古宮城 [2/2] 紐を巻き付けた独楽のような渦巻き土塁を持つ西の城。

古宮城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
白鳥神社より登城。東の城に残る巨大桝形虎口と土塁に囲まれた主郭を散策。西と東とを分断する大堀切を下って、西の城の北側へ。

訪問時期:2016年12月
古宮城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

furumiya_35_9884西の城、北側の外周堀切より、西の城の多重堀切を見上げる。

furumiya_05_3882sサンライズ出版「愛知の山城ベスト50を歩く」p.149より加筆引用、再掲。現在は左上、西の城 (II) の周りに巡らされている多重堀切の最下段に居る。

furumiya_36_9894堀切の切れ目から上へ。渦巻状にも見えるが、多重円の形をしている。通称「ぐるぐる城」。

furumiya_37_9899最下段の堀切と土塁。その外側はかつては沼地を利用した水濠だったとか。

furumiya_38_9902s中段に築かれた、やや広い場所。上から降りてきた堀底道はここに繋がる。先の縄張図ではBからIIIにあたる場所。大手口から入城した者は堀底道を通ってまずここに到達する。

furumiya_39_9908では堀底道を通って奥へ行ってみよう。幾重にも重なる横堀。やはり下から見上げると螺旋状に見える。

furumiya_40_9910では堀底道の一ツを登ってみよう。左側の切岸は角度も急でとても登れない。右側もとても降りれず、此処に一旦入ると堀底道を進むしか無い。当時は土塁の上には城壁が築かれ、上や下の堀底道もカンタンに見下ろせないようになっていたのだろう(木の板を並べたものとか柵とか)。

furumiya_41_9916最下段の堀切を見下ろす。外周の土塁は、上段に比べてかなり太い。高さによる防衛力が無いので、分厚い土塁が築かれているのか。

furumiya_42_9919上がってきた堀底道を見下ろす。結構な坂道だ。下から上へ主郭を取り巻くように堀切が築かれているので、カタツムリのように渦巻状に見えてしまう。

furumiya_43_9928一番上の堀切道へ上がってきた。主郭(左の切岸の頂上)の外周をグルっと回っている。

furumiya_44_9939堀底道には、整備のために伐採した木材が並べられている。築くとかなり堀底道も広くなっていた。この道は南西端にある大手口から入ってきて通る道なので、それなりに整備されていたのだろう。

furumiya_45_9944土塁の上から、堀底道と切岸、その上の主郭までを捉えてみる。この立体感。

furumiya_46_9956堀底道の一番奥あたりまでやってきた。この奥に、かつての大手口へと通じる虎口があるのだが、何故か現場で失念して此処で引き返してしまった。上から見下ろしたときに思い出したが、時間の都合で戻る事ができず、そのまま大手口跡は未訪問。

furumiya_47_9966堀切道を引き返すの図。土塁側の斜面に伐採した木材が整然と並べられている。

furumiya_48_9969堀底道を一番奥まで行くと、斜面に沿って主郭側へ上がることが出来る角度になる。

furumiya_49_9972主郭手前の曲輪への虎口。先の縄張図の C 地点にあたる。

furumiya_50_9974虎口Cから主郭手前の曲輪へ入って、主郭方面へ向かう。奥に左右に横切っている土塁が、主郭の外周部にあたる。

furumiya_51_9975主郭虎口。土塁が切れていて、当時は此処に小さな門があったのだろうか。

furumiya_52_9976西の城 主郭へ。外周を土塁で囲んでいる。

furumiya_53_9977土塁の上を歩く。右側は切岸、その下は先程歩いていた堀底道だ。

furumiya_54_9978主郭の土塁は結構な幅がある。外周ギリギリに城壁を建てていても、十分 兵が移動できるスペースがある。

furumiya_55_9980主郭 最西部へ。主郭全景。

furumiya_56_9981そして、主郭 最西部から下を覗き込んだ図。中央の大きな土塁の右側が IV 郭、左側がかつての大手口にあたる。やや急な坂道ながら、そのまま城下へと続いている。

furumiya_57_9983主郭 土塁上を通って南東端へ。

furumiya_58_9984南東端あたりから主郭全景を見る。土塁がぐるっと取り囲んでいる姿が今も美しく残る。

furumiya_59_9986主郭 南東端の虎口より、主郭全景。こちら側にも門があったのだろう。

furumiya_60_9991主郭 南東端の虎口外側から。

furumiya_61_9996主郭の東隣の曲輪。

furumiya_62_9997こちらは南側の竪堀。最初に降りた、西と東を分断する大堀切の、南側にあたる。今いる場所は、その大堀切と、この竪堀に挟まれた通路、土橋となっている。

furumiya_63_9789再び 枡形虎口前を通過して、東の城の東端を見てみよう。左側の切岸の上が東の城 主郭。その下に堀切が築かれていて、奥には土橋も見える。

furumiya_64_0003東の城 東南端の土橋。これを渡ると主郭東側の帯曲輪へ到達する。

furumiya_65_0004東の城 東南端の土橋。

furumiya_66_0005土橋の上から東側を見る。こちらも大きな堀切となり、ぐるっと東の城全体を取り囲んでいる。

furumiya_67_0008東の城 最東部の堀切と土塁、切岸の上は主郭東側の帯曲輪。

furumiya_68_0014東の堀切より、土橋を見上げる。堀切を遮断するように土の道が残っている。

武田氏が三河進出の足がかりとすベく作手の地に馬場美濃守をして築かせた拠点は、盆地の中央にある小山の上にこれでもかという程の土木工事を施した「土の要塞」だった。外から見ると森の様相だが、中に入ると土塁に堀切が明瞭に残る。だがこれだけの仕掛けを持つ城も、国人領主の奥平氏が徳川方についたことで築城からわずか2年後に落城してしまう。そして奥平氏は長篠城主へ出世、かの設楽原の戦いへと繋がっていく。

訪問時期:2016年12月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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古宮城 [2/2] 紐を巻き付けた独楽のような渦巻き土塁を持つ西の城。” への3件のフィードバック

  1. あきおう様 初めまして。私は愛知県豊川市在住の「いくた」と申します。
    私もお城巡りが大好きで、7~8年前からお城巡りを始めました。まだまだ初心者で今まで訪れた城郭は230余りで、東海圏を中心に、今は山城巡りの絶好の時期でもあるので、2週間に1度は山城を楽しんでいます。
    城郭を訪れる時は、あきおう様のサイトを参考にさせていただき、本当に助かっております。あきおう様の「読んだ人がそのお城に行った気になる」は本当で、特にまだ行った事のない城郭ではその気になって、ワクワクしながら拝見させていただいております。ありがとうございます。
    私も、この古宮城と大給城は大好きで近いこともあって毎年、毎年訪れています。何回訪れても毎回新しい発見があり、本当に城跡は素晴らしいですね。来週は1泊して岡山県の城跡を巡る予定でいます。今から楽しみです。もちろん、あきおう様のサイトを参考にさせていただきました。これからもお体を大切にしていただき、お城巡りを楽しんでいただきたいと思います。
    拙文で申し訳ありません。これからもよろしくお願い致します。

  2. いくたさま、コメントありがとうございます。実際のお城巡りの参考になったようで、光栄です。岡山の城跡は、当サイトでは100名城以外は残念ながら掲載出来ておりませんが、それ以外ですと 三石城・天神山城 が圧巻です。機会あればぜひご訪問くださいませ。

    1. あきおうさま、ご返事&岡山のお城情報ありがとうございます。岡山は100名城以外では、岩屋城・矢筈城・天神山城を巡る予定でいました。あきおうさまより、三石城というお言葉があり早速調べてみると、大手門石垣・大堀切等見応えのあるすてきな城跡ですね。岩屋城と入れ替える事も考えております。ありがとうございました。

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