岡城 [1/6] 「荒城の月」で有名な超巨大要塞の遺構。

豊後岡城
岡城は大分県中部の山中にそびえる総石垣の近代山城。歴史的には豊後の戦国大名 大友氏の家臣だった志賀氏の居城に始まり、秀吉時代に城主となった中川秀成が総石垣に大改修、明治まで中川氏の一族が治めた。しかし岡城の名を最も有名にしているのは、廃墟と化した岡城跡での思い出を元に書いた滝廉太郎作曲の唱歌「荒城の月」によるものだろう。ちなみに作詞は別の人でテーマも仙台城会津若松城とのこと。山上には荒城の月の歌碑や滝廉太郎の銅像などが建ち並ぶ。現在山上には巨大な石垣で築かれた要塞の跡のみが残る。

<基本データ>
●名称:岡城 (Wikipedia)
●所在:大分県竹田市 (地図)
●城主:志賀氏 / 中川秀成
●築城:14世紀頃 / 1594年(文禄3年)
●遺構:石垣
●情報:日本百名城 No.95 (一覧)

訪問時期:2017年1月
岡城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

okajo_01_3279岡城は比高100mほどの山上にある。山麓の城下町から歩いても上がれるが、東西に伸びる城跡の西端・西之丸の一段下にあった総役所跡が駐車場となっており、そこまで車であがることができる。駐車場からは、頭上に巨大石垣が広がっている様が見える。

okajo_02_2961まずは駐車場奥にあるこの建物の窓口で受付を済ませてから上がろう。史跡保存料として300円を収める。いただける巻物状のパンフレットがステキ。

okajo_03_2963入口脇にある巨大案内板。稲葉川と白滝川で囲まれた山上の尾根 全体に巨大城郭が築かれていた。

okajo_04_2964城郭主要部のアップ。現在は左端の「総役所跡」ここから斜面を通って大手門から入城する。西部は御殿や家臣屋敷などが並んでいたU字形の西之丸、中央が三層櫓などが並んでいた本丸・二之丸・三ノ丸などの主要部、そして東側は御陵跡などの搦手エリアとなる。

okajo_05_2966では駐車場から坂道をあがって大手門を目指そう。この先はお土産屋などが並ぶスペースがあり、しばらく舗装されている。ところどころ残る石垣や岩盤などを見ながら登る。

okajo_06_2968車道沿いに並ぶ建物群。ペンション荒城の月。

okajo_07_2969お土産屋さんの前には、鉄砲方詰所跡の石碑。竹田市の名物、しいたけ・かぼす・姫だるま。

okajo_08_2971お土産屋を回ると、巨大な岡城跡碑と、その奥にそびえる大手門跡の石垣。

okajo_09_2973史蹟 岡城阯碑。揮毫は、最後の岡藩主 中川久任の孫 中川久順氏。

okajo_10_2972石碑の横にある岡城跡 説明板。昭和11年の国指定史跡の申請書に書かれた内容を現代文に改めたという変わった内容。

okajo_11_2975奥に立つもう1つの城跡碑。

okajo_12_2977緩やかな坂道をあがっていく。途中から総石垣の壁となる。この道はかつての大手道で、上に見えている巨大な立方体の石垣が、大手門があった場所。

okajo_13_2980岩盤の壁の下まで来た。ここからは石垣で岩盤沿いに築かれた急な階段を一気に大手門まで上がる。

okajo_14_2982大手門まで一気にあがる石段。キレイに加工された石段や手すり部分は当時の遺構だろうか?ちなみに昭和初期に廃墟化していた岡城跡を公園化し一般公開した、とあり、その際に築かれたものも多く混じっている可能性が、ある。

okajo_15_2983石段を上がっていく。なかなかの急階段。

okajo_16_2984ヘアピンカーブを曲がると大手門が見えてくる。なんだかヨーロッパの城にいるような錯覚に陥る構図。

okajo_17_2986右端に築かれた小さな階段は公園化の整備か。奥の大手門石垣の上部が凸凹になっているのが、ヨーロッパっぽいイメージを持つ理由かもしれない。

okajo_18_2987大手門石垣へ。右側手前に小さな台座がある。右側の大手門櫓台石垣 中央部に大きな石が埋め込まれている。大きな石は鏡石と呼ばれ、石工たちの技量の高さを見せるもの、または城に来たものを驚かさせる(技術力の高さ=大名の力の大きさを示す)とも言われる。大きな石の周囲に小さな石を並べる積み方を「笑い積み」と呼ぶこともある。

okajo_19_2988大手門櫓台石垣。かつてこの上に巨大な櫓門が建っていた。明治の廃城時に競売に掛けられ、他の建造物同様すべて撤去された。

okajo_20_2990大手門跡 説明板。礎石と車敷が残る、と書いてある。車敷とは何を指すのだろうか? 大手・近戸・下原の三箇所に入口が築かれ、当初の大手は東側(下原御門のことか)だったが、1612年に藤堂高虎のアドバイスによって西向きのここを大手門と改めた、という。

okajo_21_2991大手門内に残る、柱の穴が彫られた礎石群。

okajo_22_2992大手門を越えた先は桝形が築かれていた。

okajo_23_2993大手門と桝形跡を正面から。奥には二之丸御殿があった場所の巨大な石垣も見える。大手門櫓台へ上がるための石段はすっかり崩壊している。

okajo_24_2999大手門と桝形、全景。

okajo_25_2994大手門桝形入って正面、かつては桝形の土塀などがあって見えなかった位置にあたるが、そこに古い崩れた石垣が残る。古大手門跡という石碑が建っている。先の説明板にあった、築城時の旧御門はこちらだったのだろう。改めてコチラを大手門とするに当たり、この門では小さすぎるので、巨大な御門を作り直したのだろうか。

okajo_26_2997旧大手門の櫓台から。旧大手門は、新大手門に比べ、非常に小さく狭い門だったようだ。城の正面玄関である大手門がこれでは、確かに心もとない。

okajo_27_2996旧大手門櫓台から、大手道方面を見る。出てすぐに堀切のような凹みがある。

okajo_28_3003旧大手門の櫓台から伸びる、西之丸南端の石垣。

okajo_29_3004-1大手門入ったところにある詳細な岡城跡の図面。細かく書かれているが、字が小さいので写真では拡大しないと読めない。左右を分割して掲載しよう。

okajo_30_3004-2岡城跡 西半分。まずはこのU字型の西之丸・家老屋敷群を巡る。

okajo_31_3004-3岡城跡 東半分。東の端にはかつての大手口だった下原門跡が残る。

okajo_32_3005では西之丸を散策しよう。大手門から入って直ぐ、巨大な階段を持つ石垣の土台が目立つ。「近戸門跡」と書かれた標柱が見えるが、上の「右」という字の色が消えている。ここに門があったわけではなく、右奥へ進むと、かつての三つの門の一つ「近戸門跡」へ行けますよという標柱。ややこしい。

okajo_33_3006西之丸跡 説明板。目の前の石段の上には巨大な「東門」が建ち、その奥のもう一段上には巨大な西之丸御殿(西御丸)が築かれていたという。江戸中期に一度火災焼失しているが再建され、明治まであったようだが、こちらも廃城で取り壊された。

okajo_34_3007西之丸へ上がる巨大なスロープ状の階段。その奥のもう1段高いところに御殿があった。御殿まで続く巨大なスロープは、その荘厳さを際立たせている。

okajo_35_3008スロープをあがったところ。正面の石垣の上にかつて西之丸御殿があった。今いる場所は西之丸の入口にあたる「東門」。足元に礎石らしき石列が残る。

okajo_36_3010東門跡の石碑。スロープの上がった先を塞ぐように建っていたようだが、大半は土塀で、門自体はスロープ中央の石段がある幅程度のものだったようだ。

okajo_37_3012二之丸御殿がある石垣台には、正面の小さな階段と、右側奥に大きなスロープがある。正面の階段も古絵図に描かれているが、玄関は右側のスロープをあがった先にあったようだ。小さな階段は普段は使われていなかったのだろうか。

>> 岡城 [2/6] へ続く。<<

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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