佐伯城 [4/4] 歴史資料館の栂牟礼城・佐伯城ジオラマも必見。

佐伯城 訪問記 其の四。

[前回までの訪問記 概要]
北之丸から本丸脇を通って二之丸、西之丸までやってきた。これから登城の道を通って下山し、山麓に残る他の遺構を見て回ろう。

訪問時期:2017年1月
佐伯城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

saeki_109_2566西之丸の先端部から本丸方面を見る。先端部には巨大な高射砲設置跡(戦時中の遺構)がある。

saeki_110_2568西之丸中ほどにある西虎口。かつてこの階段の上には城門が建っていた。

saeki_111_2573西之丸 西虎口。虎口の外側から見上げる。道はすぐに折れ曲がっており、虎口の前はそれほど人が溜まれない構造になっている。

saeki_112_2575西虎口から降りるのではなく、一旦 廊下橋の下のジャンクションまで戻り、そこから再度場内の様子を眺めて下山することにしよう。雨もあがり、霧も出ず、しっかりと本丸石垣が見える。

saeki_113_2579二之丸全景。尾根の上に台形の要塞が築かれている。

saeki_114_2580廊下橋下のジャンクションまで戻ってきた。ここから向かって左下に伸びる、登城の道ルートで下山しよう。

saeki_115_2582二之丸の高石垣。この左下に伸びている山道を降りる。

saeki_116_2588本丸を見返す。登城の道も石畳が敷かれていたようだ。

saeki_117_2591しかし石畳はほんの上部のみ。殆どは山道だ。そして二股に分かれるこの道は、上へ向かうと西之丸 西虎口へと通じる。左へ向かえば下山。

saeki_118_2592登城の道はこのような岩盤を削った箇所が何度か現れ、ガレキも多く、特に雨の日は滑りやすく危険。注意して進もう。

saeki_119_2595約15分ほどで登城口まで降りてきた。では山麓城下町エリアに残る、他の遺構や資料館などを訪れてみよう。

saeki_120_2600まずは佐伯市歴史資料館。大手門の南東にあるこの場所には、江戸時代は佐伯藩の役所、明治になると旧藩主 毛利家の屋敷があった場所という。また雨もひどくなってきたので、少し中を覗いてみよう。

saeki_121_2601資料館の中はとてもキレイで、佐伯藩・その前の栂牟礼城(とがむれじょう)時代の展示もある。そのあたりを中心に見ていこう。

saeki_122_2602入ってすぐにある巨大パネルと山城の模型。プロジェクションマッピングでドラマティックに栂牟礼城での戦いの様子を説明してくれる。必見。

saeki_123_2611白い模型の上に、ナレーションに応じて映像が投影される。これは栂牟礼城の曲輪や堀切の様子を示した場面。

saeki_124_2612栂牟礼城 イメージ図。山の山頂部を大きく切り開き、一大要塞につくりあげている。栂牟礼城は戦国期に当地を収めた佐伯氏により築城された中世山城で、大友方の拠点だったが、主家の大友氏が改易となり毛利高政が入部すると、近世城郭である佐伯城が新たに築かれ、古い栂牟礼城は廃城となったようだ。

saeki_125_2616奥のエリアには、佐伯城のジオラマがある。

saeki_126_2625こちらが佐伯城ジオラマ。もちろん山上と山麓三ノ丸まで。

saeki_127_2620山麓から山上以外の部分は、ジオラマのように木々が生い茂った山だったのだろうか?すべての建築物で木材を使っていたことから、主要な山々はほぼ禿山だったのではないかと考えているがどうなのだろう。

saeki_128_2618佐伯城 山上の本丸・二之丸部。

saeki_129_2624山麓の三ノ丸部。石垣の周囲は水堀だったはずだが、何故かそこは再現されていなかった。

saeki_130_2630山上の本丸 東虎口側から。今は下の捨曲輪のあたりも木々で覆われていたが、このように捨曲輪までがすべて伐採されていたなら、石垣の上の櫓群から捨曲輪に飛び込んだ敵兵を直接攻撃できそうだ。

saeki_131_2631本丸から二之丸方面。大天守こそ無いものの、二重櫓や平櫓があちこちに築かれている。

saeki_132_2635北出丸。切岸の下には捨曲輪から続く帯曲輪的なスペースが再現されている。

saeki_133_2627山上部の古絵図。正保とも言われるが、いつの時期の絵図かは不明という。城内に張り巡らされている土塀や櫓の壁は、下半分が黒板張りになっているのが特徴的。熊本城や松本城のような、黒い城だったのだろう。

saeki_134_2642資料館の向かい側には、かつて明治時代にここにあった旧藩主 毛利家の屋敷の一部が現存している。

saeki_135_2643毛利家御居間 説明板。明治23年頃に建造され、昭和初期には料亭となり其の姿を留めていたが、昭和50年に現存する御居間と次の間を残して改築。その後、修理と御化粧の間の復元を行い、今に至る。

saeki_136_2647資料館の入口は現存する薬医門「三府御門」が建っている。修復工事が行われた関係か、かなりきれいな状態。かつてこの奥にあった佐伯藩の役所の正門と言われる。

saeki_137_2599三府御門 説明板。

saeki_138_2649三府御門を裏側から。木戸も瓦もキレイに補修され、江戸時代からの現存門とは思えない状態。柱や冠木、破風や懸魚などは当時の具材のままか。

saeki_139_2652三ノ丸御門からまっすぐ南へ伸びる道の先には、かつて大手門があった。今は普通の交差点となっているが、大手門跡の場所には石碑が立つ。右端の黒い石碑に注目。

saeki_140_2658大手門から大手道越しに見る三ノ丸御門と、その奥にそびえる佐伯城本丸。かつては奥の山上に櫓や土塀が建ち並んでいた。

saeki_141_2659佐伯小学校はかつての藩校「四教堂」跡。しこうどう。校門はかつての藩校時代の門にも見えるが、模擬門とのこと。大手道沿いということもあり、雰囲気は出ている。

saeki_142_2679もう一つ、かつての三ノ丸御殿の式台部分が移築保存されている「住吉神社」へ。こちらの建物がそう。

saeki_143_2684中に入ると「ここは住吉御殿」という説明板があった。玄関・広間・書院 部分をここ住吉神社境内に移築し、船頭町公民館として使われているという。三ノ丸御殿自体は昭和45年まであの場所に現存していたが文化会館を建てるために解体した、というのも驚き。歴史や文化財よりもコンクリートのビルを選んだということだろう。

saeki_144_2686住吉御殿 全景。

山上に残る軍艦のような要塞跡と、山麓の巨大櫓門、そして城下町。展示も豊富な資料館も含め、時間を掛けてゆっくり見学したい、そんな佐伯城跡だった。

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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