機張城 [3/3] 朝鮮王朝の石垣と豊臣軍による石垣が見られる北郭へ。

機張城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
登り石垣の脇階段をあがって本丸へ。本丸手前の虎口は良かったが、その奥は一面の藪。本丸の内側も、外周も、ほぼ藪に覆われてまともに見えない。少し藪を払うと奥に見事な高石垣などが顔を出していただけに非常に残念。其の三では残りの登り石垣と堀切道、そして北郭を見に行きます。

訪問時期:2017年11月
機張城 訪問記 − 其の一
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<訪問記>

wajo_gijan_map縄張図 再掲。サンライズ出版「倭城を歩く」p.57 より引用・加筆。本丸から降りてきて、右下(南東)の登り石垣から本丸西側の空堀道へ。その後、北郭を見に行きます。

wajo_gijan-47_6595まずは登り石垣へ。階段から左側(南側)に逸れて帯曲輪らしき場所へ。斜面の上に登り石垣が見える。登り石垣へは特に道は無いので、目の前の斜面を直登する。

wajo_gijan-48_6597登り石垣。3〜4段ほどの石垣がずっと上まで続いている。

wajo_gijan-49_6600登り石垣の外側には特にスペースはなく、いきなりの斜面になっている。落ちないように気をつけながらギリギリの場所を上がっていく。

wajo_gijan-50_6602この距離感。登り石垣の高さは1mちょっと。地面の下にも少し埋まっているかも知れない。当時 登り石垣の上には柵などが設けられていたのだろうか?

wajo_gijan-51_6608一番上まであがってきた。このあたりは低くなっているので乗り越えて、また階段を降りて下山。

wajo_gijan-51a_6557途中で見つけた瓦片。瓦葺きの建物が建っていた証拠。

wajo_gijan-52_6561では帯曲輪を、斜面を登らずに奥へ。本丸西側の下部に築かれた大堀切道へ。右側の斜面の上が本丸。

wajo_gijan-53_6565振り返って、左側が本丸の切岸。大堀切になっているが、当時は道として使われていたことだろう。

wajo_gijan-54_6568堀切を奥まで進んでいくと、切れ目があり、外へ出られるようになっていた。上の縄張図にも空堀1の上部に切れ目が描かれている。

wajo_gijan-55_6572切れ目から外へ出ると、広い場所へ出た。上の縄張図で言う、曲輪6の左下のスペースだ。正面奥の茶色い部分の奥が曲輪6にあたる。

wajo_gijan-56_6574奥の土塁へ。石が断片的に残っているので、当時は総石垣の壁だったのかもしれない。この左奥は曲輪6にあたる。右側の凹んでいる部分は先の大堀切の先端部。その間に土橋的な道があり、まっすぐ上がると曲輪2の北西端へ到達する。

wajo_gijan-57_6577土塁はしっかりと高さが残っている。当時は総石垣だったとすると、角度もついていることから短いながら登り石垣だったのかもしれない。

wajo_gijan-58_6585登り石垣だったかもしれない土塁。

wajo_gijan-59_6614では続いて北郭へ移動。ここはかつての朝鮮王朝の旧城跡を改変して日本式城郭に仕立て上げた場所だという。右側の凹んでいる場所が南郭と北郭を隔てる大堀切(自然地形ではなく、人工的なものだと現地に行って感じた)。左側の草の壁は土塁。

wajo_gijan-60_6626反対を見返す。右側が北郭、左側が大堀切を隔てた南郭。

wajo_gijan-61_6617北郭の土塁は、途中から石垣に変わる。

wajo_gijan-62_6619東の端の方まで行くと結構石垣が残っている。大きな石も使われている。このあたりは慶長の役での加藤清正による増築部分とも言われる。この奥は朝鮮時代の城跡(邑城跡あるいは鎮城跡)とのことだが、ちょっと覗いてみたところめぼしい遺構は見当たらず山に戻っていた。

wajo_gijan-63_6629sでは北郭の西側へ。ここには石垣の城壁と櫓台跡が残る。

wajo_gijan-64_6630整備はされていない状況のため、少し離れると木々に隠れて見えなくなる。石垣ギリギリを奥へ進みながら見ていこう。

wajo_gijan-65_6632角度がやや緩やかな、南郭とは全く雰囲気の違う石垣が現れる。

wajo_gijan-66_6639一番奥までやってきた。石垣が二段に分かれて積まれている。上部が少し凹んでいるセットバック状態だ。よく見ると、上の石垣と下の石垣では、石材の加工や整形が異なる。下が朝鮮時代(鎮城?)の石垣、上が加藤清正による増築された石垣だとか。

wajo_gijan-67_6646このあたりは日本式石垣。北郭の南西端は何度も折り曲げながら複雑な石垣の城壁を築いていた。

wajo_gijan-68_6680石垣の内側には虎口らしき大きな入口のような場所があった。ここから奥の石垣の上にあった櫓へ入ったのだろうか。

wajo_gijan-69_6658s枯葉に埋もれ崩れつつあるが、5m以上はある高石垣。北郭 南西端石垣の内側にあたる。

wajo_gijan-70_6664角度は南郭に比べ随分緩やかだが、しっかりと積み上げられた高石垣。

wajo_gijan-71_6666北郭 高石垣。かなりの高さがあるが、枯葉を除去すれば更に石垣が出てきて高さが増しそうだ。

wajo_gijan-72_6675隅部。妙に緩やかで、カーブしていて、独特の雰囲気を持っていた。

訪問時は南郭も北郭もほとんど整備されていなくて藪だらけの機張城だったが、数年前に訪問した人の話によると当時はしっかりと草刈りがされ非常に見応えのある状態だったという。整備されたり、されなかったり、という城跡なのだろうか。また倭城訪問の機会があればリベンジしてみたい。

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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機張城 [3/3] 朝鮮王朝の石垣と豊臣軍による石垣が見られる北郭へ。” への2件のフィードバック

  1. 記事の中に「邑城」とありますが、邑城とは集落を城壁で囲郭した城塞都市の事で、これは邑城ではありません。情報の基にした『倭城を歩く』の記述内容が間違っているのです。
     件の遺構は「豆毛浦(トゥモポ)鎮城」と言う、武官(戦闘員)のみが駐留する純軍事的な朝鮮水軍の基地なのです。

    1. コメントありがとうございます。邑城ではなく鎮城というのですか。もう少し調べて、記事を見直してみます。ありがとうございます。

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