妻木城 [3/3] 区画石垣や川岸の高石垣などが良好に残る広大な士屋敷跡。

妻木城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
山上に残る石垣と巨石造りの妻木城を散策。明智光秀と同族の土岐一族だった妻木氏の居城は、信長〜秀吉〜家康の時代を経て中世山城から石垣造りの近世山城へと変化していった様が読み取れた。江戸時代になると不便な山城は廃され、山麓に居館を構えそこを政庁とする。其の三では珍しく広大に残る山麓の武家屋敷跡を見に行ってみよう。

訪問時期:2016年11月
妻木城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

tsumagi_9588妻木城の北山麓に残る「妻木城士屋敷跡」。士は「さむらい」と読む。武家屋敷跡は数多あれど、広大な武家屋敷群跡がそのまま残るここは全国でもかなり珍しいという。

tsumagi_9659奥の石垣がとても気になるが、まずは街道沿いに建てられた説明板を読んでみよう。

tsumagi_9589妻木城の歴史 説明板。1300年代に美濃守護だった土岐氏一族によって築かれた妻木城は、歴史を経て妻木氏 七千五百石の領主の居城として保たれるも、江戸前期の1658年に城主急死・無嗣のため断絶、廃城となった。

tsumagi_9590巨大な復元図が設置されているが、透明パネルがはめてあり、反射して上のほうが特に見づらい。今いるのは右下の山麓御殿・武家屋敷跡。

tsumagi_9591妻木城復元図の武家屋敷跡あたりをアップ。このあたり一帯がそのまま残っているという。

tsumagi_9594では道に沿って奥へ向かってみよう。先程の復元図の中央を上下に貫いていた道と思われる。左右に低いながら石垣が残る。

tsumagi_9595かつては左右に石垣と土塀の壁が巡り、武家屋敷群が建ち並んでいたことがよく分かる場所。上の復元図で言うと中央の櫓門のような絵が描かれているあたりか。向かって右側の石垣に沿って奥へ行ってみよう。

tsumagi_9596御蔵跡、とかかれた説明板がある。ここの石垣は残りもよく見やすい。

tsumagi_9598角が取れた川原石のような雰囲気もある石材を積み上げた石垣。

tsumagi_9599一番奥まで行くと、90度折れ曲がり、川沿いに築かれた石垣となる。奥に見える滝のような場所は河川工事で作られた人工的なもの。

tsumagi_9603川沿いの石垣。少し降りる形になり、石垣の高さも5-6mあたりになる。これがずっと奥の方まで続いている。

tsumagi_9605川沿いのため足元が悪く、また河原も藪状態のため、沼地のようになっている。はまらないように気をつけながら、川沿いの高石垣を眺めよう。なかなかの巨石も積み上げてある。

tsumagi_9606このあたりで見られる、大きくて丸くて緑色の石垣が、なんだか落ち着いて個人的に好き。

tsumagi_9607隅部の石垣越しに見るコンクリートの滝。

tsumagi_9609いい感じですねえ。

tsumagi_9613では道の反対側に渡り、武家屋敷跡内部を見てみよう。小ぶりの石で4-5段に積み上げられた、低めの石垣で区画されている。こちらは最上段部。この上にも更に武家屋敷跡が続いていたのかもしれないが、ご覧の通り薮となっている。

tsumagi_9618石垣は上部がやや崩れてはいるが、折れ曲がっている部分もちゃんと確認できるなど、良好な状態を保っている。

tsumagi_9620このあたりは大きく崩れている。左側は崩れたのではなく折れ曲げられていたのだろう。

tsumagi_9622石垣で区画された曲輪群。

tsumagi_9624御屋敷跡、とかかれた看板。L字型に盛り上がっている。

tsumagi_9631一番奥の石垣の上へあがってみると、上から見下ろせるような位置に東西に道が通っていた。その内側にも低いながらも石垣が築かれている。

tsumagi_9634最上段の曲輪の更に上にあった細い通路と石垣の壁。

tsumagi_9635石垣の壁。長い!この上(左側)は山の斜面となっていた。最上段の曲輪に位置する(恐らく偉い人の)屋敷の上を東西に横切るように作られた通路。どういう道だったのだろうか。

tsumagi_9637下へ降りてくると、石垣もしっかり残っている場所もあった。この石垣の上と下に住むのでは、まったく格の面で異なっていたのだろう。

tsumagi_9639東側(斜面向かって右側)の奥には、ちょっとした桝形のような広場があった。どういう場所だったのだろうか。この奥には柵がありその奥は工場のようだった。

tsumagi_9641石垣の途中に大きな階段が設けられている場所を発見。石垣の上下を行き来できる場所が途中に設けてあるということは、行き来する用事がある関係性の人たちが上下に住んでいた、ということだろうか。

tsumagi_9644石段の上は門跡、となっていた。門があるということは、下から上へ自由に行き来できるという感じでもなかったようだ。

tsumagi_9646上の門跡の脇には丸く形度られた井戸跡が残っていた。

tsumagi_9647崩れつつあるが、階段の様相を残している。正面からも右側からも登ることが出来る、日本の城では余り見かけない階段。

tsumagi_9649先程の大きな階段は、石垣の折れ曲がり部の内側に築かれていることが分かる。

tsumagi_9650階段の横の石垣をまっすぐ進むと、最初に見たコンクリートの滝のある分かれ道へ出た。この石垣の間に大きな門が建っていたのだろう。

tsumagi_9652一番下の曲輪。ここには小さな屋敷がずらりと並んでいたのだろうか。

tsumagi_9663武家屋敷群 入口。

では最後に、妻木城主の菩提寺であり、また伝ではあるが妻木城の城門が移築され山門として残るという「崇禅寺」へ寄ってみよう。

tsumagi_9664石垣の壁(隙間をコンクリートで埋めているが・・・)に黄色い土壁。独特の様相をしている崇禅寺へ。

tsumagi_9665崇禅寺 案内板。妻木城を築いたとされる土岐頼重が菩提寺として創建、とある。説明板には伝城門のことは触れられていないが、山門が伝移築城門と言われるようだ(ネット情報)。城内には多くの門が存在するが(先程見た黄色い壁の奥の門は「中門」)、山門は一番入口側にある門。

tsumagi_9667こちらが伝 妻木城移築城門とされる、崇禅寺山門。茅葺きで、まったく城門らしさは感じられない。

tsumagi_9670山門を越えると、奥には立派な楼門が見える。

tsumagi_9671山門を内側から。うーん。妻木氏断絶後、あるいは山上の詰城廃城後に城門を移したとすると、資材を利用した形でこのような侘びのある門に改築されたのかもしれない。

tsumagi_9672妻木氏は土岐氏の一族ということで、瓦に彫られた紋は桔梗紋だった。

付近では美濃金山城に次ぐ規模を誇る妻木城。麓の士屋敷跡も含めて、外せない城跡だろう。

訪問時期:2016年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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