永登浦城 [1/2] 島津義弘が在番した巨済島の海峡監視の城

倭城 永登浦城
永登浦城 (よんどんぽ) は朝鮮半島の南側に位置する巨済島の北端に築かれた海峡監視のための城で、古文書には島津義弘が在番した記録が残る。文禄の役で半島東南部に多数築かれた御仕置之城ではなく、李舜臣率いる朝鮮水軍を牽制するため湾岸警備のための拠点として築かれたており、他の倭城のように湾岸を囲むような登り石垣は無く、標高250mほどの山頂から尾根に沿って曲輪を配置している。登城の際は城の南端に建つ電波塔が目印。

<基本データ>
●名称:永登浦城 (よんどんぽ うぇそん)
●所在:慶尚南道巨済市 (地図)
●城主:島津義弘・忠恒
●築城:文禄二年 (1592)
●遺構:石垣、天守台、竪堀、虎口
●情報:倭城

訪問時期:2017年11月

永登浦城 訪問記 − 其の一
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<訪問記>

wajo_yondonpo-02_7157朝鮮半島と巨済島の間の海峡を見ながら、細い舗装された道をあがっていく。流石に車であがるのは厳しい細さになってきたため途中下車。谷あいは住宅地と畑になっていて、かつては邑城(朝鮮王朝の城)があり、豊臣軍も拠点として使っていた可能性がある地という。途中あった教会の近くに石垣が残るというが、気付かずスルーしてしまった。

wajo_yondonpo-01_7158s舗装の道も終わり、いよいよ谷あいを直登していく。このあたりはまだ道があった。右奥の山頂に見える鉄塔が永登浦城の南端にあたり、城は鉄塔から向かって右側の山頂へ向かって築かれている。

wajo_yondonpo-03_7162しばらく進むと道が無くなる。目印の鉄塔は先の山頂に見えているのでこの方向で合っている。谷あいから登る場合、ここを越えるしか無い。ちなみに登城時はあの鉄塔が城跡だと知らなかったので、地図を片手に、超不安になりながら藪を掻き分け谷を逆流して登っていった。

wajo_yondonpo-04_7159完全に藪の中。谷ということで川もあったりするので、足元に気をつけながら。11月末なので生き物には遭遇しなかったが、暑い時期は色々出てきそうだ。

wajo_yondonpo-05_7164ふと振り返る。半島と海峡がよく見える。山頂には天守もあったと言い、天守の上からはかなり海峡一帯が見渡せたことだろう。(残念ながら山頂は木が生い茂り眺望は無し)

wajo_yondonpo-06_7166s随分 鉄塔が近づいて来たが、まだまだ藪は続く。

wajo_yondonpo-07_7167谷が終わり、やっと山の斜面へ到達。やぶは無くなるが、ここからは山肌を直登となる。竪堀のような縦の筋が見えるが、場所的に遺構ではなく自然地形だろう。

wajo_yondonpo-08_7168s尾根筋を登っていく。左右は大きな谷だがなだらかで広い尾根のため、登りやすい。

wajo_yondonpo-09_7170写真で撮ると広い削平地に見えなくもないが、かなりの角度がある斜面。これを上まで登る。

wajo_yondonpo-09a_7171.jpgやっと上が見えてきた。あと一息。木が少ないので捕まるところがなく、アキレス腱にも負担が掛かる。

wajo_yondonpo-10_7172尾根筋へ出た。後に判明したのだが、ここは既に城内で、L字型の折れ曲がり部(南端)に近い場所だった。登って向かって左側へ進む。

wajo_yondonpo-11_7175何かの施設が見えてきた。ここが先ほど下から見えていた鉄塔の根本で、L字型の城域の折れ曲がり部にあたる。周囲には土塁状の盛り上がりや横堀状の凹みもあったが、この施設を作る際に削った結果かも知れないので遺構かどうかは不明。恐らくここも曲輪だったはずだ。

wajo_yondonpo-12_7177鉄塔までやってきたぞ!ホッと一息。

wajo_yondonpo-13_7202鉄塔からは作業員が登ってくるだろう舗装した車道が延びている。そこを進むと(舗装はすぐに終わる)。縄張図によるとこの車道の途中に石垣造りの曲輪があるようだ。

wajo_yondonpo-14_7203車道の左右が盛り上がった、いかにも虎口的な場所へ。ちなみにこの林道は尾根筋に作られていることから、城があった当時もここには道があり、この場所に虎口があるということは当時はここは登城路だったのかもしれない。土塁の周囲を散策してみよう。まずは向かって奥の土塁周囲へ。

wajo_yondonpo-15_7180虎口の土塁跡の周囲を散策。僅かながらに石積が出てきた。斜面に入り込んでよく観察してみる。

wajo_yondonpo-16_7184しっかりと積まれた石垣。林道をあがってくると、ここから先はお城ですよと言う示すには十分な石垣だ。腐葉土を削れば下から石垣がもっと出てくるだろう。

wajo_yondonpo-17_7187土塁の周囲をぐるっと廻る。土塁の下は結構急な斜面で、尾根筋いっぱいギリギリに土塁と石垣で作られた拠点が作られていたようだ。山麓から山上の主要部へ向かう大手口だろう。

wajo_yondonpo-18_7190隅石。奥の石垣の高さから想定すると、もう3−4段は高かっただろう。

wajo_yondonpo-18a_7192隅石を曲がって、曲輪の正面へ。正面側は石垣はほぼ崩れて失われてしまっており、車道側から上ってきたら気付かないかもしれないレベル。少し枯れ草を除けてみると、大きな石が少しだけ出てきた。正面には左右と異なり結構な巨石を積み上げていたようだ。左奥の細い鉄の棒の左側は車道。

wajo_yondonpo-19_7194虎口の反対側へ。こちらは比較的 キレイに残っていた。当時は曲輪の全周をぐるっと取り囲むように1−2mの石垣が築かれていたのだろう。

wajo_yondonpo-20_7199比較的目地がそろえられた、しっかりとした石垣。古文書には島津義弘が在番した記録が残るが、戦国期の島津氏には石垣のイメージは余り無い。秀吉の九州征伐で降伏後、各地の石垣造りの城や名護屋城を見てきて築城における石垣技術には触れているだろうが・・・果たして。

wajo_yondonpo-21_7204尾根沿いの大手口から、先ほど降りてきた車道をあがっていく。結構な斜面だ。

wajo_yondonpo-22_7207再び山上の尾根へ。今度は主郭方面(北)へと進んでいく。山頂の主郭部までのこの尾根上にも、複数の曲輪が築かれているという。

wajo_yondonpo-23_7210正面に石積を持つ土塁が見えてきた。

wajo_yondonpo-24_7212尾根の左右に目をやると、西側に結構な高さの土塁がずっと築かれていた。東側には無い。

wajo_yondonpo-25_7216先ほどの土塁。右端に土塁の切れ目があり、ここが虎口だったようだ。土塁にはサイドのみ石積がある。

wajo_yondonpo-26_7218土塁の上から、先ほど歩いてきた尾根を見下ろす。柵か土塀が築かれていて、向こうからこちら側は全く見えない状態になっていたことだろう。

wajo_yondonpo-27_7221このあたりから先は、似たような土塁と石垣で尾根上の削平地(曲輪)を分断する多段曲輪を形成していた。あちこちにこのような石垣が断片的に残る。

wajo_yondonpo-28_7229曲輪のサイドにも、数段の石垣で固められている。斜面から直接あがってきた敵兵も容易に中には入れなかっただろう。左奥にも石垣が見える。

wajo_yondonpo-31_72353つ目の石垣の城壁。ここは残っているだけでも2m程度、6段ほどの石垣があり、堅固な城壁となっていた。この先は本丸となる。

wajo_yondonpo-29_7232横に回り込んで見る。隅部は崩壊していたが、再度の石垣もしっかり残っているようだ。

wajo_yondonpo-30_7233再度の石垣。尾根の上に作られた堅固な要塞だ。

隅部から上にあがり、奥の本丸を目指そう。

>> 永登浦城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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