梁山城 [2/2] 森の中にひっそりと残る、本丸外周石垣。

梁山城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
ハイキングコースから登城。石垣は大きく破壊を受け、残る石垣も僅かだが、それでも本丸外周や天守台付近は形が分かる程度には残っていた。其の二では尾根上に築かれた細い二ノ丸と、もう一つのピークである西の丸を見に行く。

訪問時期:2017年11月
梁山城 訪問記 − 其の一
倭城めぐりの旅 − トップページ


<訪問記>

wajo_yansan-34_7690本丸から更に東へ進む。この奥は二ノ丸のようだ。

wajo_yansan-35_7691二ノ丸内部。スキーのモーグルのように凸凹しているのは土まんじゅう。

wajo_yansan-36_7692二ノ丸の中央部だろうか、1mほどの段差があり、石段跡や石垣跡と思われる石が見える。かつてはここに門があった?

wajo_yansan-37_7694門と門の間のスペースだろうか、少しの段がある。

wajo_yansan-38_7695更に東へ向かう。石垣跡と思われる石列が残る段差。尾根上に細長く曲輪がずっと築かれていたようだ。

wajo_yansan-39_7702この東側は堀切が尾根筋を分断していた。ここまでが城、か。手持ちの縄張図資料にはこの堀切が載っておらず、現地を歩きながらどこまで来ているのかがよく分からなかった。

wajo_yansan-40_7699堀切を城の外側から。

wajo_yansan-41_7703ではまた本丸方面へ戻りながら、先の石列跡を再度見直していこう。ここはかつては虎口か門かなにかがあったと思われる、段差のところの石列。かなり埋もれているのと崩れているのとで、一つ二つ見えるのがやっと。

wajo_yansan-42_7704この石列のある場所は、もしかしたら曲輪を中央で分断する壁だったのかもしれない。向かって右側は笹だらけなのだが、入れるような雰囲気があった。かつては左正面の石列の場所は城壁で、ぐるっと右側を回り込まされた?

wajo_yansan-43_7708二ノ丸中央あたりかと思われる場所の石列。笹の中に石列が見える。右側も、見切れてはいるが、土塁や石列跡らしきものも見えた。

wajo_yansan-44_7711少し二ノ丸から逸れて外側へ出てみる。斜面を横移動しながら、本丸の外周石垣を目指そう。斜面の上に石垣が見える。

wajo_yansan-45_7713本丸外周石垣、と思われる。

wajo_yansan-46_7716長さからして、本丸東側の石垣と思われる。石垣に沿って南(写真手前方向)へ。

wajo_yansan-47_7719石垣に沿ってぐるっと回り込んでいく。かなり崩壊しているが、概観は分かる。

wajo_yansan-48_7721石垣の折れ。腐葉土がかなり積もっているように見えるのでキレイに整備すれば色々出てきそうだ。

wajo_yansan-49_7722埋もれている石垣を見失わないように慎重に進む。左側は結構な斜面なので落ちないように。

wajo_yansan-50_7723ここもほぼ埋もれているが、右側には石垣が埋まっている。枯れ草の間からちょっとだけ見える。

wajo_yansan-51_7724本丸の南西端にある最初の食い違い虎口あたりまで戻ってきた。

wajo_yansan-52_7725最初の虎口の、外側の石垣の壁。

wajo_yansan-53_7728虎口の石垣の隅部。崩壊して分かりづらい。

wajo_yansan-54_7727虎口の正面側まで戻ってきた。

wajo_yansan-55_7726最初に入った、石垣が崩れている場所。

wajo_yansan-56_7730元は石垣に沿って右奥まで進み、ぐるっと回り込む構造だったのだろう。

wajo_yansan-57_7734では最初に来た道を戻り、説明板があったところを越えて更に奥へ。西の丸へ。正面の高台の上が西の丸にあたる。

wajo_yansan-58_7733西の丸の手前には鋭く刻まれた堀切、というか、塹壕跡が残る。恐らく太平洋戦争時のものと思われる。

wajo_yansan-59_7736西の丸から、梁山城 本丸方面を見返す。手前の白くHと書かれた場所はヘリポートとのこと。なおヘリポート部の左右には、倭城を歩く によると登り石垣があるようだが、現地を歩いていても目につかず、気づかずスルーしてしまった。

wajo_yansan-60_7737西の丸もピークになっており、標高は119.4m。

wajo_yansan-61_7739西の丸の内部。西の丸は内部よりも、外周部に石垣が残るのが特徴だ。奥へ向かう。

wajo_yansan-62_7741奥へ進むと石材がゴロゴロし始めてきた。

wajo_yansan-63_7746少し降りてみると、こちらも低いながらもしっかりと積み上げられた石列がぐるりと築かれていた。

wajo_yansan-64_7749一つだけだが、矢穴があった石。大きいので半分に割ろうとして諦めた跡か。

wajo_yansan-65_7750崩壊が激しいが、ここも斜面上に食い違い虎口が築かれていたようだ。

wajo_yansan-66_7751下から見上げる。左から入り、右に曲がり、再度左へ曲がらされる構造。かな?

wajo_yansan-67_7752更に下部にも石列があったが、これは崩れたものだろうか。こちらの斜面には、資料によると山麓方面へ細い登り石垣が築かれている、とあったが、現地では見つけられなかった。

このまま斜面を降りて、下山。更に城の南側山麓には、居館跡とされる石垣を持つ削平地があるとの資料を元に、それらしい場所を探す。

wajo_yansan-68_7767恐らくこの上が、居館跡とされる場所。上は平坦部で、東側(写真右)に石垣があるらしいが、右側は完全に藪化していて入れそうに無い。上にあがってみよう。

wajo_yansan-69_7766s上は何と畑だった。奥に石垣を見に行こう。

wajo_yansan-70_7763畑の端っこから下を覗き込む。石垣の頭と思われる石が、見えないこともない。

wajo_yansan-71_7765もうちょっと覗き込む。石垣の頭と思えなくもない石が見える。下は完全に鬱蒼とした藪。

慶長の役で新たな内陸部の最前線基地として築かれるも、戦線縮小ですぐに廃城となってしまった城。築城途中だったのか、急造のためか、細長いシンプルで小ぶりで、他の倭城とは異なる雰囲気を持つ城だった。

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中