白河小峰城 [2/3] 古図面を元に忠実に復元された三重櫓内部へ。

白河小峰城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
今も懸命の復旧工事が続く白河小峰城へ。桜之門から本丸へ。御殿跡はだだっ広い広場と化しているが、本丸の北端に復元された三重櫓と前御門が建っている。其の二では復元された三重櫓内部へ。

訪問時期:2017年5月
白河小峰城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

shirakawa_komine-35_0592三重櫓が建っている櫓台の上へ。合わせて復元された土塀。手前に大きな桜の木がある。

shirakawa_komine-36_0593小峰城を今の姿に大改修した丹羽長重が、築城に際し人柱とした「おとめ」を偲ぶ桜という。藩士の娘を無理やり人柱にしたという酷い話が伝わる。

shirakawa_komine-37_0590復元された土塀。鉄砲狭間の内側には黒い板が貼られている。

shirakawa_komine-38_0591三重櫓台の上から見た、本丸北側の石垣および帯曲輪。こちら側の石垣は目下復元作業中だった。(2017.5撮影)

shirakawa_komine-39_0596では三重櫓の内部へ。当時の図面等に従って出来る限り忠実に復元したという。外観だけでなく内部がどこまで忠実かは不明。

shirakawa_komine-40_0597内部には過度な展示物などなく、シンプルな様相。復元櫓自体を見てほしいという趣向で、好感が持てる。高札風の説明板が沢山並んでいるので少しだけ見てみよう。

shirakawa_komine-41_0598白河城、別称 小峰城。江戸時代に現存する白河小峰城を作り上げた丹羽長重の改築について多くの文面を費やしている。

shirakawa_komine-42_0599復元について。正保城絵図、御櫓絵図、その他古文書等にもとづき復元された、とある。なんと瓦や釘、鯱片も出土したものを元に製作しているという。こだわり!

shirakawa_komine-43_0600天守 説明板。本丸の主要部にある三重以上で最も大きな櫓を天守と称する。この三重櫓は層塔型で逓減率が高い(一階に比べ三階が非常に狭い)、日本城郭史の中でも過渡期に築かれたもの。

shirakawa_komine-44_0615本丸の外側(北・東)に向けて設置されている石落とし。一階は北側。飛び出た大きな出窓の端に設けられている。片方だけ空いているので覗いてみよう。

shirakawa_komine-45_0602石落としから見た帯曲輪。

shirakawa_komine-46_0604鉄砲狭間は普段は蓋がしてある。

shirakawa_komine-47_0605説明板によると武者走り(天守内の外周部)を広く取るため、階段は急に築かれている、とあった。大抵の現存櫓等は階段が急になっている。

shirakawa_komine-48_0606三重櫓 二階。三階はかなり小さくなっているため、二層目の屋根裏が見えている。梁にはチョウナによる「はつり跡」が見える。丸い木材を平らにするために(床面の場合は滑り止めの目的もある)手間暇かけて加工された跡だ。

shirakawa_komine-49_0609三重櫓の三階へ。かなり狭い!回廊や高欄は無い。

shirakawa_komine-50_0612内側からは色んな角度が見えるが、外側からは実に見えづらく、また攻撃しづらい、ひし形の格子窓。

shirakawa_komine-51_0613三重櫓から見た眺望、南側。眼下に前御門と、三重櫓との連結部分にあたる小さな曲輪も見える。

shirakawa_komine-52_0616城内に掲示されていた当時の姿の復元鳥瞰図。三重櫓の真下は森のように描かれており、南北は土塀が遮っている。北側から侵入した敵は結局ぐるっと回り込まないと天守のある本丸には入れない構造になっていることが分かる。

shirakawa_komine-53_0566復元櫓から出てきた。本丸の東半分は芝生となっており、本丸御殿跡と石碑が建っている。西半分(写真で言うと向こう側)も本丸御殿跡だが、復元工事の関係で入ることはできなかった。白い壁の向こう側に見える土塁は本丸西部を遮っていた石垣。

shirakawa_komine-54_0565本丸御殿跡 説明板。本丸御殿は当時「御本城御殿」と呼ばれていたという。藩主の居所であり、政庁でもあったとか。

shirakawa_komine-55_0618本丸の南側に設置されていた、下の曲輪を攻撃するための多聞櫓跡。石垣の土台が残る。

shirakawa_komine-56_0637多聞櫓跡あたりから見る三重櫓と前御門。前御門の横から多聞櫓は今居る場所あたりまで続いていた。ここから先は櫓台がなくなるので土塀だったのだろう。

shirakawa_komine-57_0560多聞櫓跡から見下ろした帯曲輪。まさに、丸見え。

shirakawa_komine-58_0635では下へ降りよう。桜之門跡を上から見る。

shirakawa_komine-59_0624桜之門跡 説明板。門自体の詳細な図面も残っている模様。こちらも復元できる! 南側の面、前御門から続く多聞櫓や土塀、桜之門も復元してみてはどうか、と思ったが、今はともかく石垣修復が先か。

shirakawa_komine-60_0636土塀ラインから見る桜之門跡。櫓門の大きさに対して、通路部分の幅が(他の櫓門と比較して)かなり狭い。

shirakawa_komine-61_0638桜之門、櫓門のちょうど下、門扉があったところあたり。

shirakawa_komine-62_0648帯曲輪を降りて、内堀を渡って、二ノ丸まで戻ってきた。ここから内堀沿いに散策しよう。

shirakawa_komine-63_0651内堀越しに見る、本丸帯曲輪外周石垣。清水門(土橋のところ)側の石垣は横目地が通った整然とした積み方だが、左の方は表面は整っているが目地は通っていない乱積み。それらが融合した積み方。石垣の高さも乱積み部と右の方とで異なることも分かる。

shirakawa_komine-64_0652乱積み部分アップ。奥に見える飛び出た石垣は帯曲輪門跡。今は復元工事中で立ち入り出来ないエリア。

shirakawa_komine-65_0657内堀が少し途切れたあたりから、本丸帯曲輪の石垣に近づける場所があるのだが、残念ながらこちらも復元工事中のため仕切りがされており、近寄れない。

shirakawa_komine-66_0656工事中の場所。石垣の積み直し小路が真っ最中だった。石ひとつひとつに番号が振られ、元通りに積み直されていることが分かる。

shirakawa_komine-67_0655二ノ丸西側に大きく開けられた空堀。写真を取ったあたり、大空堀の手前には空掘の右側を向こうへ通り抜けるための門があった。元太鼓門。現在は門は無い。

shirakawa_komine-68_0659空堀の奥には白河集古苑が建つ。中世の白河支配者・結城氏と、江戸期の安倍氏のゆかりの品々が展示されている歴史資料館。

shirakawa_komine-69_0661本丸南西端へ。帯曲輪の外周石垣はかなり木々が生い茂っていて見えない。

shirakawa_komine-70_0662二ノ丸の西側を守る門跡。現在は僅かな石垣の残骸と土塁が残るのみ。

shirakawa_komine-71_0663門の櫓台を形成していた土塁。

shirakawa_komine-72_0664ここは「会津門」跡。この門の外側に会津町という武家屋敷群(会津藩の旧臣を召し抱えて住まわせたことに由来)があったことから名付けられたという。高さ7m、こけら葺の屋根を持つ櫓門だったとか。城郭の外側のため総石垣ではなく土塁ベース。

其の三では本丸の北側から搦手門方面を目指します。

>> 白河小峰城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2017年5月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中