浦戸城 [1/2] 桂浜を望む丘陵上にあった長宗我部氏 最後の居城跡。

土佐浦戸城
浦戸城は高知県 桂浜近くの丘陵上に築かれていた中世山城跡で、土佐の覇者・長宗我部元親の最後の居城であり、また戦国大名 長宗我部氏の最後の拠点だった場所。改易後に土佐を治めた山内一豊が高知城の建設にあたり資材を持ち去ったため、建物や石垣など多くの構造物は失われた。また現代においても坂本龍馬で有名な桂浜の近くに有ることから、国民宿舎や坂本龍馬記念館の建築により遺構は破壊された。現在は天守跡とされる小丘と、その周辺にごく一部残る石垣跡、堀切跡などが見られる程度。城跡近くには元親の墓や銅像などが建つ。

<基本データ>
●名称:浦戸城 (Wikipedia)
●所在:高知県高知市 (地図)
●城主:長宗我部元親、長宗我部盛親
●築城:16世紀
●遺構:石垣、堀切、天守台跡

訪問時期:2017年5月
浦戸城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

urato_01_9297浦戸城跡は、桂浜近くに建つ「坂本龍馬記念館」「桂浜荘」に向かう。山頂手間の駐車場で下車。目の前の「森」が、浦戸城跡(天守台跡)だ。車道の右奥に見える建物が、坂本龍馬記念館。

urato_02_9299天守台跡へ登ってみよう。

urato_03_9307天守台跡は山祇神社となっている。中腹に立つ古い石鳥居。

urato_04_9305浦戸・桂浜といえば坂本龍馬一色といって良い状況だが、浦戸城跡周辺の一部は、地元の保存会が建てた真新しい幟が目立っていた。古城 浦戸城跡 ノボリ。

urato_05_9306長宗我部盛親公の居城 古城浦戸城の再建!! なお城跡主要部の大半は、国民宿舎と坂本龍馬記念館の建設により破壊され遺構はほぼ失われている。

urato_07_9311丘の上へ。削平された山頂には、僅かな石積と、社が二つ 鎮座している。

urato_08_9315浦戸城跡 天守台跡。

urato_09_9314浦戸城天守跡 説明板。斜面には石垣の名残と思われる石が幾つか露出している、とある。元親の晩年に築かれた浦戸城(最終型)は、五間四方・三層の天守相当の櫓がここに建っていたとか。

urato_10_9310天守台は北側などが造成により破壊されており元の形がわかりづらくなっているが、四角ではなく細長く伸びる尾根なども見られる。

urato_06_9309斜面は急ながら、少し覗き込んでみると、かつての石垣の跡だろうか、幾つかの石の露出が見られる。枯れ草を取り除き発掘調査を行えば、もっと色々出てくるのだろう。

urato_11_9316では天守台跡(左端の森)を降りて、かつての浦戸城 主要部を散策してみよう。ほんの少しだけだが、遺構が整備されて残っている。奥に見える丸い建物が国民宿舎 桂浜荘。手前の青い車の後ろに注目。天守台の東側のこのあたりは「詰の段」と呼ばれる、本丸に相当する場所となる。

urato_12_9317駐車場すぐ脇に建っている浦戸城の石碑。そして石碑の横には説明板と復元石垣があるが、これも駐車場すぐ脇のため、車が邪魔でしっかり見られないという有様。

urato_13_9318浦戸城跡 説明板。ピカピカの鉄板にエッチングしてあるタイプなので、いろんなものが反射して非常に読みづらい。かつては豪族 本山氏の城だった浦戸城は、その後 長宗我部氏が岡豊城から大高坂山城(現 高知城)を経て、港に面した浦戸城を本城と定め、天守と石垣を持つ近代的な城郭に作り変えたという。とは言え古絵図を見る限りは中世山城に天守などを付加しただけの、中世山城から近世城郭への過渡期の城という印象という。またこの隣にある石垣は、天守から伸びた石塁の一部を移築保存したもの。

urato_14_9320こちらが、天守から伸びた石塁の一部を移築保存した石垣。横から撮っているのは、この右側すぐに車がズラリと並ぶ立地のため。

urato_15_9321移築された石垣。元親の時代、巨石をそのまま積み上げた野面積み、だが、そもそも移築なので発見時もこの通り積んであったのかどうかは不明。

urato_16_9322草ぼうぼうで管理状態も悪し。

urato_17_9323桂浜荘と記念館の間の奥まったあたりに、浦戸城の石垣の一部が出土し、保存している場所があるというので行ってみた。小さな案内板を発見。奥へ。

urato_18_9324コンクリート打ちっぱなしの無機質な壁。その奥に、石垣が見える!

urato_19_9335一段下がったところに石垣はあった。「時の階段」と名付けられたこの階段は、上部が「1993」と書かれている。これが出来た時か。

urato_20_9334そして下へ降りると「1600」と書いてある。8段ほどの小さな階段を降りると400年ほどタイムスリップ、という趣向だろう。

urato_21_9330浦戸城  詰の段 東側の石垣の一部。

urato_22_9331石垣の上へ上がる石段が横向きに付けられている。

urato_23_9337石垣全景。よく見ると石垣の上部は小石混じりのコンクリートでガチガチに固められている。

urato_24_9326石垣の正面の壁に貼ってあった説明板。こちらもピカピカの鉄板にエッチングで刻まれており、実に読みづらい。

urato_24a_9326文字部分アップ。読みづらい。平成5年の桂浜荘の改修工事の際に、詰の段 東部・東南部より石垣が検出。東部外周部に総延長80m以上の石垣が築かれており、その一部と推定される。出桝形や犬走り、屏風折の石垣などの構造も見られるとか。下の方はほぼ読めない。

urato_25_9327図面はこの通り白く塗った上に描かれているためよく見える。なぜ文字もこうしなかったのか。オレンジの部分が出土石垣。桂浜荘の建物の場所から出てきた石垣が、先ほど駐車場の裏に移築されていた事がわかる。桂浜荘の裏側の斜面にも長い石垣が築かれているようだが、到達できなかった。

詰の段および天守台は以上。あとは城下に散在する、浦戸城にまつわるものを順に軽く見て回ろう。

urato_26_9339まずは古い城跡碑。桂浜荘に上がる車道の途中に建っている。下が石垣で固められてはいるが、城の遺構と関係があるのかは不明。

urato_27_9340浦戸城址碑 説明板。山城から港を抑えるこの地に居城を移した長宗我部氏だったが、その改易後に入った山内一豊はすぐに高知城を築きそちらへ移転。「主都としての城下町経営にはふさわしくなかったのだ。」が物悲しい。

urato_28_9341浦戸城址碑。

urato_29_9342内容を読もうとしたが、表面が著しく変色していて読めなかった。明治28年の建立。

urato_30_9344続いて浦戸城の西方部。半島の先端部の丘に築かれていた浦戸城は、唯一の陸続きである西側は堀切など中世山城的な防御施設により守られていた。この上に堀切などが残るという。

urato_31_9345上は桂浜を見下ろす事ができるハイキングコースとして整備されているようだ。

urato_32_9347やがて削平された地へ。

urato_33_9348展望台へ。三ノ下段 と呼ばれる場所。

urato_34_9349展望台から見下ろす桂浜の眺望。なお桂浜と言えば坂本龍馬像だが、浦戸城とは関係ないので今回は見に行っていない。

>> 浦戸城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2017年5月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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