臼杵城 [3/4] 空堀の底から三層天守が建っていた天守台を見る。

臼杵城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
古橋口から入城、岩場をくり抜いたような急な坂道を登り、現存畳櫓を通って帯曲輪へ。大門櫓を越えて、二之丸へ。外周部に残る櫓台跡を巡ってから、二之丸中央に鎮座する臼杵護国神社へ参拝。大友宗麟公のレリーフを見て、本丸へ向かおう。

訪問時期:2017年1月
臼杵城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

usuki_61_2805二之丸の護国神社奥はグラウンドになっている。地図上では多目的広場と記載されているが、グラウンドだ。グラウンドの手前には井戸がある。

usuki_62_2806グラウンドの外周に奥へ向かう道が伸びる。右側の石垣の上は柵がされていて入れないが、こちら側にもかつて土塀や櫓が建ち並んでいた。

usuki_63_2807柵の向こう側に残る、せり出すような櫓台。儀太夫前櫓跡。ぎだゆうまえやぐら。

usuki_64_2808グラウンドを越えて行くと、奥に石垣が見えてきた。石垣の向こう側は本丸にあたる。

usuki_65_2815本丸と二の丸の間は土橋でつながれている。左右は削り込まれた空堀になっている。

usuki_66_2817土橋向かって右側の空堀。深く掘り込まれた箱堀で、周囲を石垣で固めている。左側は本丸で、奥の出張ったところは「武具櫓」跡。空堀の反対側にも石積の橋状の通路があるが、石垣の雰囲気が大きく異なる。当時はあの道はあったのだろうか。古絵図で確認してみよう。

usuki_2757a大門櫓前にあった説明板の古絵図を再確認。本丸と二之丸の間の武具櫓前の空堀は、現状のように四方に石垣が描かれている。石垣の外側に土塀が書かれているので、道はあったのだろうが、そのまま武具櫓を越えて本丸に入れるようには描かれていない。

usuki_67_2812外周部の細い橋の上から土橋方向を見る。土橋下の石垣はしっかり積まれている。

usuki_68_2813端っこの細い通路の様子。かつての武具櫓の崖側の石垣は壊され、本丸まで道が通じている。当時はこの突き当りは武具櫓の櫓台だったようだ。

usuki_69_2819土橋へ戻る。反対側の石垣。こちらはコケまみれだ。

usuki_70_2818そして土橋向かって左側の空堀。右側と大きく雰囲気が異なり、かなり幅広だ。二之丸側は石垣のようだが本丸側は土のように見える。右奥に見える石垣は天守台。かつてあの上に三層の天守がそびえていた。

usuki_71_2824空堀へ降りてみる。かなり幅広の箱堀だ。右側には破却された跡を土で埋めた天守台の姿を間近で見られる。

usuki_72_2825堀底から土橋方面を見る。堀へは右側(二之丸側)の坂道から降りられるようになっている。当然当時はこんな緩やかな角度ではなく、降りたらカンタンには上がれない角度になっていたことだろう。

usuki_73_2826野面積みの天守台。隅部が破壊されていることが分かる。史跡公園化の際に土で形を復元されたのだろう。

usuki_74_2828天守台の反対側。こちらも隅部が壊されている。かなり激しく破壊されていることが分かる。

usuki_75_2834空堀の反対側の端から。

usuki_76_2827二之丸側の土塁には、一部古い石垣が苔に埋もれながらも残っていた。

usuki_77_2835二之丸側の土塁の石垣隅部。

usuki_78_2837では天守台へ上がってみよう。堀の奥側から本丸にあがる道が出来ている。先の古絵図を見ると当然当時は無く、天守台からそのまま崖まで石垣の壁が築かれていた。

usuki_79_2894天守台の脇を通って奥へ。こちらも大きく石垣が崩されていることが分かる。

usuki_80_2843天守台の上へ。発掘調査により当時の櫓が建っていた場所を少し盛り上げて平面復元しているという。

usuki_81_2845天守櫓 説明板。秀吉がまだ生きていた慶長初期は独立していた天守だが、稲葉氏の時代には大規模な修理が行われ、附櫓も天守に接続するよう改築されたとか。現在 一部高くなっている部分が、かつて三層天守と付櫓が建っていた場所という。

usuki_82_2844盛り上げられた、三層天守とそれに接続した付櫓の跡。

usuki_83_2848天守跡と付櫓跡を別角度から。

usuki_84_2847天守台の上から先の空掘を見下ろす。

usuki_85_2852本丸 説明板。二之丸よりも本丸のほうが低いため、大天守があった江戸期はともかく、大友氏時代はこちらが二之丸相当だった可能性もあるとか。

usuki_86_2853臼杵城 現状マップ。現在は右端の方の赤丸地点。島の中央部大半を占める二之丸に比べ、本丸は全体の四分の一ぐらいに過ぎない。

usuki_87_2849天守台脇から本丸へ入ってしまったので、かつての二之丸から本丸への唯一の通路であった土橋先の虎口跡を見に行ってみよう。かつての本丸虎口だった鉄門・桝形・武具櫓跡。

usuki_88_2854右端が土橋。右側は枡形虎口になっており、鉄門櫓と呼ばれる巨大な櫓門が建っていたという。左側は空堀の正面に見えた武具櫓跡。左側手前に見える切りそろえられた石垣が桝形の跡で、今は失われたが桝形を形成するように手前にも横に石垣が築かれ、ちょうど草が積まれている右側あたりに桝形の出口にあたる鉄門があった。

usuki_89_2858桝形から伸びた石垣の先には二層の武具櫓が建っていた。左側のやや膨らんでいるあたりが武具櫓台か。

>> 臼杵城 [4/4] へ続く。<<

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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