壺笠山城 : 浅井朝倉方が陣を敷いた延暦寺そばの山城跡。

壺笠山城 (つぼかさやまじょう) は近江坂本・穴太地区の西にそびえる比叡山系400m超の街道を守るために築かれていた中世山城あるいは砦で、「信長公記」にその名が出てくることで有名。元亀元年 (1570)、摂津に侵攻した織田軍に対し、延暦寺と手を結んだ浅井朝倉軍は背後を突く形で京に迫る。この際の戦いで南の宇佐山城主・森長可が討死している。急ぎ引き返してきた織田軍はこの地で浅井朝倉軍と対峙、その際 浅井朝倉方が陣取った場所として「つぼ笠山」が記されている。遺構は白鳥越えと呼ばれる京〜坂本を結ぶ街道沿いの山頂に円形の主郭が築かれ、周囲にも帯曲輪を巡らせ、虎口や外周石垣などを携えた技巧的な山城となっている。坂本を領した明智方の手が入っている可能性もあるとか。

<基本データ>
●名称:壺笠山城 (つぼかさやまじょう)
●所在:滋賀県大津市 (地図)
●城主:浅井朝倉 / 明智
●築城:不明
●遺構:石垣、虎口、曲輪、堀切

訪問時期:2017年2月


<訪問記>

tsubokasayama_01_4905壺笠山城跡へは、白鳥越えと呼ばれる京〜坂本間を結ぶ古い街道沿いに麓(坂本側)から登山するか、やや北部を東西に通っている林道から直接入る2ルートがある。今回は林道から登城しよう。林道は途中までは車で上がれるが、それ以上は道幅・傾斜・未舗装などで厳しくなる。墓地があるこのあたりに整備されている駐車場に止めて、そこから歩いてあがろう。ちなみに墓地の奥(写真では手前)にある石垣で固められた盛り上がり部は古墳跡で、公園化されている。穴太野添古墳群(あのうのぞえこふん)。

tsubokasayama_02_4908sここからは谷川沿いに林道をあがっていこう。谷川向かって左側の尾根の先、山頂部分が壺笠山城跡だ。デジカメのタイムスタンプによると、ここから登城口(斜面直登ポイント)まで約20分かかっていた。

tsubokasayama_03_4910しばらくは谷川沿いをハイキング。谷川にはパイプが縦横無尽に走るダムが設置されていた。かなり古いタイプかと思いきやパネルによると平成の建造。

tsubokasayama_04_5014途中で谷側を渡る。苔むした石造りの橋がいい感じだ。渡ると登城口はもうすぐ。

tsubokasayama_05_5015ちなみにこの橋は結構古く、柱に刻まれた橋の名前も「第貳號橋」。だいにごうはし、と読む。

tsubokasayama_06_5009巨石で作られた小さな谷。

tsubokasayama_07_5007s林道は更に奥へ京まで続くが、ここでヘアピンカーブ状に山の上へ通じる道へ逸れる。左側の人が写っている方向からやってきて、写真右奥上へ伸びる道へと曲がる感じ。なお2月訪問時はこのあたりは雪がかなり残っていたが、この先はもう解けていた。

tsubokasayama_09_5006しばらく進むと、山の谷間が削平された場所へ到達する。右側が壺笠山、左側が青山。青山側にも信長公記には浅井朝倉方の陣があったと記されているが、それらしい遺構は見つかっていないという。

tsubokasayama_10_4917カーブを曲がって、この赤と青のビニールテープが貼ってあるところから、登る。これは知ってないと気づかない、登れない。なお最初は直登風だが少し登ると山道が現れる。上がってすぐに右と左に道が別れていて、我々は何故か迷うことなく左へ進む。こちらは主郭下に直行する直登道だった。右に曲がれば白鳥越えの尾根道に出て、尾根を左に進めば虎口から入城出来るルートとなる。

tsubokasayama_11_4920こちらは左へ曲がったルート。斜面を少し整えて作った細い山道をかなりの角度で一気に登ってゆく。このあたりはまだ道がある。

tsubokasayama_12_4921段々と道らしく無くなり、斜面を無理やり上っていく感になる。木々に捕まりながら登る。

tsubokasayama_13_4924ほぼ斜面。ここを、一番上まで、あがる。手袋必須。

tsubokasayama_14_4927s斜面をあがり切ったの図。突然大小の石がゴロゴロし始める。かつて曲輪の周りを囲んでいた石積が崩れたものだろうか。

tsubokasayama_15_4930僅かながらに石積の残骸も残る。縄張図に示されている主郭の3つの虎口のうち、北側の虎口前に斜面から直接あがってきた形となった。

tsubokasayama_16_4933主郭の周りを守る帯曲輪。ぐるっと一周できる。まずはもう一段上の主郭へあがってみよう。

tsubokasayama_17_4935北の虎口から上がる。

tsubokasayama_18_4936s主郭北の虎口。崩れてしまっているが、かつて石段があり、左右に土塁の壁が築かれていたであろう雰囲気が現場に僅かに残る。

tsubokasayama_19_4938主郭の様子。山頂を丸く整地されているが、これといった遺構は地表面には見られない。説明板などの類も特に無し。

tsubokasayama_20_4940一本の木に何やらくくりつけてある。

tsubokasayama_21_4939壺笠山 421m。何もない現場ではこういうのでもありがたい(間違っていないことを確認できるため)。ただ同じような手書き札でも「●月●日 ●●会 登山記録」みたいな、本人以外には何も得るものがない情報だけを記した札は頂けない。神社や展望台に行ったら柱なんかに名前を刻むのと同じレベルだ。

tsubokasayama_22_4941虎口を上から望む。かなり崩れ、埋もれてしまっている。

tsubokasayama_23_4943帯曲輪へ戻ってきた。資料によると帯曲輪の外周(一段下)にも、石積がところどころ残るという。木に巻いてあるビニールテープなどを参考に降りてみよう。まずはここ。

tsubokasayama_24_4944帯曲輪の下に残る数段の石積。かつてはこれが全周ぐるっと、もう少し高さを持って、囲んでいたのだろう。

tsubokasayama_25_4946ここの石積は城内でもそこそこの長さで残っているポイント。とはいえ下は道でも削平地でもなく斜面なので、落ちないように気をつけて見学しよう。

tsubokasayama_26_4948帯曲輪に戻る。主郭3つの虎口の一つ、北西の虎口。先程よりは多少石段がよく残っているような気もするが、厳しい。

tsubokasayama_27_4949帯曲輪を奥へ。城の西側へ回り込む。

tsubokasayama_28_4951西側には城内最大の虎口で白鳥越えにも通じる場所がある。崩壊は激しいが、かつては石段や石積を形成していたであろう石材がゴロゴロ出てくる。

tsubokasayama_29_4952西の虎口を上から。石積、、、だったのだろうか?

tsubokasayama_30_4956西の虎口の周囲には何箇所か石積が残る。奥に石積が見える。

tsubokasayama_31_4957いくつか残る帯曲輪の石積。

tsubokasayama_32_4958四段ほどの石積がよく残る。

tsubokasayama_33_4959もう少し奥に行くと、上段部に石積が見える。

tsubokasayama_34_4960上段部の石積。主郭および帯曲輪の外周にはこのように断片的にだが石積が残っている。ぜひグルっと見て回ってみよう。

tsubokasayama_35_4963帯曲輪から少し斜面に飛び出るように築かれた出丸のような場所。

tsubokasayama_36_4965先端部の下はかなりの断崖。今は杉の木が多くて何も見えないが、当時はどのような状態だったのだろう。ちなみに方向は南西。

tsubokasayama_37_4954では先程の白鳥越えの尾根道を奥へ進んでみよう。奥には白鳥砦とも言われる場所もある。

tsubokasayama_38_4969踏み固められた尾根道。左右が落ちているところは、竪堀+土橋、にも見えなくもない。

tsubokasayama_39_4975尾根道の横は人工的に掘った堀切っぽい大きな凹みもある。

tsubokasayama_40_4980頂上に向かって登っていく。頂上を少し横(左)へ向かった先が峠の先端。

tsubokasayama_41_4989尾根へ出た。先端部から谷を挟んだ向こうの山は、比叡山延暦寺域となり、ここからも幾つかの建物が見えるようだ。落ちないように木々の間から覗いてみよう。

tsubokasayama_42_4987壺阪山の西の峠から、北側を見る。山の中に寺社が見える。地図によると、玉照院、大乗院、辯天堂あたりか。

tsubokasayama_43_4990s尾根を左(西)へ進む。頂点まで行ってみよう。

tsubokasayama_44_4991s頂点部の周囲には、分かり辛いが、石積跡とも言えなくもない断片が残る。

tsubokasayama_45_4993石積跡か。

tsubokasayama_46_4994ここにも。腐葉土が積もっているので、調査すればもう少しちゃんと出てきて、全貌が分かるかもしれない。壺阪山城の西の峠に位置し、白鳥砦とも言われる場所。

tsubokasayama_47_4997白鳥砦 削平地。結構広い。また周りの木を伐採すれば、壺阪山城、延暦寺、坂本の街などが一望の位置にある。

tsubokasayama_48_5002白鳥峠から見た琵琶湖方面。木々の間からかろうじて見える。

歴史にその名を残す壺笠山城。宇佐山城跡や坂本城跡とセットで訪れ、かつてこの地を巡って信長と浅井朝倉が戦った歴史に想いを馳せてみよう。

訪問時期:2017年2月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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