倭城めぐり 2日目。

2017年秋に倭城めぐりに行って来ました。このページはその道中記をまとめています。倭城の話はそれぞれの城ごとにまとめた訪問記へどうぞ。
●道中記 1日目2日目3日目4日目まとめ
●訪問記 安骨浦城釜山浦城機張城西生浦城蔚山城永登浦城松真浦城長門浦城梁山城亀浦城


今日の行程。

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2日目は東海岸沿いに築かれた御仕置之城をめぐる計画。釜山から最北端の蔚山まではなかなかの距離があるため、季節柄 日暮れが早いことから、各城で時間を意識しながら動く必要がある。

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ちなみにホテルのバイキング会場は日本人だらけ、さすが日本系ホテル。コーヒーがめちゃ甘かった。8:00ちょうどに出発。昨日の観光タクシーで釜山浦城へ。車窓から見える釜山の高層ビル群は、とても近未来的な雰囲気でなんだか落ち着かない。

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2城目:釜山浦城(ぷさんぽ うぇそん)

日本軍が最初に上陸した釜山浦に築かれた、補給の拠点として築かれた釜山浦城。一帯は住宅街で多くの遺構は失われている。主郭部は公園となっているが、山の上にあり、ずっと坂道が続いているので歩いて上がるのは大変そうだ。

8:30。釜山浦城(母城)の主郭跡に建てられた図書館前に到着。主郭は公園になっている。

詳細は訪問記へ。
釜山浦城 訪問記 其の一

時間の都合上、広大な釜山浦城のうち、母城かつ山頂部の主郭跡周辺のみで20分で終了。母城の遺構は主郭部以外にも住宅街の中に散在しており、また隣の山に残る子城には巨大な石垣の城壁も残っているとか。こちらは次回しっかり時間を取って訪問しよう。


3城目:機張城(ぎじゃん うぇそん)

次からが本日のメイン。まずは黒田長政が築いた機張城へ。釜山浦城付近は道が細い上に交通量がめちゃくちゃ多く、なかなか進めない。事故っては意味がないので慎重に運転し釜山近郊を抜ける。一路北東へ。9:40、機張城前の駐車場へ到着。

詳細は訪問記へ。
機張城 訪問記 其の一

高石垣や巨大な虎口などの良好な遺構が残るものの、ほぼ一体が草にまみれた未整備状態なのが惜しい。数年前に訪問した際は草刈りがされていたという話も聞いたので、年によって整備されたりされなかったり、なのだろうか。それにしても倭城にはデカいトゲを持つ藪が多すぎる。帰った後、ウェアの上下とも大きな穴が複数開いていた。。。

散策時間 約2時間で下山。次の目的地、西生浦城へ。


お昼ごはん。

機張城からさらに北へ50分。12時半に西生浦城の近くまで。城の近くにある、たぶん定食屋さんに入って昼ごはん。メニューがまったく読めないが、サムギョプサル(豚バラ三枚肉の焼肉)を頼む。右側中央にある8000ウォンがサムギョプサルらしい。

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低い円錐型の鉄鍋の上で、分厚い豚肉を豪快に焼く。焼けたらハサミでチョキチョキ切って食べる。ちなみに韓国では何を頼んでも小皿に入ったキムチやら漬物やらがどさっと出て来ていた。キムチは辛い店もあれば、それ程でもない店もあり、さまざまだった。

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お腹いっぱいになって、改めて西生浦城へ。


4城目:西生浦城(そせんぽ うぇそん)

加藤清正 築城の西生浦城へ。当時は天守や御殿があった豪壮な城だったと伝わる。遺構は倭城随一と言われる規模で残っており「倭城を歩く」でも表紙にここの登り石垣が使われている。登り石垣の虎口付近に建つ案内所から散策スタート。山頂の主要部を見てから、登り石垣をじっくり見て、今は埋め立てられた舟入跡を見に行ってみよう。13時半 散策スタート。

詳細は訪問記へ。
西生浦城 訪問記 其の一

倭城最大級の遺構が残るというのは間違いではなかった。が、石垣の修復工事がかなりデタラメに行われているように見え、元の姿とは全く違う積み方の韓国石垣がどんどん増産されていた。訪問時点ではまだ工事は開始直後で、一番最初の曲輪の虎口以外はまだオリジナル状態を保っていた。いずれは全て無くなってしまうのだろうか、あるいは日本の専門家を招聘してきちんとした復元が行われるのだろうか。いずれにせよ、破壊前の遺構は実に素晴らしいものだったが、この工事のおかげで実に残念な印象だけが強く残ってしまった西生浦城だった。

約2時間の散策を終え、本日の最終目標、蔚山城へ向かう。


5城目:蔚山城(うるさん うぇそん)

16時、蔚山到着。まだ日は残っている。交渉決裂後の再出兵「慶長の役」時に、東海岸 防衛ラインの最北端に築かれた蔚山城へ。現在は史跡公園として整備されているという。残された時間は1時間ほど。早足で紅葉残る蔚山城を散策しよう。

詳細は訪問記へ。
蔚山城 訪問記 其の一

公園化はされていたものの、厳寒期の凄惨な籠城戦や昼夜問わずの突貫工事など当時の悲惨な様相を想像しながら散策した蔚山城めぐりは、非常に考えさせられる有意義な時間となった。

17時10分、日が沈み始めた蔚山を出て、釜山へ戻る。


晩ごはん。

釜山駅近くのレストラン通りで、日本語メニューのない店へ飛び込む。今度は焼肉専門店だ。サムギョプサルは昼間食べたので、テジカルビを注文。こちらも巨大な豚バラ肉を焼き、ハサミで切って食べるスタイル。

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あまりの美味しさに6人で12人前を完食。昨日飲んだ韓国焼酎チョウンディも飲み倒す。飛び込みで入ったが結果的に大満足だった。

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怪しい中華街から更に怪しいロシア街を通ってホテルへ戻る。人通りも少ないし、怖そうなロシア人のお姉さんがいっぱい立ってるし、一人だと絶対通らない道だなあ。

>> 倭城めぐり 3日目 へ続く。<<

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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倭城めぐり 2日目。” への2件のフィードバック

  1. 大変楽しく拝見させて頂きました。
     西生浦倭城の石垣ですが、確かに一部、近年に修築された箇所もありますが、言い換えると8・9割はオリジナルの姿を保っています。
     倭城の石垣は、2000年代初めに泗川倭城や順天倭城などが修築されましたが、国内外で評判が良くありませんでした。泗川倭城では日本風に積んだもののやり過ぎ感があり、順天倭城では日本人研究者を招聘して修築のやり直しが行われました。
     近年は日本人研究者の意見を聞くなどして、日本の伝統的な手法での修築を目指しているようです。少しでもより良い史跡整備になることを、私も熱望しています。

    1. 堀口さま 貴重なコメントありがとうございます。訪問時、西生浦城の石垣はまさに修復工事中でした。現場では日本で行われるような石材ごとに番号を振り丁寧に解体ではなく、番号も何も無い石垣をユンボでそのまま崩していました。工事はまだ始まったばかりのようで、内城全体でいうと確かに8−9割はオリジナルは正しいと思いますが、数年後には曲輪内の石垣(天守台な虎口など)はほぼ元の姿とは異なる状態に積み替えられてしまうのでは、と危惧した次第です。順天のやり直した話は現地でも話題にあがり、期待していきましたが、上記の通りで衝撃を受けました。倭城は道や市の史跡なことが多く、管理部門(行政)ごとに考え方が異なり(文化財の保護修復に関する国の指導や法律が無い?)、結果 方針が統一されず復元方針も現場に委ねられた結果なのかと感じました。案内所の方の話によると、西生浦城の今行われている復元(という名の積み替え)工事は国内でも異論が出ているそうなので、全てやってしまう前にここ西生浦城でも軌道修正をしてもらえるといいなと感じました。 頂いたコメントを元に少し記載内容を誤解ないよう変えておきますね。

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