向羽黒山城 [2/3] 一曲輪の周囲に築かれた圧巻の巨大竪堀

向羽黒山城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
三の曲輪横の駐車場から登城開始。伝 盛氏屋敷から三の曲輪、げんぺ沼を越えて、二の曲輪下の虎口へ。巨大堀切と土橋で固められた食い違い虎口。其の二では二の曲輪から一の曲輪下の大竪堀を目指します。

訪問時期:2017年5月
向羽黒山城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

mukai_haguroyama-35_0033高い土塁と深い堀切、土橋で守られた二の曲輪下の虎口。往時は石垣造りだったかも知れない痕跡も残る。

mukai_haguroyama-04_0226-2登城口にあった復元鳥瞰図 再掲。現在はちょうど図の中央に描かれている「虎口」に居る。ここから左上の二の曲輪を経て最頂部の一の曲輪を目指そう。

mukai_haguroyama-36_0034虎口を土橋の先から。当時は橋の先に城門が建ちガッチリと守っていたことだろう。

mukai_haguroyama-34_0014土橋下の空堀。当時はもっと深く尖った堀だった? 石積で壁のようなものが出来ているが誰かが勝手に作ったものだろうか。

mukai_haguroyama-37_0039空掘を伝って奥へ。土塁で複雑に区画されたこの場所は「水の手」と書かれていた。

mukai_haguroyama-38_0043空堀の下へ降りて、奥へ進む。

mukai_haguroyama-39_0044奥の方へ行くと広い削平地があった。二の曲輪と三の曲輪の間にはこのような段々に築かれた曲輪が多数存在している。

mukai_haguroyama-40_0047s左側の大きなスロープの先が、虎口に通じる土橋へと繋がる。このスロープは幅も広く水の手から土橋まで直結しているので、当時の遺構ではないかもしれない、などと考えたり。

mukai_haguroyama-41_0051では虎口へ戻って、二の曲輪へ上がってみよう。虎口奥の石段を登る。

mukai_haguroyama-42_0064虎口のちょうど真上あたりから、食い違い虎口とその先の土橋を見る。虎口に侵入した敵兵はここから難なく狙い撃ちが出来る。

mukai_haguroyama-43_0066sでは石段をあがって、二の曲輪へ。

mukai_haguroyama-44_0078階段をあがりきったところにある説明板。先ほどの階段下の虎口の説明板がある。

mukai_haguroyama-45_0079三日町口虎口 説明板。石積石垣のある内桝形の門、というのが先ほど見た巨大な虎口のことか。

mukai_haguroyama-46_0067s二の曲輪へ。城内で最も広い削平地となる。発掘調査で礎石も出土しているとか。

mukai_haguroyama-47_0070二の曲輪跡 説明板。一の曲輪は奥の尾根の頂部にあり、詰城の色合いが強いため、この二の曲輪が実質の中心地であったと考えられている。

mukai_haguroyama-48_0071二の曲輪の説明板の横にある、「二曲輪と一曲輪」という小さな説明板。中世山城では「◯の曲輪」「◯の郭」あるいは「主郭」「副郭」と呼び、近世城郭では「本丸」「二の丸」「◯の丸」と呼ぶことが通例となっている。

mukai_haguroyama-49_0077二の曲輪 奥にある展望台。ここだけ木々が伐採してあり、眺望が楽しめる。

mukai_haguroyama-50_0072二の曲輪 展望台から見た会津の街。奥に会津若松城が見える、と説明板にあったが、あいにく過ぎる天候で肉眼でも全く見えず。ちなみにこの展望台の真下あたりに石積石垣があるような絵がパンフに描かれていたが、見逃してしまった。

mukai_haguroyama-51_0082二の曲輪から、一の曲輪方面へ向かう虎口。巨大な桝形虎口を持つ三日町口虎口に比べ、こちらの虎口は坂道に折れ曲がりが二段あるもの。

mukai_haguroyama-52_0089土塁に囲まれた坂道が右へ左へ。

mukai_haguroyama-53_0083二曲輪 虎口 説明板。坂道部分には石積石垣があるという。

mukai_haguroyama-54_0085虎口途中から上を見返す。左右ともに土塁に囲まれ非常に見通しが悪い。

mukai_haguroyama-55_0086坂道がまるまる虎口と化している。

mukai_haguroyama-56_0087しばらく進むと急な落差の場所へ。

mukai_haguroyama-57_0091下の車道へ降りる石段が設置されていた。車道を作る際に斜面が削られ元の地形(道も)失われてしまったものと思われる。

mukai_haguroyama-58_0093車道へ降りてきた。この車道は元は大堀切だったとか。

mukai_haguroyama-59_0094堀切・門跡 説明板。堀切を広げて道路にしたようだ。またここには門があった、とあるが、地形が変わりすぎていて「ここ」が「どこ」なのかよく分からない。

mukai_haguroyama-60_0095道路に降りて斜面を良く見てみると、石積跡らしき石材が斜面に埋まっている場所もあった。あれが石積石垣の跡?

mukai_haguroyama-61_0097では車道を通ってしばらく奥へ。一の曲輪へ上がる道へとたどり着く。奥左側の看板が見える場所がそうだ。

mukai_haguroyama-62_0098一の曲輪へ上がる場所。一曲輪の説明板もここにある。正面には車を停めるスペースもある。車で各曲輪を楽々登城出来てしまう仕組み。

mukai_haguroyama-63_0100一曲輪 説明板。櫓台遺構も残り、土塁や空堀で固めた厳重な詰城跡。東側には石庭跡と思われる場所も残るとか。

mukai_haguroyama-64_0101では一曲輪へ向かってみよう。奥の山の頂部が一曲輪のため、ここから登ってもすぐに一曲輪へ到達するわけではない。

mukai_haguroyama-65_0103登り始めてすぐ右側斜面に巨大な竪堀が見えてくる。城内 二つ目の見所。(一つ目は二曲輪下の三日町口虎口)

mukai_haguroyama-66_0108竪堀を見てみよう。多少埋まっているとはいえ、これだけの幅を持つ竪堀が、山上へ伸びている。

mukai_haguroyama-67_0113奥の方を覗き込んでみても、竪堀の先端が見えないほど。

mukai_haguroyama-68_0117巨大竪堀の周囲には、それを取り囲むように土塁や堀切が掘られている。これらを迂回するように斜面を上っていく。

mukai_haguroyama-69_0130途中で、巨大竪堀の近くを通ったので、少し寄り道して竪堀を見てみる。まずは下を見る。真ん中あたりか。

mukai_haguroyama-70_0131巨大竪堀の真ん中あたりから、上を見る。一番上の端は岩盤で壁になっていることが分かる。竪堀を逆流して登っていっても、最後は行き止まりという状況。

>> 向羽黒山城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2017年5月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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