府内城 [2/3] 犬走りを通って内堀石垣を間近で見る。

府内城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
大手門から府内城へ。内堀の外周部は残っているが、本丸と西丸・東丸を分断する部分は埋め立てられており、大手門から入ると巨大な曲輪が一つあるだけに見える。かつて四層の天守が建っていた天守台から、現存櫓の一つ 人質櫓を見た。其の二では内堀に沿って石垣などを見て回る。

訪問時期:2017年1月
府内城 訪問記 − 其の一旧訪問記(2013)


<訪問記>

funaijo_41_2207北二重櫓の脇にあった堀の船着き場跡から下へ。従来ここは内堀の中だったが、現在は埋め立てられている。ここから石垣に沿って細い道(犬走り風だが当時の絵図には載っていないので石垣補修用に明治以降に築かれたものか)があるので、石垣を間近に見に行ってみよう。

funaijo_42_2226かつての船着き場から、北二重櫓台、天守台、そして現存人質櫓を見る。

funaijo_43_2178この入口付近にあった 人柱お宮 説明板。かつて府内城でも築城を無事行うために人柱が行われたそうだ。その際に人柱となった お宮 を祀る祠が、天守台の下にあるという。

funaijo_44_2211北二重櫓台から伸びるコンクリートの犬走り風通路を通って奥へ向かおう。ちょうど正面に見える、天守台の下に見える森が、先程の人柱お宮を祀る祠。

funaijo_45_2209北二重櫓台の隅石垣。下部がやや膨らんでしまっている。

funaijo_46_2212ではコンクリートの細い道を通って奥へ。

funaijo_47_2214北二重櫓の、内堀側の石垣を間近に見ることが出来る。

funaijo_48_2215北二重櫓台の石垣。自然石をそのまま絶妙なバランスで積み上げた、野面積み方式だ。

funaijo_49_2216迫力ある高石垣。

funaijo_50_2218お堀側から見ると、北二重櫓台と、天守台との連絡通路になっていた多聞櫓の石垣が、一体化しているようにみえる。

funaijo_51_2221人質櫓の真下あたりから。正面石垣の上に見える左右の木の中央あたりに、かつて二重の櫓が建っていた。

funaijo_52_2222現存人質櫓を真下から。隅部には石落としが設置されている。

funaijo_53_2223コンクリートの道はずっと向こうまで続いていた。ここらで折り返す。

funaijo_54_2224人質櫓の石垣の隅部越しに。大分駅前の街中の一角にこんな場所があることが驚きだ。

funaijo_55_2225人質櫓と、その手前にあるお宮を祀った祠への入口。上は鬱蒼とした森となっていた。

funaijo_56_2228再度 城内へ戻る。次はもう一つの現存櫓である宗門櫓と、復元された西丸二重櫓を内側から見に行ってみよう。

funaijo_57_2233西丸の隅部(南西部)に復元された、西丸二重櫓。石垣は櫓台のように四角く作られてはおらず、足りない部分は木の足を造って支えている。元々は櫓を作る予定がなかった場所、ということなのだろうか。石垣の上へ上がる石段も左側に見える。

funaijo_58_2229そして、現存二櫓の一つ、宗門櫓へ。奥に見える櫓門は最初に入ってきた大手門。

funaijo_59_2232宗門櫓。外から見ると平櫓だが、内側から見ると2階建てになっていることが分かる。

funaijo_60_2230宗門櫓。二階は二階で入口があり、一階は一階で入口がある。中はつながっていない、のかも知れない。また左側の扉は一見入れ無さそうだが、当時はこの宗門櫓に隣接して北へ(写真の左側手前)へ石垣が築かれており、恐らくそこに多聞櫓が築かれ、櫓同士が隣接していたのだろう。大手門前から西丸へ向かうこのあたりの道を石垣で塞ぎ、食い違い虎口を形成していたようだ。

funaijo_61_2240西側の出入口へ。古絵図を見るとここに出入口や橋は描かれていない。またその際に防衛のために必要となる櫓台や櫓門などがあった形跡もない。つまり明治以降、県庁設置時などに車で入る事ができるよう、石垣の一部を壊して造った広い道だろう。

funaijo_62_2237橋の石垣を見ると、明治以降の石垣によくありがちな落し積み(斜めに積んである)になっている。

funaijo_63_2236西側の橋の上から、西丸二重櫓方面を見る。

funaijo_64_2239同じく北側の二重櫓跡を見る。昭和の復元の際に幾つかの櫓が復元されているが、ここは何故か復元されなかったようだ。

funaijo_65_2241石垣の周囲に築かれた、犬走り的スペース。当時のものでは無さそうだ。

funaijo_66_2242南側の犬走りスペース。当時も犬走りはあったかもしれないが、こんなに広くは無かっただろう。石垣の補修用などにコンクリート化も含めて拡張された、のだろうか。

funaijo_67_2245再度 西門から中へ。道の脇に立て看板がある。

funaijo_68_2244内堀跡。かつて内部を本丸・西丸・東丸の3エリアに分割していた「内堀」の北西端だとか。上の写真で言う少し凹んだ場所が内堀跡かと思ったが、古絵図と見比べてみると、そうではなく、ここから南へ宗門櫓方面へ堀が続いていたようだ。

funaijo_69_2249では廊下橋へ向かってみよう。廊下橋へは、西丸から食い違い虎口を経て、到達できる。

funaijo_70_2251西丸から廊下橋へ向かう食い違い虎口。右側の石垣が低くなっているが、壊されていたものを復元したか、本来はもっと高い石垣と土塀が建っており、遮蔽となっていたことだろう。

funaijo_71_2252食い違いの真ん中あたりに、かつての門柱を支えた礎石がしっかりと残る。

funaijo_72_2253冠木門の礎石。西の丸と廊下橋の間に冠木門が築かれていたという。

funaijo_73_2254冠木門を越えて、廊下橋の正面へ。

funaijo_74_2258廊下橋脇の鉄砲狭間から、内堀を見る。

funaijo_75_2259s廊下橋脇の鉄砲狭間から、廊下橋の向こう側を見る。向こう側は山里曲輪だ。

funaijo_76_2261では廊下橋を渡ろう。こちらも昭和40年の復元。

funaijo_77_2264廊下橋の中から内堀を見る。色々折り曲げられていることが分かる。

funaijo_78_2265廊下橋の中から人質櫓方面を見る。こちらはより複雑に堀も石垣も折り曲げられている。

funaijo_79_2269少し角度を変えると、天守および北二重櫓、そして船着き場(を埋め立てた場所)も見える。

funaijo_80_2270廊下橋を渡りきった。夜は閉まっているようなので、明るいうちに来よう。門前には「利用時間 午前8:00〜午後6:00」と書いてあった。

>> 府内城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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