久々利城 [2/2] 東出丸から見た”そびえたつ本丸曲輪群”は壮観!

久々利城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
整備が進む中世山城 久々利城へ。長い登城路を上がると、土塁と切岸で構成された枡形虎口を備えた大手曲輪へ。虎口を越えて、上へ。其の二では、三ノ丸から更に上、二ノ丸〜本丸およびその奥を目指します。

訪問時期:2016年11月
久々利城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

kukurijo-34_9370三ノ丸から更に上へ。三ノ丸から本丸までは一直線の登城路となっており、それらの脇にそれぞれ三ノ丸、二ノ丸、本丸が続く。二ノ丸へ行ってみよう。

kukurijo-35_9371登城路から二ノ丸への入口。急坂をぐぐっと上がる。

kukurijo-37_9378二ノ丸。こちらも斜面を削平した曲輪。

kukurijo-38_9379本丸方面を見上げる。こちらも急角度の法面を持つ、切岸となっている。

kukurijo-39_9380二ノ丸から三ノ丸を見下ろす。三ノ丸は結構広い。

kukurijo-40_9381逆に、切岸の上の本丸方面を見上げる。かつては木々が生い茂っていた法面だが、バッサリと伐られ当時の雰囲気が再現されている。

kukurijo-41_9385再び登城路に戻り、本丸を目指す。正面は大きな堀切を経て、横長に伸びる東出丸が見える。現場に居ると、今本丸とされている場所ではなく、あの奥あるいは其のさらに上が位置的に本丸(最重要拠点)だったような気もしてくる。

kukurijo-42_9388まずは本丸へ向かおう。T字路へ。右側が先程見た東出丸、左側が本丸への道。

kukurijo-43_9392まずは本丸へ。大手曲輪から三ノ丸、二ノ丸と段々に築かれた曲輪群の、最頂部にあたる。木々も伐採され、眺望もさぞ良さそうだ。

kukurijo-44_9393本丸は細長く、狭い。物見櫓程度の建物しか建てられなかっただろう。

kukurijo-45_9394本丸奥へ。大パノラマが広がっていることが、ここからでも想像できる。

kukurijo-46_9396本丸に建っていた「城の役割」説明板。ここは戦いの時に拠点とする「詰の城」で、通常は山の南東に位置する平地に屋敷を構えていたという(現在の郷土歴史館の場所あたり)。

kukurijo-46a_9398本丸から見下ろす城の内部。二ノ丸、三ノ丸まではっきりと見える。大手曲輪は角度的に見えない。其の下の大木群も当時は伐られており、物見櫓の上からは屋敷まで一望だっただろう。

kukurijo-47_9401そして本丸から更に奥を見る。巨大堀切を経て、奥に細長く東出丸が伸びる。

kukurijo-48_9402東出丸(奥の院)、竪堀や二重堀切、などの手書きの説明板。

kukurijo-49_9403ではまずは東出丸(奥の院)へ行ってみよう。左あたりは左右の堀切で道が細くなっており、土橋状の道となっている。

kukurijo-50_9404手書きの案内板。奥の院が東出丸で、更にその上段(東出丸の中にある切岸の上部だが、未整備のため登れず)が北の丸、のようだ。

kukurijo-51_9405奥の平場が東出丸。左側の切岸の上部が北の丸。

kukurijo-52_9412東出丸。ここから本丸方面がよく見える。

kukurijo-53_9427東出丸から見る、巨大堀切越しの本丸部。斜面が段々に削られ人工の巨大要塞と化していることがよく分かる。

kukurijo-55_9419東出丸から見る久々利城 本丸、の図。かつては櫓や柵などがあの上に築かれていたのだろう。

kukurijo-57_9432では東出丸の脇を越えて奥へ向かってみよう。斜面の間に作られた細い道を奥へ。

kukurijo-58_9434しばらく進むと、道がそのまま大堀切の堀底道へとつながっていた。

kukurijo-59_9435手前の切岸はかなり急角度で築かれている。かつては左右の地面が繋がっていたところを、削り落としている。

kukurijo-60_9439正面の土塁の上に登って、大堀切を見下ろす。茶色い土の上に黄色い葉っぱが大量に落ちていて、ミスタードーナツのゴールデンチョコレートを思い出してしまう。

kukurijo-61_9441土塁の上には巨大 二重堀切、の看板。先程の巨大堀切が二重堀切の片側だったのだ。

kukurijo-62_9442手書き看板の反対側が、二重堀切のもう1つ。こちらもなかなかの高さ、急角度で尾根を掘り込んである。今居る土塁は2つの堀切に挟まれた中洲のような位置。

kukurijo-63_9446土塁の上からは堀切へ降りられそうにない角度だったので、一旦戻って最初の堀底道を通って二重堀切の奥を目指そう。

kukurijo-64_9448二番目の堀切へ。尾根の奥からに比べ、手前の土塁側はかなりの高さと角度だ。

kukurijo-65_9449二重堀切、未だ健在。

kukurijo-66_9454更に奥へ進む。このあたりから先は未整備となっており、森の中を進む様相になってくる。また別の堀切。こちら側は急斜面に守られた南側とは異なり、尾根筋沿いにいきなり城の裏側へ出られてしまう恐れがあるため、堅固に堀切が何度も築かれていたようだ。

kukurijo-67_9455更に奥へ進む。登城口にあった縄張図によると、このあたりは迷路のような堀底道が築かれていたようだが、未整備なこともあり、かなり埋まってしまっている様相。もう少し奥まで進んだが、よく分からない状況だったこと、奥の屋敷跡まで進んでもそちらから降りられるかも不明なことから、ここで折り返し、大手口から下山した。

最後に、城の向かいにある土岐久々利氏時代の屋敷跡、かつ江戸時代の千村氏の陣屋跡を軽く訪ねてみよう。

kukurijo-68_9461このあたりが当時の趣が残る場所。石垣で大きく区画されており、其の外側には、非常に細くはなっているが、堀の名残と思われる水路が残る。

kukurijo-69_9462千村氏屋敷跡 説明板。関ヶ原後にここ久々利を所領とした千村氏の陣屋があった場所。御三家の一つ・尾張徳川家の家老として明治維新までここを治めたという。郭外濠ありて城郭の如し、と言われたそうで、先程の水路はやはりかつての濠跡だろう。ここはかつての上屋敷跡。

kukurijo-70_9463千村陣屋 上屋敷の石垣と、かつての濠跡の水路。

山城イベントをきっかけに大きく整備され当時の姿を垣間見せている久々利城跡。継続的な整備がなされることを期待します。

訪問時期:2016年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中