美濃金山城 [1/3] 織田家重臣 森氏が築いた総石垣の近世山城跡。

美濃金山城 (みのかねやまじょう) は岐阜県可児市に残る石垣造りの山城。元は斎藤道三の養子だった斎藤正義により天文六年 (1537) に築城されたことに始まり、当時は烏峰城 (うほうじょう) と呼んだという。しかし斎藤正義は久々利城主の土岐氏に謀殺され落城。織田家の拡大に伴ってその重臣 森可成が城主となり、以降 総石垣造りの近世山城へと大改修、名も金山城と改められた。しかし森氏一族の相次ぐ戦死と三代忠政の加増転封 (海津城津山城) により、江戸初期には金山城は廃城処分となり、資材は犬山城に運ばれたという。森氏時代に築かれた総石垣の桝形虎口や天守台を持つ巨大山城と、それらが破城により崩された様が今も残る。

<基本データ>
●名称:美濃金山城 (Wikipedia)
●所在:岐阜県可児市 (地図)
●城主:斎藤正義 / 森長可 / 森忠政
●築城:天文六年 (1537)
●遺構:石垣、堀切、切岸、曲輪

訪問時期:2016年11月
美濃金山城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

minokaneyama-04_9120美濃金山城は、山上の出丸跡が駐車場となっている。山麓から出丸に続く山道を歩いて上がる事もできる。こちらが出丸跡。舗装されてすっかり駐車場だ。車を停めたらすぐに登らず、まずは出丸跡を見て回ろう。

minokaneyama-05_9128出丸跡 説明板。南面に4mの石垣が、戦国末期の築城当時のまま残るという。また東南隅には出丸櫓跡も残るとか。

minokaneyama-06_9133こちらが出丸櫓跡とされる土の盛り上がりと、礎石とも言われる丸石群を集めた石積み(左奥)。

minokaneyama-07_9125南面に石垣が残るというので、南面に広がる斜面を少し降りてみよう。斜面に出っ張るように築かれた、荒々しく尖った石材がそのまま用いられている野面積みの長大な石垣が見られる。

minokaneyama-08_9126隙間には間詰め石(栗石)が詰められている。出丸の南側(山腹方面)全体に築かれている。奥の方は土が積もってしまったのか、あるいは元々斜面が歪んでいるのか、石垣の高さは低くなっている。端から端まで約45mある。

minokaneyama-09_9127最も高い南東サイドの石垣。

minokaneyama-10_9130出丸跡から見た、城下町の様子。

minokaneyama-11_9134では出丸を出て、山上を目指そう。車道を少し戻ると、城内へと通じる階段がある。其の右側には斜面を下に向かって伸びている階段がある。ここを下れば山麓の館跡まで通じているという。当時の大手道だ。

minokaneyama-12_9135しばらくは坂を上がる。城内は、三ノ丸、二ノ丸、大手桝形を越えて、腰曲輪と本丸を持つ構成になっている。ここは最初の三ノ丸に向かうまでの城道だが、左右は削平されており、かつて何かがあったような跡にも見える石材が散乱していた。

minokaneyama-13_9136そして何度か折れ曲がって、最初の曲輪、三ノ丸へ。入口はかつて石垣があったのだろう、石材が散乱している。

minokaneyama-14_9138三ノ丸入口から三ノ丸内部を見る。左側の斜面はかなりの切岸になっている。

minokaneyama-15_9139三ノ丸門跡。門の礎石だろう、表が平らに加工された石が今も残る。門を過ぎると水の手、二ノ丸へ出る、とある。三ノ丸門を越えるとそこは三ノ丸のような気がする。三ノ丸を経て、水の手、あるいは一段上の二ノ丸へ出る、が正しいか。

minokaneyama-17_9143三ノ丸門跡の右側に僅かに残る石垣。破城の跡だろう、隅部が壊されている。この斜面の上が二ノ丸にあたる。

minokaneyama-16_9141三ノ丸門跡を出てそのまま進む。正面は三の丸。右側の石材が見える場所から奥へ進むと二ノ丸へ行くことが出来る。まずは奥へまっすぐ進む。

minokaneyama-18_9145このあたりが三ノ丸、か。右奥に奥の谷部へ進む坂道がある。

minokaneyama-19_9146水の手。かつてここには水の手門があり、谷を降りていくと水の手があったという。水の手は断崖上にあり、危険ということでロープで封鎖されていた。

minokaneyama-20_9148水の手門の手前は巨石が散乱している場所がある。奥には石碑。石材は四角く加工された跡があることから、破城により壊された石垣の石だろう。やや盛り上がっているので見張櫓跡、とも言われる。

minokaneyama-21_9149古城山拂下記念碑。明治にありここは皇室の所有地となったが、それが昭和になって払い下げとなった、その記念碑。「拂下」は払下げの意味。

minokaneyama-22_9150碑の裏側に刻まれた、山の歴史と払下げの経緯。昭和28年に払下げされたという。

minokaneyama-23_9151見張り櫓跡から水の手門 方面を見おろす。

minokaneyama-24_9153では石段を上がって二ノ丸へ。

minokaneyama-25_9154こちらが二ノ丸。奥のもう一段上が本丸の周囲に築かれた腰曲輪。

minokaneyama-26_9155二ノ丸跡 説明板。二ノ丸に入ってすぐの場所は土塀・土塁に囲まれ、二ノ丸門があったという。上の写真を見ても分かる通り、今はまったくその面影はない。

minokaneyama-27_9156二ノ丸の奥へ。広い場所には侍屋敷があったという。

minokaneyama-28_9158二ノ丸奥の広い場所へ。

minokaneyama-29_9157ここは高土塁の上部で先端部にあたり、木を切れば城下が一望の場所にあたる。二ノ丸物見櫓跡、となっていた。ここから南には明智氏の居城 明智長山城、東には久々利城などが見えるという。今は木々が生い茂り、ここからの眺望は望めない。

minokaneyama-30_9250では二ノ丸から上段へ上がる石段跡を登る。わずかながら石段らしい雰囲気が残る。

minokaneyama-31_9160石段を登っていくと、正面に石垣が見えてきた。

minokaneyama-32_9161本丸および腰曲輪群へと繋がる、大手桝形虎口が築かれていた。

其の二では、今も美しくその姿を留める大手桝形虎口から散策を再開します。

>> 美濃金山城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2016年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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