機張城 [1/3] 黒田長政が築城した要衝の実戦仕様の城。

倭城 機張城
機張城は朝鮮半島東海岸を守る蔚山からの城郭群と釜山浦とを結ぶ中間に位置する要衝の城で、文禄の役で黒田長政 孝高親子が築城・在城した。慶長の役では加藤清正が大改修を行っている。城は天守台などが残る主要部の南郭と、長い城壁と多聞櫓跡が残る北郭とが、巨大な堀切で分断された構造となっている。竹城里城とも呼ばれる。

<基本データ>
●名称:機張城 (ぎじゃん うぇそん)
●所在:釜山広域市機張郡 (地図)
●城主:黒田長政 加藤清正
●築城:文禄二年 (1593)
●遺構:石垣、天守台、虎口
●情報:倭城

訪問時期:2017年11月

機張城 訪問記 − 其の一
倭城めぐりの旅 − トップページ


<訪問記>

wajo_gijan-01_6464機張城は麓に駐車場が完備されている。トイレと説明板付きでありがたい。

wajo_gijan-02_6463駐車場の目の前には畑を挟んで小高い丘が見える。あの上が機張城 南郭にあたり、高石垣や天守台などが残るが駐車場からは見えない。

wajo_gijan_mapサンライズ出版「倭城を歩く」p.57 より引用・加筆。上が北。東に竹城港がありそれを守る城だった。駐車場は右下、ここから道を通って登り石垣方面へ向かうと、登り石垣に沿って階段が設置されている。当時の登城路は北郭と南郭の間に掘られた巨大な堀切側にあったと考えられる。また北郭へは左上の墓地(斜面上に多数の土まんじゅうがある)あたりから登り、櫓台に張り付く。訪問時は大堀切の右側から入り、北郭を一周して、左側の墓地へ抜けた。

wajo_gijan-03_6460駐車場に設置されている説明板。ここは簡易ではあるが日本語の説明文もある。

wajo_gijan-04_6461説明板の日本語部分。川の名前などが抜けていて日本語がおかしい部分もあるが、ほぼ読み取れる。南北の丘陵に城を築いているが、西側を二重の堀切が守り、南は登り石垣、北は清江川まで外郭を築いたことから、港のある村一帯を囲い込んで守る城だったようだ。

wajo_gijan-05_6462機張城 南郭の想像図。建物が朝鮮風。右側が北で描かれており、縄張図とは90度傾いている。今から上がる登り石垣はこの図の左下に伸びている(描かれていない)。

wajo_gijan-06_6465では駐車場を出て機張城へ。目の前の看板が見えるあたりが登り石垣の先端部と、併設された階段。ちなみに看板はかつてここで撮影された韓流ドラマのロケ地を示すものだった。

wajo_gijan-07_6468階段をあがる。階段をあがっていると気づかないが、階段のすぐ左側は登り石垣。外側に石垣があるので、後ほど降りて見に行ってみよう。しばらく登ると石碑がある。

wajo_gijan-08_6469超読みづらいが、日本併合中に史跡指定された際の石碑だろう。史蹟 機張竹城里城、と読める。

wajo_gijan-09_6471階段をどんどんあがる。登り石垣側はすごい藪で、知らないとそれとは気付かない。あまり整備状況は良くないようだ。

wajo_gijan-10_6472階段を登りきると道が右へ曲がり、かつて虎口だったことが分かる様相に。右側には草に埋もれて石垣が見える。左側にも石垣が見える。

wajo_gijan-11_6473少しだけ登り石垣の方を見てみよう。盛り上がっているところに登る。斜面側に石列が見える。

wajo_gijan-12_6474体を乗り出して覗いてみると、たしかに土塁の外側は石垣になっている。斜面にそのまま土塁と石垣が築かれており、登り石垣も数段の高さがあるのでここから斜面に降りるのは難しそうだ。左下の方には帯曲輪も見える。あちらから斜面を上がる方が見やすそうだ。

wajo_gijan-13_6477では登り石垣は帰りに見ることにして、まずは南郭を散策しよう。先の縄張図で言う虎口1にあたる。手前の虎口の石垣の上方奥には白い石垣も見える。

wajo_gijan-14_6480虎口1を越えて上段の郭下へ。この上が主郭だ。全体的に枯草に覆われているが、何故かここだけ露出して白く輝いていた。主郭 南東隅の石垣で、かつてこの上には櫓があったようだ。

wajo_gijan-15_6484南東隅石垣を向かって左へ進むと、本丸への平虎口へ到達する。縄張図の虎口2にあたる。かつては左右の石垣の上をまたぐように櫓門が築かれていたか。説明板あり。

wajo_gijan-16_6482機張 竹城里 倭城。英文とハングルの説明の長さに比較して、日本語の短さよ。英文を読むと、1593年6月頃(文禄の役)に付近一帯を守っていた黒田長政によって築かれた、大きさや面積の話があり、日本では単に機張城と呼ばれていること、西生浦城・鶴城・釜山浦を繋ぐ位置にあり戦略上 重要だった、現在周囲は畑になっているが石垣や主要部は当時の状態をよく残しているーーーなどと記している。

wajo_gijan-17_6490虎口向かって右側の櫓台石垣。港側からよく見える位置にある。今は大木が一本。

wajo_gijan-18_6487虎口向かって左側の石垣。コチラ側は藪ぼうぼう、だが石垣はしっかり残っている事がわかる。そして下部の方は縦積みだ。

wajo_gijan-18a_6489本丸への虎口は、土橋状の斜面が築かれていることが分かる構図。

wajo_gijan-18b_6491本丸の中へ。あちゃー。一面の藪やぶ。

wajo_gijan-18c_6492先ほど下から見た、虎口向かって右側の櫓台石垣の内側。石垣が大きく崩れ、土塁も丸くなってしまっている。

wajo_gijan-19_6500櫓台石垣はL字型になっている。ここでも一部の隅石が縦積みだった。

wajo_gijan-20_6493機張城本丸から、竹城湾 方面を見る。あの港および村一帯を守るためにこの城は築かれた。この位置からはかなり遠くの方の湾内の状況が一目瞭然だ。当時は数層の櫓があったので更に遠くまで容易に監視できたことだろう。

wajo_gijan-20a_6498本丸北側の虎口(縄張図の虎口3)から北側の曲輪へ。虎口跡を振り返るも藪と崩壊でわかりづらくなっていた。

wajo_gijan-21_6496虎口左右の石垣。一見石垣が崩れているだけのようにも見えるが、横面もしっかり整っていることからここが隅部か。

wajo_gijan-22_6497右側は藪やぶ。

続いて本丸外周を回って天守台や櫓台の石垣を外側から見てみよう。

>> 機張城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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