岡城 [4/6] 深い谷の上にそびえる、圧巻の三ノ丸高石垣。

岡城 訪問記 其の四。

[前回までの訪問記 概要]
駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで本丸を目指そう。

訪問時期:2017年1月
岡城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

okajo_3004s.jpg再掲 岡城跡マップ。では本丸へ向かって行こう。現在地は左下の赤丸。大手門を入って、西之丸御殿(東門)の正面あたりから、北東へ伸びる道をまっすぐ進む。

okajo_113_3135右側は斜面で、土塁が壁を成している。左側は石垣の土台を持つ武家屋敷群だ。この道は桜馬場とも呼ばれる。

okajo_114_3136やや崩壊気味の階段を上がって上へ。

okajo_115_3137朱印蔵跡、と石碑が立っている。武具方跡の真南にあたる。

okajo_116_3138更に進むと、高さは低いものの、かなり広くまた加工が進んだ土台を持つ屋敷跡へ。道の右側も少し広がっている。

okajo_117_3139道の右側のやや広がったところ。土塁が大きく膨らんでいる。

okajo_118_3140土塁の上へあがってみて斜面側を覗いてみたが、このとおり木々が生い茂りよく見えなかった。絵図によると、この直ぐ下には城の西と東を直接結ぶ道があり、その下にも武家屋敷群跡があるのだが、この様子では全く整備されていないのかもしれない。

okajo_119_3142ここは中休所跡とあった。休憩所な名前だが、資料によるとここには櫓台があり下の坂道を監視していたり、藩医の詰所だったりしたとのこと。

okajo_120_3141中休所跡の正面にある広い屋敷跡。ここは勝手口のような場所で、奥に正面玄関跡が残るので、そちらから入ろう。先へ進む。

okajo_121_3144かなり巨大な屋敷への入口。礎石もしっかりと残る。巨大な門が建っていたのだろう。

okajo_122_3145門を越えて、石畳のスロープを上がる。かなり広い!

okajo_123_3146ここは中川但見屋敷跡。民部・覚左衛門・但見の3つの武家屋敷があるといっていた中で、最も本丸に近い場所にある。元亀の頃から中川家に仕えた、歴代藩主の家老職。初代 中川秀成が慶長期に入部した際、本丸完成まで仮屋敷として住んでいた場所でもあるという。

okajo_124_3147巨大な屋敷門跡を上から。

okajo_125_3149中川但見家老屋敷跡の先端部。何やらあった跡が残るが、何の跡かは分からなかった。

okajo_126_3150家老屋敷の周囲はガッチリ石垣で固められている。この道を奥へ進めば、トイレのあった賄方跡へ通じる。

okajo_127_3151但見屋敷跡の奥は、城代屋敷跡。城主不在時の代理城主の役割を持つ人が住んだ場所か。しかし先程の但見屋敷と比べると、場所こそ本丸に近いが、石垣も余り無く低くなっており、格の差が感じられる。

okajo_128_3152桜馬場跡もいよいよ先端まで来た。左右が狭くなってくる。

okajo_129_3153桜馬場跡の最も本丸に近い場所には「籾蔵跡」。

okajo_130_3154谷を越えた向こう側を見ると、中川覚左衛門の家老屋敷跡などの石垣が見える。

okajo_131_3273そしていよいよ本丸群へ通じる城門跡へ。尾根も最も狭くなり、その上に更に石垣で虎口が設置されており、この細い道を通らないと向こうへは全く行けない状態。そして、この左側、谷側に設置された高石垣が、岡城で最も有名な姿だろう。虎口を通る前にその高石垣をしっかり見ていこう。

okajo_132_3155岡城 三ノ丸高石垣。冬場で草が枯れていることもあり、しっかりとその姿を見ることが出来た。左側は谷で、斜面もかなり急になっている。かつては土塀などが築かれ、ここからあの高石垣は見えなかったかもしれない。

okajo_133_3156今居る場所(桜馬場跡)の下も石垣のようだが、奥の三ノ丸部分の高石垣は、まさにどうやって築いたのかと思わせるほどの、断崖の中にそびえたつ超高石垣、という風情。霧も出てきて幻想的な雰囲気になってきた。

okajo_134_3159霧の中の、岡城 三ノ丸高石垣。石垣が建つ谷はかなり深く、清水谷とも地獄谷とも呼ばれる。

okajo_135_3276こちらは帰りに撮った、霧が晴れ日が少し出てきたタイミングでの一枚。霧に囲まれた上の写真と、まったく雰囲気が異なる。

okajo_136_3165では虎口を通って本丸群へ入ろう。全く奥が見えないほど、道が折り曲げられている。かつてこの先には巨大な櫓門が建っていた。

okajo_137_3168虎口の内部あたりから見た、三ノ丸 高石垣。400年前に、すべて手作業で積み上げられた。

okajo_138_3169貫木門跡。絵図には西中仕切跡、とあった。礎石も残る。石垣はきれいに切りそろえられた石材が整然と積まれた、切込み接ぎ。

okajo_139_3174虎口を越えると、やや広い桝形的な場所。奥の巨大な石垣の先が、三ノ丸になる。

okajo_140_3170西中仕切跡。ここにもかつては櫓門が建っていたのだろう、上にあがる石段もしっかりと残っている。

okajo_141_3171西中仕切跡 全景。手前の石垣前には「鐘楼」と石碑が建っている。

okajo_142_3172三ノ丸前の大石垣へ。右側に三ノ丸を迂回してそのまま奥へ進むことが出来る通路も見える。

okajo_143_3177三ノ丸の入口、太鼓櫓門跡。ここも巨大な櫓門があったのだろう。奥に見える大きな石垣の上が本丸、二之丸はここからは見えないが左奥にあたる。

okajo_144_3178太鼓櫓台。巨大な石材がきれいに切りそろえられている。中央部も、今までは野面積みな場所も多かったが、ここは完全に切込み接ぎだ。

okajo_145_3179太鼓櫓門を越えると、石垣で固められた桝形へ。右側の幅広(5m)の石段が通用口で、左側の小さな石段(幅2m)は藩主専用の入口「御成門」だった。左側から入るとちょうど三ノ丸殿舎の正面玄関の真ん前に出るようになっている。

okajo_146_3180桝形正面に埋め込まれた巨石。右側は大きく赤く、鉄板のような力強さがある。左側は複雑な形をしているが、その周囲に、巨石に合わせて加工された小さな石がパズルのようにはめ込まれている。当時はこのうえに土塀あるいは多聞櫓が囲っていたことだろう。

okajo_147_3184三ノ丸の殿舎跡へはいる前に、先程見た三ノ丸高石垣を上から見下ろしてみよう。御成門跡から入って、さらに奥の櫓台跡へ。このあたりが三ノ丸高石垣の真上にあたる。ここには古絵図によると、太鼓櫓門から続いて多聞櫓と重層櫓が建ち並んでいた。

okajo_148_3187三ノ丸高石垣の折れ曲がりの部分。かなりの高さがある。下にはちょっとした通路のような幅があるようだ。堀ではないが、犬走り風。

okajo_149_3181三ノ丸高石垣の上から、谷側を見返す。かつてはここに二重櫓などが建ち、更に数m上から岡城全体が見渡せたことだろう。

>> 岡城 [5/6] へ続く。<<

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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