岡城 [6/6] 城の東側を守る、急坂の上にそびえる下原御門へ。

岡城 訪問記 其の六。

[前回までの訪問記 概要]
駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで桜馬場を通り抜け本丸を目指す。岡城で最も有名な姿、三ノ丸高石垣をガッツリ見る。太鼓櫓門から三ノ丸へ、滝廉太郎像がある二之丸を経て、御三階櫓があった本丸へ。最後に本丸東に伸びる尾根の先端に築かれた下原御門へ向かう。

訪問時期:2017年1月
岡城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

okajo_188_3236本丸南側の細い通路を通って本丸の東側を目指す。目の前の櫓台は「金蔵跡」。古絵図を見るとこの上には櫓ではなく蔵が描かれていた。築城時は櫓があった/建てる構想だったのかもしれない。櫓台と本丸部分(手前)の石垣の違いに注目。

okajo_189_3237本丸の東側、尾根状に築かれた食い違い虎口、東中仕切門跡。右側に大きな櫓台が築かれ、左側は石垣による絶壁。

okajo_190_3239東中仕切門より本丸石垣を見返す。金蔵石垣。自然地形に合わせて石垣もカーブを描くように築かれている。手前は堀切なのだろう、本丸へ向かう道を強制的に細くしている。

okajo_190a_3240.jpg手前の石垣の右端は、かつての石垣の端部から2-3mほど右側へ継ぎ足していることが分かる。ほんのちょっと、幅が足りなかったのだろうか。

okajo_191_3241東中仕切門跡。石垣の手前にある派手な看板は何と「登城バスのりば」。2015年から運行している、徒歩で登城が困難な方向けのマイクロバス無料サービスのようだ。誰でも乗れるわけではないからか、登城時はバスは見かけなかった。

okajo_192_3243バス運行のため、コンクリートが敷設されてしまった道。やむなし。

okajo_193_3245尾根道のやや下にあった、清水門跡。図面によるとこのまま降りると北側の川沿いに出られるようだ。ただ整備されているとは思えない。

okajo_194_3246では整備された車道を通って、本丸の東へどんどん進んでいこう。この先は三楽亭、御廟跡などがある。

okajo_195_3247低い石垣で区画された場所。図面によれば「三楽亭跡」のようだ。入口を求めて奥へ。

okajo_196_3248結構立派な桝形のような三楽亭の入口。三楽亭は、岡藩の藩校「由学館」の師匠から藩主が直接講義を受けたり、趣味を行うような場所であったとのこと(竹田市観光ツーリズムWebより)。奥にはゴミ箱も設置されていて、季節によっては花見などが行われるような場所なのかもしれない。

okajo_197_3249三楽亭跡 内部。かなり広い! この建物も明治の払下げで全て取り壊されてしまったのだろう。

okajo_198_3251このまま三楽亭の奥へ進む。石垣が三楽亭より高くなった。御廟所跡だ。

okajo_199_3253枯葉に埋もれて入るが、立派な石段があったことを思わせる跡。御廟所の入口。

okajo_200_3254御廟所跡 石碑。初代藩主中川秀成の父、中川清秀を祀っていたという。廟所(荘嶽社)は廃城後に山麓西方の中川神社へ移された。中川清秀は賤ヶ岳の戦いで秀吉方として戦い討死している。

okajo_201_3255立派な御廟所の石垣がずっと続く。絶妙にカーブを描いている。

okajo_202_3256廟所の裏口?か。この先は下原御門跡。

okajo_203_3257道が大きく左へ曲がる。この先が城の東側を守る下原御門となる。

okajo_204_3259下原御門の櫓門へ入るための入口か。

okajo_205_3260朽ちて落ちてしまっていた説明板。右側が無くなってしまっていて読みづらい。下原御門は連続する外桝形虎口を持つ門とのこと。

okajo_206_3263内側から下原門御跡を見る。道が左へ右へと曲がりくねっている。ビニールシートがある辺りに櫓門があった。

okajo_207_3264下原御門跡の外桝形内部より。

okajo_208_3266下原御門の出口側。搦手ルートとなり、バス運行のため整備された道がずっと奥へ続く。

okajo_209_3267下原御門からずっと奥へ続く道。この道を降りていけば城の南側斜面を通って駐車場まで戻ってくるはずで、その経路には(どこまで整備されているか分からないが)山麓の武家屋敷跡がある。訪問時はここで折り返してしまったのだが、このまま折り返さず搦手ルートから下城しても良かった。次回はここから帰ろう。

okajo_210_3269下原御門跡 全景。搦手ルートから上がってきた敵兵はこの結構な斜面の上にそびえる巨大石垣と御門を見ることになる。攻め落とせる気がしない。

okajo_211_3270下原御門の石垣。手前の高い部分と、奥の石垣の間を、櫓門が乗っかるように築かれていた。

okajo_212_3271下原御門 全景。中川氏が入城するまでは、ここ下原御門(当時は異なる名だったかもしれないが)が「大手門」だったという。

okajo_213_3272下原御門 城内側の石垣。長年の経過により、ややズレて来ているのが心配。

okajo_214_3265下原御門 説明板。大手門のところにあった説明と同じく、築城の名手 加藤清正公のアドバイスにより、ここ東向きの下原御門から、現状の西向きの大手門に正門を移したという。

岡城散策はここまで。ここで引き返し下城した。竹田の町を去る前に、城下にわずかだが残る当時の城下町っぽい雰囲気の通りがあったので、そこへ寄ってみることに。

okajo_215_3280土塀と石垣に囲まれた細い路地。「歴史の道」と名づけられたこの道沿いには、土塀と漆喰塀が残り、滝廉太郎記念館などもあるという。少し歩いてみよう。

okajo_216_3283巨大な長屋門。

okajo_217_3285当時の武家屋敷なども残る、岡藩城下町の雰囲気を残した道だ。

okajo_218_3288左右に多数築かれた土塀と武家屋敷の門。

okajo_219_3290崩れそうあるいは完全に表面が崩れてしまっている土塀も多かった。岡藩時代に築かれた武家屋敷の現存土塀なのだろうか? 他にも近くにはキリシタンの隠れ洞窟礼拝堂跡などもあるようだが、既に17時半で日暮れも近かったためここで終了し帰途についた。

噂に違わぬ山上の要塞っぷりを見せてくれる岡城跡。建物は全て撤去されてしまったのが残念だが、整備のおかげか力強い石垣はほぼ完存している。登城開始が14時半、駐車場に戻ってきたのは17時半前、約3時間の散策だった。時間に余裕を持って訪れ、じっくり見て回ろう。

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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