猪苗代城 [2/2] 野面積みの石垣が残る大手桝形虎口へ。

猪苗代城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
巨大体育館カメリーナの前にある猪苗代城跡へ。江戸時代の猪苗代城と、戦国時代の鶴峯城から成る城跡。まずは南の猪苗代城へ。石垣の隅櫓台を持つ虎口から二の郭へ。本丸は土塁が巻いているもののすっかり公園化していた。其の二では良好に残る枡形虎口を見てから、中世の鶴峯城へ向かいます。

訪問時期:2017年5月
猪苗代城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

inawashiro_jo-42_0413本丸奥の東門跡より下へ降りる。

inawashiro_jo-43_0416東門跡からは、反対側の櫓門石垣がよく見える。

inawashiro_jo-44_0418真正面から見る櫓門石垣。あの上に巨大な櫓門が乗っかっていたのだろう。幕末の戊辰戦争で焼失しており、建物があった頃の写真は発見されていないが、廃城後の写真は猪苗代町のサイトで見ることが出来る。

inawashiro_44a_0420やや下から見上げる構図で。ちなみにこの「二の郭櫓門」下の石段は、調べていると昭和33年に失業者対策事業により作られたという情報を見つけた。元の姿はどうだったのだろうか。

inawashiro_jo-45_0421本丸と二の郭から、下の桝形へは一本の道へと繋がる。此処の両側にも石垣。ただ石段が出来ているのでこの石垣も当時の姿かは分からない。

inawashiro_jo-46_0422木々が生い茂っているのでやや見づらいが、段々に築かれた石垣を下から見上げる。枯れた季節に来ると堅固な姿が見られるかも。

inawashiro_jo-47_0424帯郭法面石垣。本丸・二の郭の外周をぐるっと取り巻いている帯郭。

inawashiro_jo-48_0426帯郭の下から 石垣で複雑に折り曲げられた道。

inawashiro_jo-49_0428ここから更に下へ降りると桝形虎口へと通じる。その左側に井戸と鐘撞堂がある。

inawashiro_jo-50_0430三本杉井戸跡。中を覗き込んでみたが鉄の柵がされており内部は窺い知れなかった。なお「三本杉井戸跡」の看板の裏側に置かれている宝箱は、リアル宝探しゲーム的なイベントのもの。

inawashiro_jo-51_0434鐘撞堂。

inawashiro_jo-52_0435鐘撞堂から下へ降りると、大手桝形虎口へと通じる。

inawashiro_jo-53_0460破壊された桝形の隅石垣。二の郭の櫓門石垣は隅部が切込み接ぎになっていたが、こちらはこの通り打込み接ぎあるいは野面積みレベル。

inawashiro_jo-54_0437かつてはかなり高い石垣で囲まれていたであろう、大手桝形。

inawashiro_jo-55_0439桝形の右側の石垣は先の井戸や鐘撞堂がある小郭の外周石垣を兼ねている。

inawashiro_jo-56_0459隅石。かなりの巨石を使ったゴツい野面積みだ。

inawashiro_jo-57_0443大手桝形 全景。左と手前部は石垣は失われている。

inawashiro_jo-58_0445桝形の入口部分は冠木門跡となっていた。

inawashiro_jo-59_0447鐘撞堂のある小郭の石垣。奥まで見に行ってみよう。

inawashiro_jo-60_0448角度も緩やかで、加工度合いの低い大きめの石が埋め込まれるように築かれた野面積み石垣。

inawashiro_jo-61_0449鐘撞堂 石垣。こちらの方は余り整備されておらず、地面も石垣も草ぼうぼうだった。

inawashiro_jo-62_0451大手桝形の脇に建つ説明板の類。色々建っている。ネットを見ているとかつてここには手書きの縄張図がある説明板があったようなのだが、無くなっていた。

inawashiro_jo-63_0452亀ヶ城跡 説明板。猪苗代城は別名 亀ヶ城跡と呼ばれ、江戸時代 主城である鶴ヶ城(会津若松城)と支城の亀ヶ城(猪苗代城)の鶴亀二城が会津藩を支えていた。ちなみに亀ヶ城の北側には中世城郭の遺構が残る鶴峰城がある。鶴亀鶴とややこしい。説明板によると鎌倉初期に佐原経連により亀ヶ城は築かれ、猪苗代氏を名乗り、秀吉の伊達氏会津撤退令まで、猪苗代一族が治めていた。

inawashiro_jo-64_0456いなわしろ新八景 亀ヶ城跡。城跡はここだけで、あとは川滝谷などの名勝と、神社や洋館など。

inawashiro_jo-65_0463では再び桝形を越え、帯郭を北へ進んで鶴峰城を目指そう。本丸の巨大な切岸。

inawashiro_jo-66_0466北帯郭。ここの切岸もすごい角度だ。

inawashiro_jo-67_0471猪苗代城と鶴峰城とを隔てる堀切道へついた。右前の白い木の脇を通る道から鶴峰城へ上がる。

inawashiro_jo-68_0475鶴峰城側から猪苗代城の土塁を見返す。

inawashiro_jo-69_0481鶴峰城へ。土塁で築かれた虎口が見える。

inawashiro_jo-70_0489虎口を上って、鶴峰城側の本丸へ。南北に長い削平地となっており、外周を土塁が取り巻いている。

inawashiro_jo-71_0490本丸南西虎口跡、という案内板。実は虎口は先ほど入ってきた下にある土塁に囲まれた場所のこと。上から見下ろすと分かりやすいことから、上に案内板が設置されている?

inawashiro_jo-72_0493こちらが上から見下ろした本丸南西虎口跡。土塁で右左に折れ曲げられる食い違い虎口。

inawashiro_jo-73_0494本丸を北へ。土塁が残っている。

inawashiro_jo-74_0497本丸の北端には「物見櫓」と書かれた案内板が。

inawashiro_jo-75_0499本丸西側の土塁と切岸。

inawashiro_jo-76_0501本丸北側は堀切と土橋で遮断されている。

inawashiro_jo-77_0502本丸北側の堀切。かなり埋もれてしまっている。

inawashiro_jo-78_0505本丸北側の堀切・土橋を北側から見返す。

inawashiro_jo-79_0508本丸北側の土橋。土橋はやはりこの角度。かつては堀切はもっと深く急角度で、50cmにも満たない細い土橋の先には土塁と城門が設置され、多勢で攻めてきてもなかなか越えづらい場所だっただろう。

inawashiro_jo-80_0510本丸の北側は北郭。緩やかな削平地が続く。

inawashiro_jo-81_0512一番北の端まで来てしまった。断崖絶壁でとても登れない。

inawashiro_jo-82_0516北郭の西側には搦手口と大手口があったようだ。北側の搦手口とされる道から降りる。途中石積を持つ土塁を発見。

inawashiro_jo-83_0518このあたりは搦手口石積虎口跡、のようだ。

inawashiro_jo-84_0525そしてそのまま南へ城に沿って下り、大手口へ。本来はここから上がり、本丸と北郭の間ぐらいの場所に出るようだ。猪苗代氏時代の大手口か?

inawashiro_jo-85_0524階段をあがっていくと、左右に低いながらも石積のある大手口っぽい場所へ。

inawashiro_jo-86_0522大手口左側には登り石垣のような、登り石積があった。組んでいるというよりただ置いているだけのように見えるので、当時の遺構かと言われれば怪しい。

inawashiro_jo-87_0521大手口石積虎口跡。案内板には石積桝形虎口とあったが、桝形感はあまり現地では感じられなかった。

inawashiro_jo-88_0527鶴峰城の大手口。北郭はご覧のとおり林と化しているが、本丸側は伐採されキレイな状態だった。

inawashiro_jo-89_0319猪苗代城跡と会津磐梯山。

会津若松城の支城として、近世の良好な遺構が残る猪苗代城。会津若松を訪れたら帰りに是非寄りたい場所だろう。

訪問時期:2017年5月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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