古宮城 [1/2] 馬場美濃守が築城したと伝わる武田氏の三河攻略拠点。

古宮城 (ふるみやじょう) は、戦国時代に甲斐武田氏が三河進出の拠点として築いた中世山城。古文書には馬場美濃守が築城と伝わる。小山の周囲を深い堀切で囲み、内部は大堀切で東部と西部に分かれる、一城別郭形式をとる。西部は最長部の曲輪を多重の堀切が囲む、まさに巨大な土の要塞。東部は巨大な枡形虎口を持ち土塁で複雑に区切った巨大曲輪。西部は、主郭である東部の丸型馬出のようにも見える。一部遺構は武田氏から奪取した徳川氏による改修もあったのではという意見も見られる。一部は道路建設で破壊されたが、主要部分は今も美しくその姿を留める。

<基本データ>
●名称:古宮城 (Wikipedia)
●所在:愛知県新城市 (地図)
●城主:馬場信春
●築城:玄亀二年 (1571)
●遺構:枡形虎口、土塁、堀切、竪堀。

訪問時期:2016年12月
古宮城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

furumiya_01_0021古宮城跡へ。遠隔地からも目立つ小山。作手盆地の中央に位置する。

furumiya_02_0018古宮城 遠景。南側から見ている。当時は周囲は沼地で、沼にぽっかり浮かんだ小山の上に築かれていた。標高30m。

furumiya_03_9780この写真のあたりに駐車場がある。石鳥居のところから入城する。ちなみに神社の入口は後年の改変で、当時はここではなく、左奥あたりが大手虎口であったとか。

furumiya_04_9783石鳥居の横にある古宮城址 説明板。南東北の三面は沼地で、西側は隣山に築かれていた塞之神城に通じていたという。城の入口も当時は西側にあった。手の込んだ土木工事を持って巨大要塞を作り上げた武田氏だったが、当時この作手地区の国人領主で亀山城主だった奥平氏が武田氏から徳川氏に転じたことで古宮城も徳川・奥平軍に攻められることとなり、築城からわずか2年後に落城している。その後 文書は残っていないが、徳川方の城としてしばらく使われた可能性もある。

furumiya_05_3882sサンライズ出版「愛知の山城ベスト50を歩く」p.149より加筆引用。上が北。赤丸のところが現在居る石鳥居。ここから神社境内を通って城へ入る。目の前には巨大な枡形虎口(E)を経て東部主郭 I へ。西部へは土橋Dを経て西部主郭IIへ到達できるが、東部と西部を隔てる巨大堀切(Dの上)を降りて、B〜Cを辿って入ってみよう。当時のルートは、左下(西側)の大手虎口から入城し、II郭の外周部に築かれた堀切道を通ってB→C→Dを経てEへと到達するコースだったようだ。

furumiya_06_9784では城内へ。現在はここ白鳥神社の石鳥居が大手門。

furumiya_08_9785鳥居をくぐるとすぐに拝殿へ。右奥に見える階段から城内へ。

furumiya_09_9787変わった形の狛犬さん。

furumiya_09a_0015では神社奥に設置された階段から、東の城の枡形虎口前へ直接向かってみよう。

furumiya_10_9792階段をあがると目の前は巨大な枡形虎口の入口へ。

furumiya_10a_9847枡形虎口内部へ。左側の土塁が分厚く高い。

furumiya_10d_9845枡形虎口 左側の高い土塁。直角に折れ曲がっている。

furumiya_11_9802桝形の形 全景を見るべく、上から見下ろしてみる。小山の上に築かれた中世山城としてはかなり巨大でしっかりとした桝形。

furumiya_12_9803少し角度を変えて。奥の土塁も結構しっかりと残っている。

furumiya_13_9806真横から。すごい迫力だ!

furumiya_14_9808枡形虎口の、内側の入口。後世に削られてしまったのかもしれないが、内部のこの場所が最も高く厳重に土塁が積み上げられている。

furumiya_15_9810桝形内部から、内側の門跡ごしに、主郭内部を見る。中はかなり広い。

furumiya_16_9811桝形土塁の上から、主郭内を見下ろす。巨大な土塁が築かれている。大量の巨木が生えているが、当時は高い土塁に囲まれた巨大な空間に、屋敷や矢倉、物見櫓が建ち並んでいたのだろうか。

furumiya_17_9816桝形虎口から西側に続いている土塁の上より、西の城を見てみる。あちら側も土塁に囲まれた巨大な曲輪が見える。

furumiya_18_9826東の城と、西の城を、隔てる巨大な堀切。東の城側は急角度の切岸が築かれていることが上からでも見える。

furumiya_19_9829東の城の西端から、先程の枡形虎口方面を見る。土塁がぱっくり切れているのが遠くからでもよく分かる。その左側には、曲輪を分割する巨大土塁。

furumiya_20_9838巨大土塁越しに見る、桝形虎口土塁。

furumiya_21_9840東の城 主郭内から桝形方面へ戻る。

furumiya_22_9842枡形虎口入口。向こう側は結構削れてしまっているようだ。こちら側から見ると桝形っぽくは見えない。

furumiya_23_9849再び桝形を通って外へ。では東西を隔てる中央の大堀切を降りてみよう。

furumiya_27_9851s大堀切へ。東の城以上に木が生い茂っていて薄暗い。

furumiya_28_9853s大堀切。右側の上部が先程居た東の城 主郭土塁。

furumiya_29_9855sやがて斜面となり、竪堀の様相になって、城の北側へ降りていく。左右の東西の城部はかなり急斜面の切岸となっており、直接登ることは難しい。

furumiya_30_9859大堀切を下まで降りてきた。見返す。左側の溝が大堀切。西側の土塁は一番下に切れ目(虎口)があり、内部へここから入れそうだ。

furumiya_31_9863西の城 北端部へ。ここは北端部の空堀内にあたる。すごい木が生えてはいるが、その隙間から、西の城の特徴でもある、斜面上に何重にも張り巡らされた土塁と堀切が、まるで渦巻きのように見えている! すごい迫力だ。

furumiya_32_9869このあたりから上部へ入り、堀切の一つへ入る事ができそうだ。

furumiya_33_9874s右に左にと複雑な構造をしている西の城。正面のやや広い場所は、最初の縄張図のBにあたる。西端の大手口から入城し、堀切のひとつを通ってこのBまでやってきて、ここからまっすぐ上に登ってCを経て先程の枡形虎口へと到達する。

furumiya_34_9883大堀切方面を見返してみる。一番奥に見えるのは東の城。手前の土塁(西の城の外周)との間に巨大な堀切があるのが、真横からでも見える。

其の二では、西の城の多重堀切へ入ってII郭を目指します。

<< 古宮城 [2/2] へ続く。>>

訪問時期:2016年12月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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