安骨浦城 [1/4] 九鬼嘉隆 脇坂安治 加藤嘉明の築いた日本水軍拠点の城

安骨浦城

安骨浦城は文禄・慶長の役で朝鮮半島に築かれた「御仕置之城」の一つ。現地読みで「あんごるぽうぇそん」。文禄元年、安骨浦水域での海戦にて李舜臣率いる朝鮮水軍に破れた日本水軍は、一帯の水域を押さえるために安骨浦城を含む6つの城を築いた。城内には石垣や天守台と思われる大きな櫓台を持つ3つの曲輪が残り、九鬼 脇坂 加藤がそれぞれ担当の曲輪(城)を持っていたと言われる。

<基本データ>
●名称:安骨浦城 (あんごるぽ うぇそん)
●所在:慶尚南道昌原市鎮海区安骨洞山 (地図)
●城主:九鬼嘉隆 脇坂安治 加藤嘉明
●築城:文禄二年 (1593)
●遺構:石垣、土塁、虎口、天守台
●情報:倭城

訪問時期:2017年11月
安骨浦城 訪問記 − 其の一
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<訪問記>

wajo_angolpo_01_6097安骨浦城の登り口にある巨大説明板。ほとんどハングルだが、右側は日本語の説明になっている。垂れ幕は案内図の内容整備と補修工事、的なことが書かれている。どうやら城跡は補修工事中のようだ。

wajo_angolpo_02_6098安骨倭城(アンゴルウェソン)と書かれているが、一般的には安骨浦(アンゴルポ)城と言われる。中央の航空写真の写真と説明がリンクしているが、説明板が損傷していて番号が取れていたりして、良く分からない。縄張図も無く、ただデカイだけの説明板だ。

wajo_angolpo_03_6414では登城しよう。斜面にはまっすぐ登ることができる階段が整備されている。当時のルートではない。

wajo_angolpo_04_6102階段を5分ほどあがると、木々が伐採された広い場所へ。左側を見ると、奥に巨大な石垣が! 興奮するが、まずは北側の曲輪から散策しよう。

wajo_angolpo_05_6105では登って右側(北)へ向かおう。細長い曲輪というか尾根道を進む。

wajo_angolpo_06_6184広い場所へ。奥に石垣が見える、が反対側ほど草刈りなどの整備がされている感じはない。奥は薮のようだ。

wajo_angolpo_07_6107五角形のIII郭。正面は食い違い虎口で、外周は石垣。ここから見て左奥に櫓台がある。

wajo_angolpo_08_6111正面虎口へ。草ぼうぼう。手前の石垣も崩れている。

wajo_angolpo_09_6112正面向かって左側の外周石垣。石垣はあるが、その正面が草ぼうぼうで降りたら見えないだろう。III郭はほぼ未整備のようだ。

wajo_angolpo_10_6127喰い違い虎口を内側から見返す。右奥から入ってくると、正面に左側の石垣がぶつかり、手前へと折れ曲がる。目の前あたりに門があったか。ちなみに正面手前に土の盛り上がりが見える。これは蔀(しとみ)の土塁ではなく、韓国の墓である土まんじゅう。他の倭城でも平坦な場所(曲輪の中など)には大量の土まんじゅうが見られた。

wajo_angolpo_11_6118奥へ。草にまみれているが、曲輪から飛び出す形で石垣の櫓台が残っていた。曲輪より少し高く積み上げられていた。安骨浦城は先の縄張図でも分かるように、各曲輪にそれぞれ天守台と思われる巨大な櫓台を持っている。この城は九鬼・脇坂・加藤の水軍3将が在番しており、それぞれがそれぞれの曲輪や天守を持っていた、のかもしれない。

wajo_angolpo_12_6123天守台の石垣の反対側。綺麗に積み上げられたまま残っているが、藪がすごい。

wajo_angolpo_13_6124曲輪の中はこのとおり藪だらけ。こちらの藪は固く、またトゲも多いので、進むのにかなり難儀する。

wajo_angolpo_14_6130虎口前まで戻って来た。曲輪の内部は藪やぶだったので、次は外周を経て奥のIV郭へ行ってみよう。向かって左側は藪だらけだったが、右側はこのとおり多少草が刈ってあるようだ。右側は削平された通路、というより帯曲輪となっている。

wajo_angolpo_15_6131III郭外周石垣。古いタイプの野面積みだ。天端(上端)がガタガタなので当時はもう少し高かったのかもしれない。

wajo_angolpo_16_6135III郭の北東部へ。こちらにもやや小ぶりではあるが張り出しの櫓台があった。隅部の石はかなり大きく、算木積みもしっかりと確立している。

wajo_angolpo_17_6139北東部の櫓台石垣を横から。隅部の巨大な石と、中央部の石垣との違い。下の草や腐葉土を取ればさらに石垣が何段か出て来そうな感じだ。

wajo_angolpo_18_6142III郭の奥へ。北東部の櫓台。石垣に近寄ってよく見てみると、、、

wajo_angolpo_19_6162北東部の櫓台。石垣に近寄ってよく見てみると、積み足しの跡が見える。元々は小さな櫓台で、右側にはおそらく築城当初は虎口があったのだろうが、その後 何らかの理由で封鎖されたのだろう。

wajo_angolpo_20_6146III郭の奥、IV郭へ向かう曲輪。かつてこちら側からIII郭へ入る虎口があったが、こちらからは入れないように埋めたのだろうか。文禄期に築かれたものの、慶長期に明軍の反撃に対抗するためより強固に改造したとも考えられるか。

wajo_angolpo_21_6150III郭の北側。先ほど通って来た帯曲輪へと通じる平虎口のような跡が残るが不明瞭。

wajo_angolpo_22_6152III郭とIV郭の間の大堀切。北からの攻撃を遮断している。反対側にも大きな堀切があり、中央に細い土橋が通っている。

wajo_angolpo_23_6158IV郭は土ベースの城郭。外周はこのように土塁が巻いていた。内部はまったくの未整備。

wajo_angolpo_24_6166III郭に戻って来た。先ほど通った帯曲輪と反対側、西側の天守台外周へ行ってみよう。すごい藪。

wajo_angolpo_25_6168なんとか天守台を見上げる。かなりの高さで石垣が残っているようだが、トゲトゲの藪が邪魔して近寄れない。

wajo_angolpo_26_6170III郭 天守台を下から見上げる。低い石垣の段があるが崩れていてよく分からない。

wajo_angolpo_27_6177そのまま石垣に沿って南へ。何回か折れ曲げられているが、すごい藪だ。

wajo_angolpo_28_6180III郭西側から、安骨浦城の西側の熊東湾を見下ろす。湾の奥 正面にぽっかり見える山は、こちらも日本軍の重要拠点だった熊川城。

以上でIII郭・IV郭の北側散策を終え、再び登って来た場所へ戻り、南のII郭へ向かおう。

wajo_angolpo_29_6186最初に見えた巨大な南の石垣。あの奥が I郭だ。其の二へ。

>> 安骨浦城 [2/4] へ続く。<<

訪問時期:2017年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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