白河小峰城 [1/3] 木造復元された三重櫓が美しい総石垣の城。

白河小峰城
白河小峰城 (しらかわこみねじょう) は福島県南部の白河市に残る近世城郭で、戊辰戦争で激戦地となったことで有名。古くは南北朝期に白河結城氏が築城したことが始まりとされ、白河地区の戦国大名となったが、秀吉により改易。蒲生氏、上杉氏を経て、江戸初期に丹羽長重が城主となると城を大改修し、現在に残る巨大な石垣を持つ姿を完成させた。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の激戦地となり、城内の建物は尽く焼失したという。石垣と水堀を中心とする主要部が美しく残り、また1990年代に三重櫓・前御門が木造復元された。2011年の東日本大震災で石垣が崩壊、現在も修復工事が続いている。

<基本データ>
●名称:白河小峰城 (Wikipedia)
●所在:福島県白河市 (地図)
●城主:結城親朝 / 丹羽長重
●築城:1340年 / 1632年
●遺構:石垣、水堀、復元三重櫓
●情報:日本百名城 No.13 (一覧)

訪問時期:2017年5月
白河小峰城 訪問記 − 其の一、三。


<訪問記>

shirakawa_komine-01_0714あいにくの天気の中、南福島の美しい白亜の城、白河小峰城へ訪問。

shirakawa_komine-02_0533白河小峰城は、2011年の東日本大震災で石垣に甚大な被害を受け、現在 (2017/5) もまだ修復の最中。地震当初は本丸への立ち入りも制限されていたが、2015年に本丸および三重櫓が開放され、着々と修復は進んでいる。

shirakawa_komine-03_0717小峰城跡 正面。

shirakawa_komine-04_0531小峰城跡 説明板。江戸初期に入城した丹羽長重(織田信長の家老の一人・丹羽長秀の息子)が今に残る巨大な石垣と水堀を持つ近世城郭に大改修したという。戊辰戦争で城内の建物は全て焼失。平成3年に三重櫓、平成6年に前御門が、それぞれ江戸時代に描かれた精巧な絵図を元に木造復元された。日本初の木造復元天守(相当含む)と言われる。

shirakawa_komine-05_0535小峰城址碑と、奥に見える三重櫓。現在も石垣修復作業中のため、城内は白いフェンスが大々的に設置されている。石垣のあるエリアに入ることが出来るのは、震災から6年以上経った今(2017.5訪問)でも本丸の一部エリアのみ。

shirakawa_komine-06_0720震災により被害を受けてから設置された、震災前の小峰城の写真と、被害状況を表す説明板。城内の石垣は10箇所に渡り崩壊したという。だが不幸中の幸いか、復元した櫓群は倒壊を免れた。

shirakawa_komine-07_0721少し離れた場所にあった、小峰城の門・櫓 説明板。1808年絵図の時点で、白河小峰城には18の城門と11の櫓があった。現在は全て失われ、三重櫓と前御門のみ復元されている。

shirakawa_komine-08_0536では本丸を訪問してみよう。本丸の外周は水堀で囲まれており、そこに架かる巨大な土橋は清水門という巨大な櫓門があった太い橋となっている。しかし現在は修復工事のため、半分はこの通り立入禁止。ここから向かって右側の石垣周辺は立ち入りできない。

shirakawa_komine-09_0537清水門に向かう土橋の向かって左半分だけ、通行可能だった。

shirakawa_komine-10_0539土橋の上から、立ち入りできない東の石垣をチラ見。

shirakawa_komine-11_0540土橋の上から、西の内堀を見下ろす。堀はそれほど幅がないが、石垣が高くそびえているため防御力は高そう。

shirakawa_komine-12_0541清水門の櫓台石垣。足元には巨大な礎石も見える。

shirakawa_komine-13_0545清水門の櫓台あたりから本丸へ通じる桜御門を見る。正面奥の石垣が出っ張っているところの奥あたりから本丸へ入り込む。

shirakawa_komine-14_0544右側の石垣の上が本丸。ここは本丸外周の帯曲輪にあたる。本丸の外周ぐるっと一周築かれているのだが、ご覧のとおり帯曲輪外周の石垣の損傷が激しく、本丸に入るまでのところしか立ち入ることが出来ない。

shirakawa_komine-14a_0646ところで、清水門から帯曲輪に入って、正面に見える本丸高石垣。実はここに見どころポイントがある。ちょうど正面の上あたりを見てみよう。

shirakawa_komine-15_0547石垣はほとんどは大体が目地が横に通った積み方をしているが、何故か「半円弧」を描くように築かれている部分がある。実はここも震災でほぼ崩壊したのだが、写真などを元に、ほぼ元通りに復元されていた。良かった。特に説明板などは無いが、円弧の石垣は必見。

shirakawa_komine-16_0549では本丸南側の桜之門より本丸へ入ろう。本丸には幾つかの入口があるが、現在通れるのはここだけ。

shirakawa_komine-17_0550桜之門の櫓台石垣。細長く、うず高い。

shirakawa_komine-18_0551桜之門 櫓台。

shirakawa_komine-19_0553では桜之門へ通じる石段へ。隅部の石垣はさすがの巨石を使った切込み接ぎとなっている。右を曲がった先に櫓門があった。

shirakawa_komine-20_0554桜之門 全景。石垣はよくみるとカーブを描くように築かれている。

shirakawa_komine-21_0556桜之門の石段途中の石垣。こぶりだが四角く加工された石がビッシリと積まれている。

shirakawa_komine-22_0557桜之門へ通じる石段。先の方はかなり狭い。この先は御殿の庭に通じており、藩主の住居に近かったことから、藩主専用の通路だったのではとされている。

shirakawa_komine-23_0626桜之門から本丸へ。目の前に広がる広大な本丸と、その奥にそびえ立つ三重櫓と前御門。木造復元。

shirakawa_komine-24_0633三重櫓と前御門 全景。漆喰の白い壁と、下見板張りの黒い壁が、半々で使われている。でも全体的には白のイメージ。ちなみに当時は芝生の部分いっぱいに本丸御殿が築かれていたため、この角度からこの三重櫓は見えなかったと思われる。

shirakawa_komine-26_0564前御門側から見た構図。前御門の桝形は一段低く作られている。

shirakawa_komine-27_0620更に前御門側から。実にカッコいい。復元されたのはここまでだが、右端の白壁の部分の手前にもずっと、本丸外周に沿ってぐるっと多聞櫓が築かれていた。

shirakawa_komine-28_0567前御門の先も少しだけ立ち入りが出来るようなので、降りてみよう。先ほどは桝形と書いたが、全面が囲まれていないので、ただの門の前の広いスペースのようだ。

shirakawa_komine-29_0568前御門を本丸の外側から。本丸の正面玄関にあたるだけあって、かなり立派で堂々とした作りだ。

shirakawa_komine-30_0572本丸下から見上げた、前御門と三重櫓。今立ち入れるエリアのギリギリ端っこから。

shirakawa_komine-31_0577よく見ると前御門 櫓門正面の下見板張り部分には、狭間が設けられていた。普段は蓋がしてあるようだ。

shirakawa_komine-32_0586では再び本丸へ。まずは三重櫓の中へ入ってみよう。三重櫓と、前御門の間の、一部が柵になっている小さな曲輪も気になったのだが、入れなかった。

shirakawa_komine-33_0589階段を上がって三重櫓の前へ。入場無料。

shirakawa_komine-34_0617三重櫓跡 説明板。漆喰の白壁の下半分に黒塗りの板を張った下見板張りは、耐久性が高いとか。こちらからは見えないが、北側には石落としもあるという。入口は三重櫓そのものには無く、西側に張り出した「土間」から入るようになっている。

>> 白河小峰城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2017年5月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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