臼杵城 [4/4] 海に面した東の搦手口を守っていた現存 卯寅口門脇櫓へ。

臼杵城 訪問記 其の四。

[前回までの訪問記 概要]
古橋口から入城、岩場をくり抜いたような急な坂道を登り、現存畳櫓を通って帯曲輪へ。大門櫓を越えて、二之丸へ。外周部に残る櫓台跡を巡ってから、二之丸中央に鎮座する臼杵護国神社へ参拝。大友宗麟公のレリーフを見て、空掘を越えて本丸へ。かつて三層の天守と附櫓が建っていた天守台は大きく破壊されていたようだ。現在は平面復元。

訪問時期:2017年1月
臼杵城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

usuki_90_2859本丸奥に鎮座する卯寅稲荷神社。狛犬が狐さん。鳥居を越えて奥へ。このまま本丸奥の下部へ降りることが出来る。

usuki_91_2860かつて海辺の船着き場だった、臼杵城の東岸が見えてきた。今はすっかり埋め立てられている。

usuki_92_2863赤鳥居の道。伏見稲荷大社の雰囲気をほんの少しだけ味わえる?

usuki_93_2864鳥居の隙間から垣間見る、東岸。卯寅口と呼ばれる海に面した出入口があった。卯寅=東北東。井戸があることから、井戸丸とも呼ばれた。

usuki_94_2865卯寅口を見下ろす監視櫓の一つが現存する。卯寅口門脇櫓。

usuki_95_2866卯寅口 説明板。うとらぐち、ではなく、うとのぐち、が正しい読み方のようだ。本丸の海側の出入口で、いわゆる搦手口にあたる。卯寅口門脇櫓は、江戸中期の絵図では「御鉄砲薬櫓」と記されており、時代により呼び名や役割も異なったようだ。

usuki_96_2868櫓の向かって右側には岩盤を切り裂いた道が伸びるが、これは明治以降の新設道。埋め立て以降の参道だろう。

usuki_97_2871井戸跡と井戸丸説明板。

usuki_98_2872下へ降りてきた。まだ緩やかな斜面が続いており、当時はこの先が卯寅口と呼ばれる搦手口。

usuki_99_2874本丸側は巨大な石垣。当時の遺構かどうかは、整然と積まれすぎている感じもして、よく分からない。

usuki_100_2875井戸丸の様子。左側に現存櫓があるが、当時は右側にも櫓があり、両方から見下されている場所だった。

usuki_101_2877井戸丸 全景。かつては海に面した、舟からしか入れない搦手口だったが、埋め立てられて今はその雰囲気は無い。

usuki_102_2878車道まで出ると、城跡公園の入口にあたる場所に冠木門と城跡碑が建っていた。

usuki_103_2879では井戸丸から向かって右側の本丸方面に上がってみよう。見上げると、補強された斜面の上部には当時のものかもしれない石垣の一部が垣間見えた。

usuki_104_2883本丸へ上がる道すがら、卯寅口門脇櫓を見る。岩盤の上に築かれた監視タワーの雰囲気。

usuki_105_2886本丸側から見下ろす、井戸丸 全景。

usuki_106_2887本丸奥へ登ってきた。庭園化しているが、一番奥に、卯寅口門脇櫓とともに、搦手口および東の海を見張っていた櫓の跡が残るので行ってみよう。

usuki_107_2890本丸の東端へ。飛び出た先っぽに削平地があり、ここが櫓跡となる。亀首櫓跡。かめのくびやぐら。

usuki_108_2891亀首櫓跡の先端部。古絵図を見るとこの先は当時はもっと伸びていたようだ。遥か奥に現在の後退した海岸部と、ぽこっと盛り上がった津久見島が見える。当時はこの真下からあの島までずっと海だった。

usuki_109_2896では本丸から北端の道を通って、二之丸北側を経由して新橋口から下城しよう。こちら側にも幾つかの櫓が建っていた。埋門前櫓跡。この向かい側には二之丸外周の石垣があったが、帯曲輪から二之丸へ入る埋門があったということだろう。

usuki_110_2897帯曲輪から見る二之丸側の石垣。どこまでが当時の石垣なのかは分からないが、これぐらいの高さの石垣が折り曲げられながらずっと続いている。

usuki_111_2898かつて帯曲輪を分断していた、上之門跡と着到櫓台の石垣。上之門跡は桝形だったとされるが今は帯曲輪が車道化しており石垣が失われている。

usuki_112_2899着到櫓台。

usuki_113_2900着到櫓台。この先は道が左右に別れており、まっすぐ進めば帯曲輪の鐘楼跡へ。右へ曲がれば三ノ丸へ通じる新橋口へと繋がる。この櫓は新橋口側から登城してきた人を見張る場所に位置する。

usuki_114_2902新橋口へ通じる坂道。稲葉氏の時代に石垣で新たに構築された道。

usuki_115_2903新橋口へ通じる道。戦いのための城から、藩主の威勢を示すための魅せる城に変わったことで、太く造られた道となっている。

usuki_116_2904新橋口を登城してくる人の眼線で見る。正面に巨大で直線的な二之丸外周の石垣。左の櫓台の上には二重櫓が建ち、その奥には上之門の桝形および城門がそびえていた。

usuki_117_2905左右の岩盤にも崩壊防止のための細かい石垣が残されていた。

usuki_118_2907三ノ丸から堀を越えて帯曲輪へ入るために築かれた石橋。

usuki_119_2911新橋口。当時はこの橋の手前にも城門があったのだろう。

usuki_120_2923では最後に城下町を少し散策。稲葉家下屋敷跡が残るので訪問してみよう。江戸時代の建造物ではなく、廃藩置県の後に旧藩主の邸宅として築かれた建物だそうだ。

usuki_121_2921屋敷の前の水路(当時は堀か)には鯉が泳いでいた。

usuki_122_2924旧臼杵藩主稲葉家下屋敷 説明板。入館料320円。ちなみに稲葉家下屋敷の奥には江戸末期に建てられた上級武家屋敷の旧平井家住宅もある。

usuki_123_2925式台付きの立派な玄関。

usuki_124_2956広い居間。

usuki_125_2944奥の庭から。

かつて豊後を支配した戦国大名・大友宗麟が築いた島の要塞は、江戸時代に稲葉氏によって総石垣造りの近世城郭へと大改修された。明治に周囲が埋め立てられ「島の要塞」としての姿は失われたが、よく残る石垣と周囲の断崖からその雰囲気は十二分に残っていると言える。

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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