府内城 [3/3] 内堀に沿って主郭部の石垣と復元櫓を見て回ろう。

府内城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
大手門から城内へ。内堀は埋め立てられ本丸・西丸・東丸が一体化している。天守台を始めとする巨大な石垣の城壁・櫓台が随所に残る。現存する建物は二棟だが、多くの櫓や城門、廊下橋などが復元されている。北の廊下橋から内堀の外へ出た。ぐるっと内堀の周りを回ってみよう。

訪問時期:2017年1月
府内城 訪問記 − 其の一旧訪問記(2013)


<訪問記>

funaijo_81_2271廊下橋を渡って山里曲輪へ。

funaijo_82_2272山里曲輪側から見た廊下橋。

funaijo_83_2273廊下橋 説明板。慶長期の絵図面が掲載されている。現在は埋め立てられたり改変されたりして姿が変わってしまっているが、廊下橋渡ってすぐ左側(図では橋の右側)の石垣が、発掘調査により発見され、一部が見られるよう保存されているという。後ほど見てみよう。

funaijo_84_2274山里丸側から見る、西丸と本丸の間の堀部分。埋め立てられていることが、上の絵図面と見比べるとよく分かる。其の二で降りて人質櫓の真下まで歩いていったところだ。

funaijo_85_2277そしてかつて慶長時代の山里丸の石垣が、発掘調査により発見されている。かつてはここまでが山里丸で、ここから手前は堀だった。

funaijo_86_2275慶長の石垣 説明板。

funaijo_87_2278山里丸の慶長時代の外周部にあたる石垣。

funaijo_88_2280山里丸は現在 松栄神社となっている。

funaijo_89_2279松栄神社 沿革。慶長末期に群馬県に創建された。江戸中期になり、その頃の府内藩主直参の宮としてこの地に祭祀されたという。

では城内はここまでにして、次は内堀の外側を回りながら、内堀や石垣、その他史跡を見て回ろう。まずは初代府内藩主・竹中重利公の墓所。

funaijo_90_2281山里丸の北、浄安寺に墓所がある。この建物。外からも見えている背の高い石塔がそう。

funaijo_91_2282入ってすぐのこちらの墓所が、初代府内藩主 竹中重利 公の墓所。

funaijo_92_2286では北側から内堀の外周を回りながら、お堀越しに石垣と櫓を見て回ろう。まずは城跡の北側中央に残る現存櫓 人質櫓と、その奥の天守台。

funaijo_93_2289人質櫓・天守台の周りは石垣が大きく折れ曲がる。

funaijo_94_2293天守台の北側、人質櫓がある曲輪は主郭部から北へ張り出した区画となっている。それがよく分かる構図。ちなみに向かって左側の隅には「扇櫓」と呼ばれる平櫓があったという。

funaijo_95_2296かつて内堀の東側には、細い帯曲輪があり、その外側は海が広がっていたという。今は多くが埋め立てられ、かつて海だった場所には細い水路が残っている。そこにも当時の痕跡と思われるものが残る。たとえばこの水路の脇に組まれた古い石垣。反対側が現代的な作りに比べて、コチラ側は明らかに古い石垣。これは当時の帯曲輪の海側を固めていた石垣の一部、かもしれない。

funaijo_96_2298帯曲輪 外周の海側石垣。これはかつての帯曲輪の外側に沿って今もしっかりと残っている。

funaijo_97_2299複雑に折り曲げられた主郭部石垣。細い犬走りが見える。土塀の先には、平櫓が2つ、右から扇櫓・菱櫓が並んでいた。一番左端に見える二重櫓は復元された東丸二重櫓。

funaijo_98_2303広角レンズで広く撮ってみる。天気が良いともっといい景色だったろうな。。。

funaijo_99_2306複雑に細かく折り曲げられた、主郭北の曲輪。

funaijo_100_2307主郭の東側までやってきた。帯曲輪の外周石垣(海側)もずっと続く。

funaijo_101_2309最も細かく折れ曲がった石垣が一望できる場所。北東側。

funaijo_102_2313復元された二重櫓。主郭部の東側は、平櫓3棟、二重櫓1棟、三重櫓1棟の計5棟の櫓が並んでいたが、何故かこの二重櫓だけが復元された。

funaijo_103_2315帯曲輪 説明板。海と内堀の間の帯曲輪がとても狭い。海側から直接東丸などに入られないよう、帯曲輪を埋め立ててぐるっと周りを囲ってしまったのだろう。そして帯曲輪の南の方は、内堀の一部が埋め立てられ、太い道になってしまったようだ。痕跡がないか見てみよう。

funaijo_104_2316帯曲輪跡を縦に貫く石列。これが、当時の帯曲輪の外周辺、海側のラインだったのだろう。この右側がかつては海。石列が折れ曲がっている場所も、上の図面で確認できる。

funaijo_105_2317s石列は国道までずっと続く。

funaijo_106_2319では内堀沿い巡りを再開。目の前の二重櫓も復元だが、古絵図にはこの場所には「平櫓」と書かれている。国道に面したこの場所だから、見栄え?を重視して二重櫓に勝手に改変してしまったのだろうか?

funaijo_107_2320東丸の東辺。手前・南側の大きな櫓台の上には、城内唯一の三重櫓が建っていた。これを復元してほしかった。

funaijo_108_2321府内城のきれいな説明板。古絵図と、各曲輪や櫓などの説明が書かれている。

funaijo_109_2322府内城 古絵図。黄色の部分は通路か。現在地は右下、内堀の上。かつて内堀が隔てていた東丸、西丸、本丸は、今は埋め立てられ一つになってしまった。しかし現状のようなただの広場なら、いっそ内堀を復元し当時の姿に戻すのは如何だろうか。

funaijo_110_2325東丸を南東隅から。南側の内堀は道路拡張のため半分ほど埋め立てられ狭くなっている。

funaijo_111_2329平櫓跡に昭和に建てられた、二重櫓。

funaijo_112_2333こちらも復元された着到櫓(二重櫓)と、それ越しに見る大手門。

funaijo_113_2337着到櫓と大手門。なお右奥の折れ曲がり部の隅にも櫓があった模様。

funaijo_114_2339西丸南西側に残る平櫓。現存 宗門櫓。内側から見ると二重だったが、外から見ると平櫓、だ。

funaijo_115_2342西丸 南西端。こちらも復元の二重櫓。

funaijo_116_2343西丸 南西端。左奥に見えるのは、恐らく明治以降に造られた、車用の道。その向こうは山里曲輪と廊下橋。これでほぼ一周したというわけだ。

funaijo_117_2344城の少し南側を散策してみる。かつての堀跡と思われる場所には古い石積が残っていた。

funaijo_118_2345堀跡と思われる水路に沿って進む。右側はかなり古い石垣、恐らく当時のもの。左側はコンクリートブロックなので、かつてはもっと幅広だったのだろう。

funaijo_119_2346城の南東側にある長濱神社へ。説明板によると、室町時代の創建で、かつては府内城主郭部あたりにあったが、府内城築城の前に移転したという。

funaijo_120_2347長浜神社の新しい狛犬さん。子供の狛犬が抱きついて恥ずかしそうに見ている。

大分駅から徒歩数分圏内に残る、巨大なお堀と石垣の城壁。建物は僅かしか残っていないが、足を使って歩けば見どころも多い、かつての近世城郭の跡。

旧訪問記(2013.6) へ。

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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