中津城 [1/4] 黒い模擬天守が有名な、黒田官兵衛が築いた海城。

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中津城は戦国時代の天正16年(1588)に黒田官兵衛孝高が築いた近世平城。豊前海の海水を引き込んで堀を巡らせたことから海城と分類される。秀吉の九州平定で功を挙げ豊前12万国として入部した黒田氏だったが、秀吉没後の関ヶ原合戦では東軍に付き、戦後に筑前52万国へ加増転封となった。代わって入った細川忠興により築城が続けられた。その後 小笠原氏を経て奥平氏(武田vs織田徳川の設楽原の戦い長篠城を守り抜いた奥平信昌の子孫)が中津10万国で城主となり、以後明治まで9代 城主を務め上げた。現在見られる黒い大天守は、かつて隅櫓があった場所に観光目的で旧藩主の奥平一族が中心となって建てた模擬天守。

<基本データ>
●名称:中津城 (Wikipedia)
●所在:大分県中津市 (地図)
●城主:黒田孝高 / 細川忠興 / 小笠原氏 / 奥平氏
●築城:天正十六年(1588) / 慶長五年(1600)
●遺構:石垣、水濠
●情報:続日本百名城 No.191 (一覧)

訪問時期:2017年1月
中津城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

nakatsu-01_3435中津城跡へ。本丸の外側をぐるっと囲んでいた内堀がほぼ現存する。本丸は手前半分が駐車場、奥には中津大神宮・中津神社・奥平神社・城井神社・扇城神社の五社が鎮座し、江戸後半150年の城主を務めた奥平氏の歴史資料館である模擬天守が建っている。ちなみにこの鳥居の手前にある駐車場の入口になっている土橋は、お城のあった当時は無かった。

nakatsu-02_3368まずは天守に向かう前に、五社をぐるっと参拝しよう。駐車場奥のこの石段から中へ。古絵図を見ると本丸内部には「上ノ段」「下ノ段」の記述とともに南北に分割して描かれているので、下ノ段がそのまま駐車場になったような感じなのだろう。

nakatsu-03_3369まずは中津大神宮へ。廃城後の明治14年創建。伊勢神宮からの御分霊だとか。砲弾が奉納されている。

nakatsu-09_3377中津大神宮から更に奥へ。城井神社(きいじんじゃ)。

nakatsu-10_3378城井神社 由緒書。御祭神は宇都宮鎮房、戦国時代まで約400年間 豊前国守だった宇都宮家の一族。秀吉の九州平定後に豊前12万石で黒田官兵衛が入部することとなり、宇都宮家は今治へ移封となったが拒否、内戦状態となる。手を焼いた黒田長政は、和睦と見せかけ中津城内へ呼び出し宇都宮鎮房を謀殺してしまう。そんな宇都宮鎮房公を祀った神社。建立されたのは江戸中期の1705年という。

nakatsu-11_3379境内奥にはもう1つ、扇城神社が鎮座している。こちらも宇都宮鎮房公ゆかりで、彼が謀殺された際、家臣だった四十五人が異変を知り中津城へ攻め込み、激戦の末に悉く討死したという。その四十五人を祀った神社。大正時代に境内末社として建立。

nakatsu-12_3380こちらが扇城神社。小さなお社。

nakatsu-13_3381扇城神社 御祭神四十五柱の御名。黒田に謀殺された主君と忠臣たちが、その謀殺した主が建てた城の中の神社に祀られているというのは、何とも不思議な感じだ。

nakatsu-14_3423では模擬天守の方へ。大天守の手前には、江戸期後半150年で城主を務めた奥平氏を祀る奥平神社がある。奥にそびえる大天守、その右手前に土塀で繋がる二重櫓、と実にお城らしい雰囲気だが、すべて模擬建造物。

nakatsu-05_3373その奥平氏を祀る、奥平神社の御由来。

nakatsu-04_3372旧中津藩主 奥平家 説明板。元は奥三河の国衆だった奥平氏(三河亀山城主)は、戦国期 奥平信昌の代に徳川方に臣従し、武田 対 織田徳川の激戦「設楽原の戦い」で長篠城を見事に守り抜いたことで有名となる。その後も武功を重ね、加納城、宇都宮城などを経て最後は中津十万石の大名となった。

nakatsu-15_3419うーん。模擬天守だが、カッコいい。中津城はやっぱり「日本三大カッコいい模擬天守」だと勝手にカテゴライズしている。(日本三大カッコいい模擬天守:尾張清州城伏見桃山城、豊前中津城。城めぐりチャンネル調べ。)

nakatsu-16_3416では中津城天守へ登ろう。内部は奥平氏の歴史資料館となっている。五層天守。

nakatsu-17_3414うーむ。下見板張りの黒天守、かっこいい! 萩城天守を参考にしたとのこと。

nakatsu-18_3387なんという無骨なデザイン。すばらしい。模擬とは思えないこの貫禄。ちなみにこの場所にはかつては普通の隅櫓が建っており、本丸内には鉄門脇に三重櫓が建っていただけのようだ。

nakatsu-19_3392入口間近から見上げる。

nakatsu-20_3393中津城 天守内。中は五階建てになっており、それぞれのフロアで奥平氏ゆかりの品々が展示されている。1階はお土産屋さんと、奥平家に伝わる甲冑。

nakatsu-21_3397二階。特別展示室では、奥平氏の躍進のキッカケとなった「設楽原の戦い」関連の展示がなされていた。

nakatsu-22_3399中津城歴代城主一覧。分かりやすい。

nakatsu-23_3409長篠合戦図六幅掛軸。複製だと思うが、実に見ごたえがある。

nakatsu-24_3406武田勝頼陣営(「大」の旗印)と、討たれる馬場美濃守(右上)。

nakatsu-25_3402そして、長篠城の戦いと言えば彼、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)。援軍は来る! 三河の英雄を、豊前で見る不思議。

nakatsu-26_3410そして最上階へ。廻り縁に出ることが出来る。

nakatsu-27_3412かなり狭く、細い鉄柵なので下まで丸見えでちょっと怖い感じもする中津城天守。

nakatsu-28_3411中津城天守 最上階から見下ろす、中津城本丸。最初にくぐってきた石鳥居があるところが、本丸の端っこにあたる。

nakatsu-29_3413大天守を降りてきた。本丸内を続いて散策しよう。正面の二重櫓も天守と合わせて造られた模擬櫓。でも雰囲気が出ている。

nakatsu-06_3363駐車場の脇、模擬天守の正面あたりにある大きな「三斎池」。

nakatsu-07_3362三斎池 説明板。城内の用水不足を補うために細川忠興が隠居後に行った大工事で造られた貯水池とのことだ。

nakatsu_08a-3365.jpg池の脇にあった説明板より、本丸部分を主に掲載。今いる場所は本丸中央やや右の、赤字で「現在地」と書かれた場所。

nakatsu-30_3437本丸南側の水堀沿いの石垣を見てみよう。上端までしっかり残っているように見えるが、このあたりの石垣は破城の際に大きく壊されており、上半分ほどが復元だという。

nakatsu-31_3436復元された東側の石垣 説明板。かつて東西に長く築かれていた石垣は明治4年に一部破壊され道が出来、その際に東側の石垣(先程見たもの)は堀が埋められその上に飛び出た部分の石垣も破壊されたという。平成20年までの修復工事で水堀を掘り返し、地面の下に残っていた石垣を掘り出し、その上に西側と同じ高さまで石垣を積み上げた。また一見横一直線に見える石垣も、実は緩やかにカーブを描き崩れにくくする「輪取り」と呼ばれる技法が用いられているとか。

nakatsu-33_3439道を通すために破壊された土塁内部から出てきた、築城当時(黒田氏時代)の城内側の石垣跡。当時はここから堀までの分厚さしか無かったが、高さおよび幅が徐々に拡張されていったという。

nakatsu-34_3438増築された石垣 説明板。石垣の増築は城内方向のみのため、堀側の石垣は築城当時のままの姿を保っているとか。

其の二では、本丸外周を通って北側の二之丸へ向かいます。

>> 中津城 [2/4] へ続く。<<

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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