明智長山城 : 明智光秀 出生の地と言われる山城跡。

明智長山城は、明智城とも呼ばれ、土岐氏の一族 土岐頼兼が明智と改名しこの地に城を構えたのが始まりとされる。明智光秀が出生した地と伝わる場所の一つ。戦国期に美濃に勢力を拡大した斎藤義龍に攻撃され落城、明智一族も多くは命を落としたという。光秀は城を脱出、朝倉氏を経て信長の家臣となり出世していくこととなる。城跡はハイキングコースとして整備され、大手門などが整備されているが、山城としての遺構は余り明瞭には残っていない。山麓の天龍寺には明智一族の供養塔が並ぶ。

<基本データ>
●名称:明智長山城 [明智城] (Wikipedia)
●所在:岐阜県可児市 (地図)
●城主:明智氏
●築城:康永元年 (1342)
●遺構:曲輪、土塁

訪問時期:2016年11月


<訪問記>

akechi_nagayama-01_9269明智長山城 (現地では「明智城」と呼称されているようだ) の主な登り口は南と北にある。こちらは北の登り口、立派な駐車場がある。近くの天龍寺には明智一族の供養塔があるという。

akechi_nagayama-02_9270明智城址公園 散策路マップ。城に入る前に、東の天龍寺にある明智一族のお墓を訪ねてから、大手門跡から城内へ入ろう。住宅街の中に残る小山全体に削平地が築かれているようだ。

akechi_nagayama-03_9271まずは東の天龍寺へ。明智光秀公縁寺、とある。

akechi_nagayama-04_9272天龍寺 説明板。寺が築かれたのは江戸時代になってから、寛永時代。明智一族の菩提寺である、と記載されている。

akechi_nagayama-05_9273天龍寺 山門。

akechi_nagayama-06_9276本堂の裏側へ。立派な庭園と巨大な石灯籠、そしてその手前にずらりと並ぶ五輪塔。

akechi_nagayama-07_9274こちらが明智一族の供養塔。明智氏歴代之墓所、と石碑がある。

akechi_nagayama-08_9275五輪塔や石仏は、かなり古いもののようだ。寺の創建時であれば江戸初期か。どれが誰の供養塔か、等、詳細は不明。

akechi_nagayama-09_9277では明智城跡へ向かおう。駐車場の脇から城跡へ伸びる道のそばに、明智城大手口、の石碑。

akechi_nagayama-10_9278こちらが大手道。ハイキングコースとして整備されており、きれいな石畳になっている。

akechi_nagayama-11_9279大手口に設置されている、古い感じの説明板。

akechi_nagayama-12_9280明智城大手門。冠木門は想像の産物だろうが、当時のものかもしれない、左右の土塁など。やや整備されすぎの感あり。このままハイキングコースを登城していってもよいが、南側の登山口も見てみたかったこともあり、そちらへ移動。

akechi_nagayama-13_9283こちらが城跡 南側の登城口。大理石の石碑が建つ。

akechi_nagayama-14_9284南の入口にも同じ散策路マップがあった。一気に二ノ丸前までやってきた。当時はここから登城することは当然出来なかっただろう。

akechi_nagayama-15_9285先程の大手口に通じる城内路。向かって右側の森の中が東出丸曲輪、左側の奥が中ノ曲輪、と書いてある。

akechi_nagayama-16_9286先程の登城道は「桔梗坂」と名付けられていた。文字の部分は水色が塗ってある。細かい。

akechi_nagayama-17_9287二ノ丸跡。

akechi_nagayama-18_9288城内には至る所に「明智光秀公生誕地」のノボリがひしめいていた。水色の明智桔梗紋がたなびいている。

akechi_nagayama-19_9290七ツ塚。落城の際の戦没者を祀るもの。

akechi_nagayama-20_9291二ノ丸の南側は長細い曲輪で、やはり「馬場跡」となっていた。このまままっすぐ進めば本丸へ。

akechi_nagayama-21_9292逆茂木 2009。2009年に復元された逆茂木か。逆茂木 (さかもぎ) は、先端を尖らせて地面に突き立てつなぎ合わせて柵状にした防衛設備。

akechi_nagayama-22_9294斜面に沿って、復元逆茂木がずらりと続く。中世山城っぽい。そして紅葉が美しい。

akechi_nagayama-23_9295馬防柵 2009。この急斜面なら馬は上がってこれないだろうが、当時はもっと緩やかだった?

akechi_nagayama-24_9297土塁と逆茂木(馬防柵)に囲まれた馬場跡。

akechi_nagayama-25_9298広い場所へ出た。奥は本丸跡。

akechi_nagayama-26_9301昭和59年製の古い 明智城址記。城といっても天守閣等の派手な建物はなく。直情怪行武断一辺倒の信長とは本質的に相容れぬものがあり遂に逆臣の汚名を着て非業の最期を遂ぐ郷党の英雄の末路痛恨の極みという外なし! そして信長の言われっぷり。

akechi_nagayama-27_9307本丸奥へ。石碑が並ぶ。

akechi_nagayama-28_9306新しい明智城跡碑。

akechi_nagayama-29_9305古い明智城址碑。

akechi_nagayama-30_9308新しい明智城本丸跡 標柱。本丸だが、土塁や竪堀、堀切など、山城らしい防衛施設などの遺構は見当たらない。奥の方へ行けば多少残るとのこと。

akechi_nagayama-31_9302本丸奥には展望台が設置されている。最後に眺望を見ていこう。

akechi_nagayama-32_9303明智長山城 本丸からの眺望。右の方(北東方面)には森氏の居城 美濃金山城跡も見える。光秀がここに居た頃はまだ斎藤氏配下か。

訪問時期:2016年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中