岡城 [5/6] 堅固な高石垣が守りを固める三之丸〜本丸へ。

岡城 訪問記 其の五。

[前回までの訪問記 概要]
駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで桜馬場を通り抜け本丸を目指す。岡城で最も有名な姿、三ノ丸高石垣をガッツリ見る。霧が深い。太鼓櫓門から三ノ丸へ。

訪問時期:2017年1月
岡城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

okajo_150_3188太鼓櫓門、三ノ丸高石垣の上から、桜馬場へ伸びる細い尾根上に築かれた食い違い虎口、西中仕切門跡を見る。

okajo_151_3182太鼓櫓門 全景。櫓台の隅の角に積まれていた石は両方共落ちてしまった(取られてしまった?)ようだ。

okajo_152_3189かつて巨大な櫓門がまたがっていた、太鼓櫓門の両石垣。

okajo_153_3190太鼓櫓門 石垣の上から見る三ノ丸全景。かつてここには殿舎と呼ばれる巨大な屋敷が建っていた。他藩の使者や家臣など重要人物が、藩主と会うための場所だったと言われる。

okajo_154_3191三ノ丸へ。殿舎跡。殿舎 右奥には四十畳の「寄附」や三十畳の「御広間」などがあり、手前には二十畳の「御次之間」もあった。

okajo_155_3194中央付近に「三の丸阯」の石碑が立つ。奥のロープに囲まれた場所には土壁の跡が僅かに残り、そこには「武具庫」と書かれた石碑があった。殿舎が江戸中期の大火で焼失したあとは、武具庫が建造されていたようだ。

okajo_156_3192三の丸跡 説明板。土蔵というのは先の武具庫のことだろう。

okajo_157_3195三の丸の奥には巨大な石垣。この上が本丸に当たる。天守は建てられなかったが、天守相当の三重櫓が右奥の一段高い櫓台の上に明治までそびえていた。時代の流れとは言え、惜しげもなく破壊されてしまったたのが残念でならない。

okajo_158_3193三の丸の端っこまで行くと、足元に築かれた「三ノ丸高石垣」がちらっと見える。あまり乗り出すと危ないのでこれぐらいにしておこう。左奥に見える石垣の向こう側は二之丸になる。本丸へ上る前に、順に二之丸へ行ってみよう。

okajo_159_3196このあたりはもう二之丸。左側に巨大な井戸が残る。右側の石段をあがると本丸へ。この石段のちょうど横ぐらいから奥は「二之丸御殿」だった。

okajo_160_3197L字型に伸びるような二之丸。ほとんど御殿が築かれ、先端部には月見櫓、いま建物(休憩所)が建っているあたりには風呂屋が造られていたという。今はその雰囲気はまったくなく、ただの細長い曲輪と化している。

okajo_161_3198二之丸跡 説明板。先端部には望楼を持つ月見櫓が、東側には二階建の風呂屋が築かれ、風呂屋の二階からは何と箱階段(屋根のある階段)から本丸へ直接あがるというルートも築かれていたようだ。本丸に居た藩主が外を通らず直接 風呂屋に行く&帰ることが出来る、といったことだろう。

okajo_162_3199ちょっと立派な土台がある二之丸阯の石碑。

okajo_163_3200そして二之丸で見逃してはならないのは、岡城を現在に至るまで最も有名にした作曲家、滝廉太郎の銅像。幼いころ、廃墟と化した岡城跡で遊んで抱いた気持ちを想像しながら、唱歌「荒城の月」を作曲した、と伝わる。作詞は土井晩翠、彼は青葉城(仙台城)と鶴ケ城(会津若松城)で構想したと言う。まさに日本を代表する名城跡で作られた名曲だ。

okajo_164_3201二之丸から見返す、三の丸高石垣。谷を超えて右奥の方にも石垣が見える。本当に巨大な総石垣の山城だ。

okajo_165_3202二之丸の先端部、かつて月見櫓が建つ優雅な場所からの眺望。まさに城下を一望。

okajo_166_3203では本丸へあがってみよう。二之丸御殿の玄関部の横に築かれた石段から上がる。あがった先には巨大な御門があった。

okajo_167_3204さすがは本丸という雰囲気のよく加工された石段。古絵図を見ると、この上がったところに巨大な門があり、左右には多聞櫓が巡らされていた。

okajo_168_3205本丸へ。今は神社が鎮座するのみ。左端に見える建物は、かつて二之丸の風呂屋の二階から繋がっていたという箱階段を参考に造った建物。下の建物(休憩所)とつながっている。

okajo_169_3207本丸阯 石碑。

okajo_170_3209本丸に建つ岡城跡 説明板。すべての建物は明治7年に払下げで取り壊された。それ以降は放置され、荒れ果てた岡城跡で幼き頃の滝廉太郎(当時竹田在住)が幾度と無く遊び、その印象を元に明治34年に「荒城の月」を作曲した。他にも「雪やこんこ」など作曲していた若き天才作曲家だったが、わずかその2年後に肺結核で亡くなってしまう。享年なんと23歳。

okajo_171_3215本丸全景。周囲を多聞櫓と御三階櫓など重層櫓で囲んだ堅固かつ豪壮な雰囲気を醸し出していた。明治初期に撮られた破壊前の写真(外部リンク)を見てみよう。中央には巨大な本丸御殿。

okajo_172_3211本丸奥には真新しい拝殿を持つ岡城天満神社が建つ。2016年に修復されたという。

okajo_173_3212岡城天満神社 由緒書。1593年に中川秀成が入部した際に城内東側にあった天神祠を移設したことに始まる。菅原道真公を祀り学問農業財産を守る。廃城後は村社となり、明治43年には城下町に遷座、整備が進んだ昭和30年には再び戻り、その際に社も新設された。それが60年を経て老朽化が進んだため、まさに平成28年(2016) 解体修理されたという。

okajo_174_3213荒城の月の詩が彫られた歌碑。普段 城跡に無数に建つ歌碑の類は撮らないが、さすがに超有名曲「荒城の月」は紹介せずにはおれない。春高楼の花の宴。

okajo_175_3214歌碑の説明板。作詞した土井晩翠の直筆を刻んだものだとか。

okajo_176_3216本丸奥から見る二之丸の高石垣。こちらもまさに山上の要塞。

okajo_177_3221本丸の東端には、かつて「金蔵」と呼ばれる多重櫓が建っていた。そこへ行ってみよう。終始厚い雲に覆われていた訪問日だったが、此処に来て急に晴れ間が見えてきた。しかし時刻は既に16時半過ぎ、西日状態で赤くなる。

okajo_178_3219金蔵跡。本丸南東端にあたる。

okajo_179_3217金蔵跡から更に西奥を見下ろす。本丸の西側を守る食い違い虎口である「東中仕切門跡」が見える。後ほど行ってみよう。

okajo_180_3222金蔵跡から見る本丸全景。雲の切れ間から晴れ間が覗き、幻想的な雰囲気になってきた。

okajo_181_3224岡城跡の古い石碑。明治建立。漢文で書かれている。奥に見える建物は、二之丸の休憩所まで続く階段。今見れば、ここを通って一度降りて藩主の気分を味わってみればよかった。

okajo_182_3226本丸から見下ろす、三の丸全景。中央の武具庫跡はやや盛り上がっている事がわかる。また向かって左側は一段低くなっており、そこを進めば本丸南側を通り過ぎて、先ほど金蔵跡から見下ろした東中仕切門跡 方面へ向かうことが出来る。

okajo_183_3208本丸南西端の御三階櫓跡。内側は低い石垣がL字型に築かれているだけのように見える。古絵図を見ると、御三階櫓はL字型の土台のうち奥の長方形部に築かれており、手前の部分には附櫓的な別の櫓が建っていたようだ。

okajo_184_3230では本丸から降りて東側へ向かおう。最初に登った二之丸側の石段より。二之丸と三之丸をつなぐ門の跡が見える。

okajo_185_3231三之丸へ。本丸西端沿いに南へ。左奥の巨大な石垣は、御三階櫓跡。

okajo_186_3233三之丸の南東部に築かれた、御三階櫓の真下の出入口から外側の通路へ。ここから見上げる本丸の石垣は大迫力。石垣はキレイに表面を加工された石材を、目地を横に合わせずに一見乱雑に積み上げた、整層乱積とも呼ばれる技術で積み上げられた石垣。石同士が強く接合し、築城から400年以上たった今でも全く孕みも崩れもしていない。

okajo_186a-3234.jpg三之丸側の石垣と見比べてみる。三之丸側の石垣は手前の方も完全に長方形に整形した石垣を整然と積み上げた切込み接ぎのお手本のような石垣だった。

okajo_187_3235本丸南側の細い路地を通って奥へ。このあたりまで来ると石垣は野面積みに変わってしまった。ビシっと整っていたのは正面側だけのようだ。

>> 岡城 [6/6] へ続く。<<

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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