白河小峰城 [3/3] 搦手門の外側には崩壊したままの石垣が残る。

白河小峰城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
鋭意復旧中の白河小峰城へ。桜之門から本丸へ。木造復元された三重櫓内部を見学後、清水門を出て城の西へ。本丸周囲の帯曲輪は南側以外は復旧工事中で立入出来ないようだ。其の三では水堀の外側から石垣と復元櫓を見ながら、北東の搦手門方面を目指します。

訪問時期:2017年5月
白河小峰城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

shirakawa_komine-73_0666城の西側の出口、会津門跡。この右側が水堀になっている。一旦外に出て右へ。

shirakawa_komine-74_0667水堀沿いに見る本丸。下は土ベースになっていて、木が生えている高さの場所が本丸外周の帯曲輪になる。其の向こうには本丸の石垣が見えるはずなのだが、木々が生い茂っていてまったく見えない。このまま水堀に沿って城の北側を東へ向かおう。

shirakawa_komine-75_0670水堀の北西端から。なぜかここだけ本丸帯曲輪の木々が伐採されている。石垣と、その復旧工事の様子が見える。アップで見てみよう。

shirakawa_komine-76_0670-2本丸北西端の石垣と、その復元工事の様子。

shirakawa_komine-77_0671少し角度を変えて。

shiraishi_komine-077a-0671上記のアップ写真。北西端は復旧が終わったのか特に破損箇所は見られないが、右端が完全に裏側の土が見えてしまっている。石垣を取り外して積み直す途中か。

shirakawa_komine-78_0673大量の木々が生えていて、三重櫓の真下あたりの帯曲輪や石垣はまったく見えない。

shirakawa_komine-79_0676三重櫓の北東側へ。このあたりには帯曲輪石垣は内堀底まで築かれている。しかしこのすごい草は、石垣の修復が終わったらついでに刈られたりはしないだろうか?

shirakawa_komine-80_0678北東側から見る三重櫓と内堀高石垣。素晴らしい。ぼうぼうの草木がなければもっと素晴らしい。

shirakawa_komine-81_0680内堀全景と三重櫓。内堀の幅は50m以上ある。

shirakawa_komine-82_0681内堀の外側から内側へは、東側に細い土橋が築かれている。土橋の内側には食い違い虎口の搦手門(尾廻御門とも)があった。

shiraishi_komine-082a_0721案内板にあった古絵図より。図の左上に描かれている土橋の先に食い違い虎口が描かれている。先にももう1つあるようだ。古絵図の門名は読めないが、右側の現況図には「和党門」と書かれている。

shirakawa_komine-83_0682搦手門手前から見る三重櫓。搦手門虎口の石垣の門側は崩れてしまっているようだ。半分ぐらい堀側に沈んでいるようにも見える。

shirakawa_komine-84_0683少し角度を変えて。櫓台の隅石がびしっと揃っている。しかしどうにも気になる電線群。

shirakawa_komine-85_0684虎口の中へ。左側は土塁になっている。先の古絵図を見ると左側も石垣が描かれているので、崩れたか崩されたか。

shirakawa_komine-86_0685虎口の折れ曲がった先に門が建っていた。

shirakawa_komine-87_0686門を入ってすぐ右に曲がる道。古絵図を見るとこちらを進み、右へ曲がると帯曲輪へ続くようだが、現在は帯曲輪は閉鎖されている。左側の高い土塁の外側は石垣になっており、城内外を隔てる城壁になっている。地図を見るとこの先は「城山公園」と書かれていた。左側の土塁の外側を通って城跡公園へ入ろう。

shirakawa_komine-88_0690搦手門の虎口越しに見る三重櫓。搦手門が建っていた場所の隅石はかなりの巨石がキレイな算木積みで積まれていることが分かる。櫓門だったのだろうか?

shirakawa_komine-89_0691搦手門を、城外へと続く和党門から見る。

shirakawa_komine-90_0692和党門跡。非常に細い通路のような場所。

shirakawa_komine-91_0693角を曲がって城外へ出ると・・・!!外側の石垣が豪快に崩れていた。崩れた部分の上にかなりの草が生えて埋もれている。2011年の地震で崩れ、以降ずっとこのままだったのだろう。

shirakawa_komine-92_0696崩壊部分。崩れていない部分にはそれほど草は生えていないが、崩れるとここまで草まみれになるものか。僅か数年でこれ。中世山城が廃城になり、石垣が経年劣化で崩れると、それがやがて草に埋もれ、土になり、そして地面の下に埋もれる。石垣が地面の下に埋もれる過程が分かる場所かもしれない。

shirakawa_komine-93_0695振り返る。和党門の向こう側の石垣もこちら側と同じく立派な石垣だった。

shirakawa_komine-94_0697石垣の折れ部分以降は崩れていなかった。ちょっとした力の掛かり方の違いで、崩れたところと、持ちこたえたところ。

shirakawa_komine-95_0699二ノ丸へと通じる門跡。石垣の上部が斜めに加工されている。この形で櫓門が張り付いていたのだろう。

shirakawa_komine-96_0702城の東側にある小丘。上部にはこれまた堅固な石垣の城壁がぐるっと築かれていた。かつてこの上には何があったのだろうか。

shirakawa_komine-97_0704小丘の上に築かれた石垣。10石ほど築かれている。

shirakawa_komine-98_0700では城門跡を越えて内部へ。石垣は、石材こそ小ぶりだが、しっかり加工されており、新し目の印象。

shirakawa_komine-99_0701崩れたままの石垣。

shirakawa_komine-100_0705斜めに加工された石垣と、それ越しに見る三重櫓。

shirakawa_komine-101_0706内側に入って見ると、こちら側は土塁だった。古絵図にも土塁として描かれている。ちなみにこの土塁に沿って奥へ進むと、先ほどの搦手虎口へと繋がる。

shirakawa_komine-102_0708城跡公園から帯曲輪方面へは、この通り封鎖中。バラ園になっていたようだ。案内板には三重櫓も立入禁止と書かれている、封鎖当時に設置されたものがそのまま使われているようだ。奥に見える石垣の上は本丸東側の「竹之丸」、復元三重櫓横の前御門を出た先にある曲輪だ。そこもまだ立入禁止だった。

shirakawa_komine-103_0709竹の丸石垣。右側の高い台形の部分は、竹ノ丸角二重櫓跡。

shirakawa_komine-104_0710竹ノ丸二重櫓跡と、奥の竹ノ丸石垣。ちなみに手前の草地は、櫓台の手前は当時は水堀だったようだ。

shirakawa_komine-105_0711このまま石垣に沿って二ノ丸の入り口である藤門跡(最初に入ってきたところ)まで行きたかったが、残念ながら封鎖中で入れず。グルっと回り込んで藤門へ戻ろう。この現在は道になっている石垣の手前部分も、当時は水堀だった。

shirakawa_komine-106_0712回り込む過程で見つけた「白河小峰城合同庁舎」。すごいネーミング。庁舎越しに小さく三重櫓が見える。

shirakawa_komine-107_0723まだまだ復旧工事中の白河小峰城。無事復旧が済んだ頃に是非また全貌を観に訪れたい!

訪問時期:2017年5月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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