岡城 [3/6] 古絵図から平面復元された家老屋敷跡群へ。

岡城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
駐車場から坂道を上り大手門跡へ。巨大な櫓門が建っていた大手門跡には石垣のみが残る。かつて巨大な御殿があった西之丸から、駐車場の真上に位置する角櫓を経て、西之丸北東部の家老屋敷跡を経て近戸門跡へ。

訪問時期:2017年1月
岡城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

okajo_73_3070西之丸の北東部に位置する、城内に三つある出入口の一つ、近戸門跡。

okajo_74_3071近戸門跡 説明板。慶長元年(1596)には既に完成していた近戸門は、周囲を武家屋敷と6つの櫓で固め、宝永三年(1706)の大手門改修時には古御門をここ近戸門へ移築したという。明和の大火で焼失し再建。発掘調査から礎石・車敷・番所跡が見つかったという。大火で焼失した過去を反省してか、「是より内、たいまつともす事、くわえきせる、固停止」と彫られた石碑も出土したとか。

okajo_75_3072近戸門そばにあった岡城跡マップ。現在地は左上の赤い。近戸門を降りると、七曲りの道を経て、最初の駐車場(総役所跡)まで降りられるようだ。

okajo_76_3074それでは近戸門跡の石垣を見てみよう。しっかり加工された隅部の算木積みと、内側は荒く加工された野面積み(一部は角を下に積みあげる落し積みのようにも見える)に近い手法で積み上げられている。

okajo_77_3077近戸門跡 外側から。堅固な御門を想像させる姿。

okajo_78_3080近戸門から下を見る。山道が七曲り状に下の駐車場まで続いている。

okajo_79_3082七曲り道を少し降りたあたりから、近戸門を見上げる。奥の石垣はカーブを描くかたちで積まれている。

okajo_80_3083では近戸門から再度西之丸へ入り、武家屋敷群の奥を見に行ってみよう。両側を石垣で固められた通路。

okajo_81_3085普請方跡の石碑。普請(ふしん)とは工事のことで、城内の土木・建築業務を一手に担っている部門の事務所があった場所だろうか。

okajo_82_3087左の広場が普請方。普請方の一段下を通って更に奥の家老屋敷跡へ行けるようだ。

okajo_83_3088普請方から本丸方面を見る。今は低い石垣のみで木々のためよく分からなくなっているが、当時は櫓や屋敷等が並び、ここからでも本丸方面の様子がよく見えたことだろう。

okajo_84_3091普請方の先端部から見た、西之丸の最も東北方面に建つ屋敷跡。平面復元されているようだ。櫓台のような石垣も見える。

okajo_85_3092普請方の周囲を固める石垣。2mほど高く積まれている。

okajo_86_3093左端の石垣の上が普請方。正面奥へ進めば西之丸の一番東の奥へ。右前が谷になっていて、その手前を右側に進めば、本丸方面へと繋がる。

okajo_87_3094家老屋敷跡、との石碑が建っている。普請方の奥は一体が家老屋敷が建ち並んでいたようだ。

okajo_88_3096石垣の上へ上がる石段と、その下にはトンネルのようにくぐって同じく上へあがることが出来る「埋門(うずみもん)」があった。

okajo_89_3097見返す。地面を見ると石列が見える。今は広い道になっているが、当時は細かく区画されていたのかもしれない。右側の石段の下の埋門も、有事の際などに用いるのみで、普段は土塀など囲まれ見えない位置にあったのだろうか。

okajo_90_3098石段を上がって奥へ。中央分離帯のような石列もある。

okajo_91_3102西之丸 最東端の屋敷跡へ。先ほど、普請方から見た平面復元されていた屋敷跡だ。

okajo_92_3100中川覚左衛門屋敷跡 説明板。江戸期を通じて岡城主だった中川氏と同じ苗字だ。説明板によるとなんと古田織部の子孫で、藩主の中川氏に代々仕え、そのため中川の姓を賜り、1745年にこの屋敷へ移ったという。字 奥近戸。詳細な絵図が残り、発掘調査で見つかった礎石等から、平面復元を行っている。

okajo_93_3101中川覚左衛門屋敷跡。ここは玄関。

okajo_94_3104板の高さは畳の面、柱の位置も正確に復元されている。

okajo_95_3105石垣で折り曲げられた小さな堀のような場所。これは何だろうか。

okajo_96_3106奥書院と書かれた部屋の奥にあった、二段の石垣。見張り台的な場所だろうか?詳細不明。

okajo_97_3108中川覚左衛門屋敷跡から、谷を経て見る本丸方面。肉眼では石垣がずーっと続いているのが見えるが、写真にすると低くて木々に埋もれて見づらい。見える範囲すべてがお城。ぜひ現地でこの広さを体感してほしい。

okajo_98_3112では谷をぐるっと回り込んで、本丸方面を目指そう。谷の斜面に土を盛り、崩れないように石垣で固めている。

okajo_99_3113段々畑のような石垣。

okajo_100_3114カーブを描く石垣が築かれていた。そこから見返す、中川屋敷跡方面。

okajo_101_3115西之丸御殿の下にあった中川民部屋敷跡まで戻ってきた。右側が民部屋敷跡。正面の石垣の上は、西之丸御殿の一段下の小さな曲輪部。

okajo_102_3116今は石垣しか残っていないが、それでも迷路のような複雑な城内の様子が伺える。ここに土塀や櫓や木戸などが建ち並んでいると、まさに知らないとすぐに迷ってしまうことだろう。

okajo_103_3118中川民部屋敷跡と、その奥に見える普請方、中川覚左衛門屋敷跡。

okajo_104_3122s西之丸御殿跡の石垣のすぐ下を通って南へ。左奥に見える白い建物は、現在 周辺の維持修復工事を行っている業者の詰所のようなところだった。

okajo_105_3123下を見下ろすとキレイな城壁の建物。実はトイレ。雰囲気が出るように造ってある。トイレがある場所が「賄方跡」、その一段上(右側)が「武具方跡」。

okajo_106_3125西之丸御殿跡の一つ東隣りの小さな曲輪へあがるための石段。ここから上がり、更に奥の石段を上がると、西之丸御殿となる。一番右奥に見えている石垣の上が御殿跡。ここから上へはあがらず、このまま左へ進もう。

okajo_107_3126かつて木戸が建っていたのだろう、柱穴の空いた礎石が残っていた。

okajo_108_3127本丸に向かう前に、先程上から見下ろした、トイレのある賄方跡と武具方跡を見に行ってみよう。まずはトイレ前へ。奥の石垣が立派だが、あそこは武具方跡の更に奥にある、中川但見家老屋敷跡にあたる。

okajo_109_3128賄方跡の石碑と説明板。奥は谷だ。

okajo_110_3129賄方跡の説明板。江戸後期にあった建物のようだ。史料によると、登城した者は、まず「総役所」(駐車場)にて献上品を差し出し、ここ「御賄所」で待たされ、西之丸御殿の「獅子之間」敷居の外側から、御殿へ出座してきた藩主と対面できる、とあるそうだ。よってここ賄方は、訪問者へのもてなしを行う場所(茶などが出た?)だったのでは、とのこと。

okajo_111_3130一段上の「武具方跡」。奥の石垣の上は家老屋敷になるが、そちらは本丸へ向かう本道沿いに正面入口があるので、そちらから見に行くこととする。

okajo_112_3132武具方跡の正面には、美しくカーブを描いた石垣。大手門を越えてすぐにあった西之丸御殿へと続く巨大スロープのある曲輪だ。奥に巨大スロープの横側が少しだけ見えている。西之丸をぐるっと一周してきたことになる。

其の四では、左奥の本丸方面へと向かいます。

>> 岡城 [4/6] へ続く。<<

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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