長岩城 [3/5] 東之台から本丸までの斜面を完全遮断する、超長大な登り石塁。

長岩城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
谷筋に築かれた一、二、三之城戸を越えて本丸方面を目指す。二之城戸、三之城戸の上部に築かれた登り石塁に驚くも、その上の東之台に築かれた登り石塁は更に長大だった。

訪問時期:2017年1月
長岩城 訪問記 − 其の一

★お城ブログ コラボ企画 第一段★
長岩城には「こにるのお城訪問記」の「こにる」さんと一緒に行ってきました。
こにるさん執筆の長岩城訪問記は コチラ。(2017.1.28掲載)


<訪問記>

nagaiwajo-66_3656東之台に築かれた登り石塁に沿って、本丸方面を目指す。城戸の登り石塁は、あまり近くで見られない位置にあったが、今度は真横に見ながら進んでいくこの贅沢さ!そしてこちらも、全く終わりが見えないぐらい上の方まで石塁が延々と続いている。

nagaiwajo-67_3657見返すと、東之台から盛り上がった土塁も結構な長さになってきた。石塁も結構な長さになっている。しかし、この登り石塁はまだまだ始まったばかりだった。

nagaiwajo-68_3660登り石塁は、まっすぐではなく、時々 折れ曲げ部を作っていることが分かる。縄張り論では、石垣や土塁の折れ曲がり部は、石塁にピッタリくっついた敵を横から攻撃できる「横矢掛け」と言う技巧的な部類の構造にあたる。横矢掛けが顕著に現れるのはもう少し後、戦国期の城郭イメージだが、果たして中世の一地方豪族に過ぎなかった長岩城も、その発想で作られたのだろうか。

nagaiwajo-69_3662このあたりから、斜面は更に急になる。登城ルートも、石塁沿いを直登するのではなく、斜面を右へ左へ曲がりながらゆっくりと上がるつづら折れルートとなる。しかし石塁は、急斜面をものともせず、遥か上部までずっと続いている。

nagaiwajo-70_3665下を見下ろすと、これまた最下部の東之台 虎口部がもう見えないぐらいの距離になっていた。上端も下端も見えないこの位置。


全天カメラによる「長岩城 東之台 登り石塁」の様子。PCでもスマートフォンでも見られます。やや高い位置から撮影したため、登り石塁の折れ曲がった部分が、横矢掛けではなく、見張り台のようなものが建っていた櫓台的な場所だったことも見て取れる。

nagaiwajo-71_3666では登り石塁から一時離れて、つづら折れの道を通って本丸を目指そう。

nagaiwajo-72_3667つづら折れの道を上がり、再び登り石塁へ近づいてきた。

nagaiwajo-73_3668原型が完全に遺る石塁、と書かれた看板。崩れている部分が殆ど無い、という意味だろう。結構な高さがあり、尚且つ地面には枯れ草が積もっているので、それらを取り除けば更に高さを感じる城壁だったのだろう。

nagaiwajo-74_3670そして登り石塁の手前側は、やや凹んだ形になっている。竪堀、と看板も立っていた。竪堀は敵の横移動を防ぐためのもので、石塁の内側に作ってしまうと、敵に入られた後の防御設備となる。やや疑問の残る看板。

nagaiwajo-75_3677そして、いよいよ石塁の最上部へ。この真後ろは本丸直下だ。下の方はもう全く見えない。

nagaiwajo-76_3678登り石塁の最上部は、土塁に接続し、そこから登り石塁の外側も見える。物見櫓などが建てられていたのかもしれないと思わせる構造になっている。

nagaiwajo-77_3680そして上を見上げると、短い登り石塁の上は、いよいよ山頂の本丸が見える。本丸の外周部も石塁で覆われているようだ。

nagaiwajo-78_3675では本丸へ上がってみよう。石塁が一部切れている、いわゆる虎口が見える。

nagaiwajo-79_3683本丸虎口へ。かつてはここに門があったのだろう。

nagaiwajo-80_3685虎口を入ると、まずは本丸の前に築かれた外周部の曲輪、腰曲輪へ。

nagaiwajo-81_3686腰曲輪から見る本丸虎口。左右の石塁だけでなく、内側にも石塁が見える。まっすぐ入れず、外から中も見えない、そんな仕掛けだったのだろう。

nagaiwajo-82_3687そして大量の石材。本丸に組まれていたものだろうか、あるいはこれも登り石塁のようなものだったのだろうか。

nagaiwajo-83_3689上から見下ろす本丸虎口。

nagaiwajo-84_3690そして本丸へ。本丸自体は、あまり広くはないスペースだ。周囲は木々に覆われ、眺望は無いが、隙間からすごい風が吹いてくる。標高530m、比高200mとか。

nagaiwajo-85_3691長岩城 本丸 全景。石碑や説明板などがある。

nagaiwajo-86_3692石碑は城址碑ではなく、長岩城址修復記念之碑、だった。昭和59年 建立。

nagaiwajo-87_3698そして城跡碑、というか、城跡標柱はこちら。永岩城。異なる漢字が書かれている。かなり小さく細いので見落とさないように注意。

nagaiwajo-88_3693本丸に建てられた、長岩城 本丸説明板。昭和57年に一部の修復復元工事を行っているようだ。城戸などの美しく残っていた石塁は、この時の復元のものかもしれない。そして図面には礎石と描かれているが、現場では結構などれが礎石なのかよく分からなかった。

nagaiwajo-89_3694図の右上部に描かれている、斜面に残る石塁を見に行ってみよう。説明板の裏あたりから少し斜面を降りるとすぐに見つかる。

nagaiwajo-90_3695虎口(城門)と書かれた場所。横長の石塁も残る。

nagaiwajo-91_3697更に下部の石塁。最初に入ってきたときの虎口同様、折れ曲げられているようだ。

nagaiwajo-92_3702では主郭を降りて、西之台 方面へと向かおう。こちらもかなり急な道で、木々をつたってロープが設置されている。

nagaiwajo-93_3704尾根を分断する堀切。石塁だけでなく、中世山城でよく見られる堀切や土塁などの設備も築かれていたようで、ほっと一安心(?)。

nagaiwajo-94_3706堀切を越えると、また今度は左右に石積が築かれた細い通路へ。

nagaiwajo-95_3707細い通路を進むと、左側の斜面に向かって入口が作られている。

nagaiwajo-96_3708一文字堀虎口、奥には一文字土塁虎口、と書かれていた。変わった名前で、しかも石塁も大きく崩れていて、何がどう一文字の堀の虎口なのか、よく分からなかった。

nagaiwajo-97_3709石積の向こう側は急斜面。竪堀かもしれない。ここから上がってきた兵が、一文字(まっすぐ横)に築かれた堀や石塁、土塁を越えて入ることから、一文字堀虎口、一文字土塁虎口、などと呼ばれているのだろうか。ネーミングの理由とかつての姿を交えた説明板の設置を望む。

>> 長岩城 [4/5] へ続く。<<

訪問時期:2017年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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