長門浦城 [1/2] 山上と山腹に総石垣の曲輪群を持つ一城別郭の城。

倭城 長門浦城
長門浦城は巨済島にある倭城の一つで、長木湾という小さな湾を対岸の松真浦城と挟んで守る目的で築かれたとされる。湾に近い小山側(北)と奥の山頂側(南)にそれぞれ独立した曲輪群を築くという、対岸の松真浦城と共通する特徴を持っている。文禄の役の際に福島正則か蜂須賀家政により築かれたと言われるが、慶長の役でも使われたかは不明という。現在二つの曲輪群の間を車道が貫いており、特に湾に近い方の曲輪群には真横まで車を横付けできるようになっている。

<基本データ>
●名称:長門浦城 (ちゃんむんぽ うぇそん)
●所在:慶尚南道巨済市 (地図)
●城主:福島正則か
●築城:文禄二年 (1593)
●遺構:石垣、虎口、登り土塁
●情報:倭城

訪問時期:2017年11月

長門浦城 訪問記 − 其の一
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<訪問記>

wajo_chanmunpo-01_7609s松真浦城から対岸へ渡り、山中を貫く車道を通る。いきなり道の脇に巨大な石垣が見える場所へ到着!これはすごい。今いる場所は車道の上、車道から歩いて5秒で曲輪というロケーション。

wajo_chanmunpo-02_7526ここは山上と湾側の二箇所に分かれる曲輪群の湾側の方。北に位置するので北曲輪群と呼ぼう。案内板のすぐ裏には早速土塁が広がるが、まずは案内板を見てみよう。

wajo_chanmunpo-03_7524長門浦城の説明板。こちらもハングルと英語のみ。英語を読んでみよう。

wajo_chanmunpo-04_7525説明板の英語部分アップ。「長木湾の北西口に位置する107mの丘の上に築かれた日本式の砦。湾を挟んだ500m先にある松真浦城とともに湾の出入口を遮断する。山頂や斜面は削平され石垣が築かれている。東や北の浜辺にも石垣が見られる。現存する石垣は全長710m、高さ・幅は3.5m程度で半島内の他の城跡に比べても小さい。1594年(文禄三年)9月29日、朝鮮水軍は長門浦城の前湾に攻め込むも日本軍は撤退しなかった。湾の両脇の山頂には高い監視塔(天守)を持つ城壁(倭城)が建っていた。松真浦城や長門浦城には大阪城のような天守があったようだ。1593年(文禄二年)までに日本の武将である福島正則が7430人を動員してこの砦を築いて在城したと言われる。」 Joseonは李氏朝鮮のこと。

wajo_chanmunpo-05_7527では北曲輪群を散策しよう。説明板の裏側から上がることができる。二段上の石垣が、頂部にあたる主郭になる。あの向こう側にも、北の湾に向かって段々の曲輪が多数築かれている。

wajo_chanmunpo-06_7529最初の曲輪の虎口。大きな食い違い虎口となっている。

wajo_chanmunpo-07_7531虎口内部から、石垣越しに、奥の曲輪を見る。

wajo_chanmunpo-08_7533一つ上の曲輪へ。主郭の次に広いことから二ノ丸と呼ぼう。削平されてはいるが、斜面のままだ。

wajo_chanmunpo-09_7608二ノ丸の左右には土塁が築かれ、囲まれている。土塁の外側は石垣だ。曲輪が斜面になっているので、ここは曲輪ではなく、下の虎口と上の虎口(主郭)とを繋ぐ「登り石垣」だとも言えなくもない。

wajo_chanmunpo-10_7534斜面を登って、主郭虎口前へ。かなりの斜面になっている。

wajo_chanmunpo-11_7600少し角度を変えて。斜面の途中に豪快に築かれた巨大な食い違い虎口。圧巻だ。

wajo_chanmunpo-12_7603虎口の内部は平らになっていた。右側の石垣の下には低いながら石積みが見える。

wajo_chanmunpo-13_7602もう少し引いて、主郭石垣と其の手前の虎口。石垣の隅から下には先程見た登り石垣(登り土塁)が伸びている。

wajo_chanmunpo-14_7601北曲輪群 主郭の外周石垣。右側は急斜面の頂部に積み上げられている。

wajo_chanmunpo-15_7537では虎口を通って主郭へ入ってみよう。虎口の入り口はかなりの斜面になっている。かつては石段が築かれていたのだろうか、土に埋もれた石材が散見される。

wajo_chanmunpo-16_7604虎口に入って主郭方面を見る。ここの虎口は複雑で、斜面をあがってから左へ曲がり、右へ曲がり、主郭内部にも内枡形が築かれていて再度右へ曲がらされる構造となっている。また虎口から主郭まではまた坂になっている。

wajo_chanmunpo-17_7605三度曲がって、やっと主郭の内部へ。左側が主郭内部に道を遮るように築かれた石垣。

wajo_chanmunpo-18_7606主郭虎口の内枡形部分を内部から。枡形の外側は下り坂のため主郭内部から見ると落ちていることがよく分かる。また右側の内枡形石垣の隅石は長辺が縦に積まれている。倭城でよく見かける積み方だ。

wajo_chanmunpo-19_7538主郭内部。しっかりと削平されている。地面が凸凹しているが、朝鮮では土まんじゅうと呼ばれる土盛りの墓を倭城内によく作っているケースがあるため、遺構なのか墓跡なのかが分かりづらい。

wajo_chanmunpo-20_7539主郭。右側は石垣が築かれた急斜面。

wajo_chanmunpo-21_7541主郭の奥の方へ。切った木材を積み上げたり緑や青のカバーを被せたり、という姿を倭城跡では幾度となく見かけた。

wajo_chanmunpo-22_7542主郭の北側、湾側にも大きな食い違い虎口(外枡形虎口)が残る。

wajo_chanmunpo-23_7543主郭北側の食い違い虎口。

wajo_chanmunpo-24_7544こちらの虎口も、南の虎口同様、斜面の途中に築かれており、主郭から虎口の間は坂道となっている。

wajo_chanmunpo-25_7546主郭石垣の上から東側を見下ろしてみる。元はかなりの急斜面の山だったのだろう、ここを上がって攻めてくるのはほぼ不可能と言える急角度の法面だ。

wajo_chanmunpo-26_7548主郭東側石垣を見返してみると、上を歩いているときは気付かなかったが、石垣の折れが作られていた。

wajo_chanmunpo-27_7550では虎口から出て、反対側の西側へ出てみよう。

wajo_chanmunpo-28_7551北虎口から更に北側を見る。こちらにもまだ曲輪群が海の方まで断続的に続いている。日暮れ直前ということもあるので湾までは行かず、西側(写真左側)から回り込んであと1つの曲輪を見に行ってみよう。

>> 長門浦城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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