一宮城 [1/4] 急峻な山頂に残る巨大な石垣が印象的な阿波九城の一つ。

阿波一宮城
一宮城は、山麓に阿波国一宮神社が鎮座する比高120mほどの山頂に築かれた山城。古くは室町初期、阿波国守護 小笠原氏の時代から城が築かれていたが、戦国末期に秀吉の四国平定により阿波を与えられた蜂須賀家政によって総石垣造りに改修された。江戸初期まで阿波九城の一つとして重要な位置を占めていたが、一国一城令に伴い1638年に廃城となった。建物は残らないが、主郭に築かれた巨大な石垣遺構が残り、廃城の際に他の城にあるような徹底的な破壊が行われなかったことが伺える。

<基本データ>
●名称:一宮城 (Wikipedia)
●所在:徳島県徳島市 (地図)
●城主:小笠原氏 / 一宮氏 / 長宗我部元親 / 蜂須賀家政
●築城:14世紀〜 / 1586年
●遺構:石垣、土塁、堀切、竪堀
●情報:続日本百名城 No.176 (一覧)

訪問時期:2017年2月
一宮城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

ichinomiya_01_4592一宮城 登山道入口。阿波国一宮神社と、四国八十八箇所霊場の第十三番にあたる大日寺の近くにある。大きな石碑と案内板が目印。

ichinomiya_02_4590登山道入口に建つ 史跡一宮城址 石碑。

ichinomiya_03_4589説明板。簡単な由来と、周辺の地形含めた大きな地図が載っている。秀吉の四国攻めの際は、一宮城の長宗我部方と、川を挟んで向かい側の山に陣取った羽柴秀長との攻防の舞台となった、とある。

ichinomiya_04_4785登城口へ。コンクリートで舗装されているが、しばらくするとすぐに山道になる。案内板を見てみよう。

ichinomiya_05_4588登城口にある一宮城跡 案内板。本丸へ上がって、陰滝の方からグルっと一周して降りてくる事ができるようだ。

ichinomiya_06_4595では登城開始。最初は急峻な山頂に向かってひたすら石段での登りとなる。

ichinomiya_07_4596延々と続く石段。

ichinomiya_08_4604途中いくつか削平地もあるが、基本 石段が続く。登りきると、道がふた手に分かれる。右へ進めば主郭方面へ。左へ進めば倉庫跡へ。正面の竪堀は後で見よう。

ichinomiya_09_4599まずは倉庫跡へ。先程まではずっと坂道だったが、このあたりは一面青空が見える。先端部まで行けば物見に良さそうだ。

ichinomiya_10_4600倉庫跡 の古い石碑。奥がそう。

ichinomiya_11_4602倉庫跡。尾根の先端部にあたる位置にかつて倉庫があったようだ。説明板によると、城内には二箇所の倉庫跡があり、穀類や武具などを収めていたとのこと。焼けた麦が出土したこともあるという。やや中腹にあたるこの場所は、いずれかの戦いの折に敵の手に落ちて焼かれたということだろう。

ichinomiya_12_4603倉庫跡から見る眺望。正面に見える山の奥は鳴門にあたる。天気は良かったが、肉眼でも鳴門大橋までは見えなかった。

ichinomiya_13_4605では主郭方面へ向かおう。斜面はかなり急で、竪堀が築かれていたようだが、腐葉土に埋もれてしまって良く分からない。

ichinomiya_14_4607段曲輪のような加工された場所へ。よく見ると側面は石積で補強されている。

ichinomiya_15_4610石垣というより、補強のために小さな石を埋めたか積みあげたか、というような印象。右側はこのとおり壁で、左側は断崖の斜面、人が二人すれ違える程度の細い城内通路。

ichinomiya_16_4611先程の斜面の上へあがれるようだ。

ichinomiya_17_4613「曲輪」という看板が建っている。上の段の切岸にも小さな石が見える。

ichinomiya_18_4612先程の通路を守るための段曲輪。もともと斜面だったところを削平し、左側は急な切岸が築かれている。登城口にあった図面には「畑跡」と書かれていた。よく見ると桜の木が多く植えられている、春になると一面ピンクの花見スポットなのだろう。

ichinomiya_19_4614正面に巨大な切岸が見えてきた。右も急角度の切岸、左は斜面。

ichinomiya_20_4616左へ曲がれば、もう1つの倉庫跡、新正屋敷跡、天満谷越え、と書かれているが、ロープで遮られ進めないようになっていた。

ichinomiya_21_4617すごい斜面。ここから攻め上がるのはかなり厳しい。

ichinomiya_22_4620正面の急切岸の真下へ。ここから登り上がるのも厳しい。

ichinomiya_23_4618切岸の真下には湧き水があった。しかし説明板によるとこれは最近のもの、とある。水の確保は城の生命線。

ichinomiya_24_4621湧水のところから上は、急な切岸を迂回しながら登る。

ichinomiya_25_4622先程の倉庫跡〜畑跡のあった場所とはかなりの高低差がある、城の主要部へ。先のところを攻め落としても、主要部は更にこれだけの切岸と高さで守られている。

ichinomiya_26_4624迷路のような切岸越えの道。

ichinomiya_27_4625見返すとこれだけの高低差、急角度の大切岸。

ichinomiya_28_4626そして急斜面の上り道の終着点は、堀切道。左と右の間を削り取って造った道だ。

ichinomiya_29_4627堀切道の左側は虎口が作られており、奥は「才蔵丸」と書かれている。

ichinomiya_30_4628入り口に立つ石碑は「才蔵丸」ではなく「財蔵丸」となっていた。

ichinomiya_31_4630才蔵丸の上へ。かなり広い削平地だ。一番奥は尾根の先端にあたり、木々がカットされ眺望が楽しめる。

ichinomiya_32_4632才蔵丸からの眺望。正面奥は、徳島のシンボルとも言われる「眉山(びざん)」。その奥は鳴門。

ichinomiya_33_4633才蔵丸を降りてきた。堀切道は、そのまま竪堀へと繋がる。右奥へ進むと主郭へ。当時もこのような構成になっていたのか、史跡整備の際にこうなったのか。虎口と書かれているのはここではなく、先程の才蔵丸への入口部分を指している。

>> 一宮城 [2/4] へ続く。<<

訪問時期:2017年2月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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