松真浦城 [1/3] 入り組んだ湾を見張るために築かれた巨済島の城

倭城 松真浦城

松真浦城は巨済島北端に築かれた倭城の一つで、制海権を守るため半島と巨済島との間の海峡を監視する目的で築かれたと考えられる。半島に築かれた御仕置之城とは異なり、軍港を取り込む惣構や登り石垣などは無く、純粋に海峡を見下ろす事ができる山上に物見的な位置づけで築かれている。弓道場を挟んで左右の山頂にそれぞれ遺構が残る。

<基本データ>
●名称:松真浦城 (そんじんぽ うぇそん)
●所在:慶尚南道巨済市 (地図)
●城主:福島正則?島津義弘?
●築城:文禄二年 (1592)
●遺構:石垣、虎口
●情報:倭城

訪問時期:2017年11月

松真浦城 訪問記 − 其の一
倭城めぐりの旅 − トップページ


<訪問記>

wajo_sonjinpo-01_7522s松真浦城は「錦武亭」という弓道場の裏山にある。右奥の赤い屋根の建物が弓道場の管理小屋。その左後ろに見える小山が松真浦城だ。

wajo_sonjinpo-02_7314松真浦城を弓道場から見上げる。資料によると標高90m程とのこと。

wajo_sonjinpo-03_7317また弓道場の東側にも小さな丘があり、ここも松真浦城の遺構(東曲輪群)が残る。こちらは後ほど訪れてみよう。

wajo_sonjinpo-04_7315弓道場は両山の間の鞍部になっている。元々はつながっていて、開発で削られた可能性もある。ここから海が見える。これは北側で左奥に小さく見えている陸地が朝鮮半島となる。長木湾という小さな湾を挟んで対岸にある長門浦城はこちら側ではなく、南西の方面。弓道場からではちょうど山の反対側に当たるため、見えない。

wajo_sonjinpo-05_7319では登城しよう。まずは弓道場の裏にある西曲輪群より。この小屋(トイレ?)の横のスロープ上の道から向かって右上にあがっていく。特に案内板などは無し。

wajo_sonjinpo-06_7325上がってしばらくすると、すぐに石垣が現れる。草に覆われているが比較的見やすい。西曲輪群の外周石垣か。

wajo_sonjinpo-07_7330比較的大きめの石がしっかりと積み上げられている印象。

wajo_sonjinpo-08_7331段々と石垣が高くなっていく。草刈りなどはあまりされていないので離れて全体を見ることが難しいのが残念。

wajo_sonjinpo-09_7334この石垣は斜面に積み上げられており、上の曲輪を平面にするために築いたものと思われる。斜面にそびえる高石垣。

wajo_sonjinpo-10_7337隅部へやってきた。崩れているのだろうが、弧を描くような石垣になっている。

wajo_sonjinpo-11_7338恐竜の背骨みたいな石垣。

wajo_sonjinpo-12_7339張り出し部の石垣。

wajo_sonjinpo-13_7341長く積まれた石垣。山の中にまるで迷路のように複雑な構造が石垣によって作られている印象。実際に現地を歩きながら自分が今どこにいるのか分からなくなってしまった。

wajo_sonjinpo-14_7342外周石垣の外側を歩いている。長い石垣がずっと続き、なかなか中に入れない。

wajo_sonjinpo-15_7343当時はもう少し高さがあったかもしれない。こちら側から攻め上がってきても虎口まで行かないと攻め込めなかっただろう。

wajo_sonjinpo-16_7345s隅部までやってきた。しっかりとした巨石を積んでいる。角が丸くなったままの巨石を下に積んでいるからか、少し変わった印象。

wajo_sonjinpo-17_7348外周石垣の隅部。一番下の石は完全に丸い石だ。

wajo_sonjinpo-18_7351少し斜めから。山城でたまに見かける、隅石の足が長くすーっと伸びる石垣は個人的に好きで角度を変えて何枚も撮ってしまう。

wajo_sonjinpo-19_7353先程の石垣を横から。ちょうど斜面の傾斜に掛かるように石垣が築かれているため、足の先が長く伸びている構造になっているようだ。

wajo_sonjinpo-20_7355外周石垣から内部に入って、石垣で段差を作ってあった部分。実はどこに居るのか現地で図面を見ていて分からなくなった場所で、石垣の上が山の中央部の主郭とされている場所だと思うのだが、現地ではわからず、帰ってきて連続写真を見ながら再検討しても結局わからなかった場所。

wajo_sonjinpo-21_7357結局よくわからないまま、北の海岸沿いに築かれた曲輪群へと向かう。

wajo_sonjinpo-22_7359途中あった巨石群。築城前は恐らく山全体が岩だらけで、それを割り出して石垣を構成したものと思われる。

wajo_sonjinpo-23_7360巨石群から更に北へ向かう。左側が一段低くなっており、側面には石垣が築かれている。資料にはこれは北の曲輪群と先程の主郭部とを繋ぐ「登り石垣」であるとされているが、石垣の上が曲輪のような通路のような盛り上がりになっていることから、他の登り石垣とは異なる発想で築かれたと思われる。

wajo_sonjinpo-24_7363登り石垣とされる石垣の一部。北の曲輪と西の曲輪を繋ぐ長い石垣。

wajo_sonjinpo-25_7365そして北の曲輪へ到着した。左側と右側が盛り上がり、中央が下がっているのが分かる。向こう側から見ると分かり易いが、これは北の港側に向けて作られた巨大な大手口風の石段になっている。

>> 松真浦城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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松真浦城 [1/3] 入り組んだ湾を見張るために築かれた巨済島の城” への2件のフィードバック

  1. 私が最初に松真浦倭城を訪城した1990年代後半には、まだ弓道場はありませんでした。これは2000年代に入ってから建設されたもので、その際に山の一部が削られました。ただし城跡を壊さないように、遺構のギリギリ手前まで削平されています。

    1. コメントありがとうございます。「倭城を歩く」も弓道場があるような書き方は全くされていなかったので、最近できたものなのかなとは感じていました(というほど新しい建物でも無かったですが)。弓道場ができる前は、あの2つの曲輪群の間はどういう姿だったのでしょうか。

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