すぎる、主郭部の南側を守る曲輪。

wajo_kupo-05_7786帯曲輪の端っこから、全景を見る。かなり広い! 右奥へ進むと石垣の城壁で行き止まりになっているようだ。かつてはどのような建物がここに建っていたのだろうか。どちらに進むべきか分からないよう、見通せないような蔀の土塀や柵などがあちこちに築かれていたのだろうか。

wajo_kupo-06_7788まずは主郭向かって右側(東側)を見に行ってみよう。

wajo_kupo-07_7776左側の石垣は鈍角に曲げられている。しのぎ積みとも言われる。隅部は算木積みには成っておらず、崩れつつある。

wajo_kupo-08_7813主郭部の石垣を見る。よく見ると手前にも低い石列が横一列に並んでいるのが分かる。低い基壇が作られ、犬走りのようなスペースが見える。その上に土塀や柵などが建てられ、ここへ迷い込んだ敵兵を狙撃する仕組みになっていたのかも知れない。

wajo_kupo-09_7815主郭部 東面 全景。7〜8m、かなりの高さがあるが、上部に土が見えていることから、本来は更に何段か高く積まれていたのかも知れない。

wajo_kupo-10_7817一番奥の行き止まりの場所までやってきた。石垣の端から見返す。石垣の真下はかなり上から落ちてきた土が積もってしまっている。左側はキレイに整備されているのだろう。

wajo_kupo-11_7821正面の行き止まりだった城壁を見る。右側は切岸になっている。その切岸の下に向かって、石垣の隅石が高く積み上げられているようだ。残念ながら切岸は草木がかなり生い茂りよく見えなかった。

wajo_kupo-12_7820石垣ぎりぎりのところから、切岸の下へ伸びる隅石垣を見てみる。下は完全に森。下に降りても上は見え無さそうだ。

wajo_kupo-13_7822先ほど見た、主郭部東側の鈍角の隅部。算木積みのようにシッカリしていないのだろうか、下の方は崩れつつある。

wajo_kupo-14_7824南側へ戻ってきた。ここの隅部はしっかりと美しく残っているようだ。ここも斜面の下まで足が長い石垣が築かれている。下から見上げてみよう。

wajo_kupo-15_7826主郭部 南東端の隅石垣。形を整えた切石が、がっつり算木積みで積み上げられている。慶長の役における毛利秀元の増築部分だろうか。

wajo_kupo-16_7783隅部の線上からシッカリ見る。尖っているかのように整えられた隅線。美しい!

wajo_kupo-17_7827東面へ。算木積みではあるが、上の方は薄い石材を乗せるように積んでいる箇所も見られる。

wajo_kupo-18_7828主郭部 南西端側へ回り込む。こちらの隅部は大きく崩れてしまっているようだ。下にも巨石がゴロゴロ転がっている。

wajo_kupo-19_7829主郭部 南西端。石垣の様相も何だか少し古い印象。

wajo_kupo-20_7790主郭部 南西端 全景。石垣の脇に、説明板があるようだ。

wajo_kupo-21_7792主郭部下 南西端に建つ説明板。ハングルと英語のみ。

wajo_kupo-22_7793説明板の英文アップ。以下 意訳→「日本式の城郭である亀浦城は、1592年の朝鮮出兵時に金海と梁山の間の通信拠点として、より大きな城郭だった金海竹島城を支援する目的で小早川隆景により築かれた。甘洞浦城や 地元では Euiseong とも呼ばれる。この呼び名は新羅時代に日本兵との戦いで死んだ将軍の名前に由来する。城は金井山の尾根の先端に位置し、西は洛東江に面し、船を着岸することが出来た。西の金海竹島城に面する戦略的な位置に築かれ、鍋島直茂の指揮下にある軍事拠点だったと言われる。最も高い塔(天守)があった天守台は10mの高石垣がほぼ完全な姿で城跡の最上部に残る。1592年の朝鮮出兵における日本軍によって築かれた日本式城郭に関する、非常に良い研究素材である。」

wajo_kupo-25_7791では主郭部の向かって左側、西辺を通って奥へ向かおう。こちらは東側の広い曲輪と異なり、細い通路となっている。左側は切岸。通路以外は枯れ葉が積もっているが、よく整備されている。

wajo_kupo-24_7794時折、上から落ちてきたであろう石材がまるで庭石のように配置されているようにも見える。どんどん奥へ。

wajo_kupo-26_7832主郭部の石垣は何度か折り曲げられ、西側の通路も太くなったり細くなったり。横矢が掛かるような構造と成っている。

wajo_kupo-27_7834ちょうど主郭の石垣の折れ曲がり部の左側あたりには、下に降りる道が伸びていた。こちらは後ほど降りてみよう。

其の二では主郭の上へあがります。

>> 亀浦城 [2/4] へ続く。<<

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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