釜山浦城 : 日本軍の中枢拠点だった稀有壮大な巨大城郭跡。

倭城 釜山浦城
釜山浦城は、朝鮮出兵において日本軍が最初に上陸した釜山浦の山上に築かれた日本軍の中枢基地だった城。釜山近郊には元々朝鮮(当時 朝鮮半島は李氏朝鮮という王朝があり、明国とは君臣の関係だった)側の砦が複数あったものの、日本軍は初戦でそれらを同時に攻撃し数日で陥落させた。その後 日本軍の物資集散拠点とすべく母城と子城から成る巨大な釜山浦城を築き、文禄・慶長の役を通じて中枢拠点となった。当時は稀有壮大とも言われたが、周辺は住宅街となり、母城は現在山頂に一部石垣が残る程度となっている。子城は高石垣も残るらしいが今回は未訪。

<基本データ>
●名称: 釜山浦城 (ぷさんぽ うぇそん)
●所在: 釜山広域市東区佐川洞裏山 (地図)
●城主:毛利輝元 毛利秀元
●築城:文禄元年 (1592)
●遺構:石垣、天守台
●情報:倭城

訪問時期:2017年11月
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<訪問記>

wajo_pusanpo_01_6455佐川駅の西側にある甑山。山頂には東区図書館がある。そのあたり一帯が釜山浦母城だ。ここまで上がってくる途中はずっと住宅街だったが、かつては山一帯が要塞だったという。現在は開発によりほぼ遺構は失われ、山上の甑山公園一帯に一部残る石垣ぐらいとなっている。

wajo_pusanpo_02_6459山上にあった付近のマップ。オールハングルで全く読めないが、図の中央にある小さな山が現在の甑山(母城)、右下の小さな山が子城だ。

wajo_pusanpo_03_6416s甑山公園への入口。ここから中に入ろう。

wajo_pusanpo_04_6417階段をあがっていく。一番上まであがると主要部の内部に入ってしまう。本丸は主要部の南側にあり、このあたりは二ノ丸になるようだ。二ノ丸〜本丸の外周石垣を見るには、上にはあがらず外側へ行かなければならない。

wajo_pusanpo_05_6419階段から逸れて斜面へ。何となく道がある。奥の松の木の根本に石垣の断片が見える。

wajo_pusanpo_06_6421二ノ丸北東 隅部の石垣。枯れ草とツタに覆われていて隅部がかろうじて露出している程度。

wajo_pusanpo_07_6423元は岩山なのだろう、巨石を取り込んだ石垣も見える。散策路は石垣からかなり下に作られている。

wajo_pusanpo_08_6425斜面の上の方に残る石垣。二ノ丸は斜面上部に薄く石垣が積まれていたのだろうか。

wajo_pusanpo_09_6428何かの建物の下にも石垣。

wajo_pusanpo_10_6429公園化されたタイミングで石垣の積み直しなどもあったのかもしれない。何だか不自然なようにも見えるが詳細不明。

wajo_pusanpo_11_6432石垣の張り出し部。岩盤の上に積まれていることが分かる。

wajo_pusanpo_12_6431張り出し部の石垣。上部は崩れていたのだろうか、不自然な修正の跡が残る。この張り出し部あたりまでが二ノ丸だったようだ。

wajo_pusanpo_13_6435張り出し部の奥は虎口になっていたようだが、公園化に伴ってか、埋められた跡が残る。

wajo_pusanpo_14_6436張り出し部と元虎口を見返す。虎口だったと思われる場所は完全に埋められているが、こぶりな石で埋められているのでかつてどのような形だったかがよく分かる状態に。手前が本丸、奥が二ノ丸。

wajo_pusanpo_15_6437本丸を奥へ進むと巨石が高く積まれるようになってきた。二ノ丸との雰囲気の違いを感じる。この奥は本丸の南西部、天守台とされる場所へと続く。

wajo_pusanpo_16_6439天守台に近づくにつれ石垣も大きくなってきた。右奥には天守台の張り出しが見える。

wajo_pusanpo_17_6441釜山浦城 母城の本丸南西部に残る天守台の巨大石垣。

wajo_pusanpo_18_6443天守台北西端の高石垣。斜面に築かれているためかなりの高さになっている。

wajo_pusanpo_19_6445天守台南西端へ。ここは巨石をうまく使っている。草ぼうぼうでよくは見えない。

wajo_pusanpo_20_6446回り込んで本丸内部へと入った。

wajo_pusanpo_21_6447韓国の公園によくある健康器具。その奥の石垣は恐らく天守台の内側にあたる。

wajo_pusanpo_22_6451そのまま本丸内部を通ったが完全に公園化されていたため特に見るべき場所は見当たらなかった。階段を降りると二ノ丸へ。ここに説明板が設置されていた。ハングルなので読めないが、古絵図が一部記載されていたのでそこだけ翻訳ソフト片手に見てみよう。

wajo_pusanpo_23_6449釜山城図面。右上は朝鮮出兵後(壬辰倭乱後)の釜山鎮城、右下の丸は朝鮮出兵前(=釜山浦城 子城か)の釜山鎮城、と書いてある。左側の山の上の石垣らしき部分が母城か。どうやら李氏朝鮮時代の釜山鎮城の移り変わりを表した説明板のようだ。

wajo_pusanpo_24_6450別の説明板。絵の下には「釜山鎮城戦闘 <釜山鎮殉死>」とのこと。日本軍が最初に釜山を攻撃した際に(攻撃手は対馬の宗義智)敵将の鄭撥を討ち取っている。

wajo_pusanpo_25_6456釜山母城の上から、釜山子城方面を見る。右奥のビル群の左側にある小さな山が子城。

wajo_pusanpo_26_6458釜山子城ズーム。

時間の都合で今回は釜山浦城の母城主要部のみを散策した。街中には虎口跡や登り石垣の一部と思われる遺構も僅かながらに残り、また子城には天守台を含め大きな石垣が残っているという。再訪時は是非訪問したい場所だ。

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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