井平城 : 井伊家から分家した重臣 井平氏の居城。

井平城 (いだいらじょう) は、井伊家の重臣であり一族でもある井平氏の居館・城跡。山麓の居館跡と、小山の上に残る城跡がある。居館跡は畑、城跡 (主郭跡) は住宅となっているが、一部 土塁や竪堀など中世山城の雰囲気を残す場所がある。

<基本データ>
●名称:井平城 (いだいらじょう)
●所在:静岡県浜松市 (地図)
●城主:井平氏
●築城:13世紀頃
●遺構:曲輪跡、土塁、竪堀、井戸跡 等

訪問時期:2016年12月


<訪問記>

idairajo_01_0047井伊家の一族であり分家して重臣となった井平氏の城、伊平城へ。地元のNPO法人「いーら・いだいら」が頑張って案内板や説明板を随所に設置している。

idairajo_02_0048先の看板の指し示す方向を見ると、山へ上がる道が見える。ここから上へ。

idairajo_03_0050辺り一帯は畑などに変わっているが、かつて段曲輪だったような地形は残る。

idairajo_04_0054山道をあがっていると、突如現れる「大手門跡」という看板。山道の脇に盛られている土塁が一部切れているところもあるが、ここが大手門跡だったのだろうか? 左側には戦国時代に弓矢として用いられた「矢竹」も植わっている(左側の説明板は矢竹のもの)。

idairajo_05_0055「大手門跡」を越えて内部へ。草ぼうぼうかつ奥は竹林だが、山頂の方へ道が向かっている。主郭はあの奥の住宅地にあったという。

idairajo_06_0057クリアファイルに入れられて設置されていた、井平城跡の縄張り図。今居る場所は赤丸のところだろうか。大手門跡と書かれていたのはこの図の右下の分岐だ。

idairajo_07_0059「土塁」と書かれた看板と、土塁および堀底道のような場所。ここから奥へ進めるのだが、この上の車道のところに説明板が設置されているので、まずそれを見に行ってみよう。

idairajo_09_0061車道へ上がってみる。奥の住宅が見えるあたりが主郭跡とされている場所。左側に説明板が幾つか建っている。

idairajo_10_0062「井平城址の地形図」説明板。宅地化および田畑になったことで地形含め遺構は大きく損なわれているが、それでもC・D部あたりに当時の姿を少し残しているという。

idairajo_11_0063「井平城跡(城山)」説明板。井伊家七代の頃に分家した一族。1571年、武田軍の侵攻を受け落城。帯曲輪、土塁、土濠(竪堀のことか?)、井戸跡などの遺構が残っているという。

idairajo_12_0064井平城 復元図。わかりやすい。

idairajo_08_0060このあたりから南へ降りれば、先程見た竹林の中あたりに中世期の山城を思い浮かべられるような場所があるという。早速行ってみよう。

idairajo_13_0065先程の土塁の場所へ。ずっと奥まで続いている。

idairajo_14_0066土塁と、その内側に掘られた堀底道。かき揚げ土塁、か。

idairajo_15_0068土塁に沿って奥へ。竹林の中へ降りていく道が設置されている。

idairajo_16_0069入口。此処から先に、中世期の城跡の遺構がよく残っているようだ。

idairajo_17_0072奥に、削平地と切岸が見える。説明板もあちこちに設置されているようだ。

idairajo_18_0073切岸。敵が登れないように更に更に切り取り絶壁を作る。

idairajo_19_0074竪堀と登り土塁。斜面を横移動する敵を塞ぐ。

idairajo_20_0075竪堀。敵が山腹を横に移動したり、登ってくるのを防御するもの。

idairajo_21_0076ここにもうっすらと土塁が残る。

idairajo_22_0077土塁の下を除くと、段々に曲輪が形成されているようだ。下にも看板があるので、下に降りられるのだろう。

idairajo_23_0078一番奥まで行くと、上へ登れば井平城石碑があるようだ。まずは下へ降りてみる。石碑は最後に見に行こう。

idairajo_24_0093崖。天然の要害。

idairajo_25_0092下に降りられる部分もあった。竪堀、竪土塁、建物があったと思われる広い曲輪、階段状の土塁と曲輪、井戸など多くの遺構を見ることが出来る、という。

idairajo_26_0080先程見た竪堀と竪土塁を下から見上げる。

idairajo_27_0082一段下の広い曲輪へ。

idairajo_28_0083先程のクリアファイル縄張り図がここにもあった。わかりやすい。奥に井戸があるようだ。

idairajo_29_0085奥へ向かうと、竹林の迷路のような場所に出る。左側へ進むと車道の方へ戻るようだ。右へ進むと井戸へ。

idairajo_30_0086竹で順路を作ってある。鉄の柵を作るより、コストも掛からず、いい感じ。まだ青竹なので設置したてのようだ。

idairajo_31_0088竹に誘導されて一番下まで降りてきた。井戸跡。水がありそうな気配も、深さもほとんどなく、ただ石を丸く積んだだけの場所のように見える。うーん。本当に戦国時代の井戸なのだろうか?

idairajo_32_0094先程の石碑の看板まで戻ってきた。ではここから上へあがってみよう。石碑の揮毫は地元の歴史研究家の娘さんによるものという。うーん。

idairajo_33_0096上へ上がると広い曲輪へ。先程の縄張り図にあった半島状の曲輪、か。

idairajo_34_0098一番上まであがってきた。住宅の中だ。入るのにためらわれるが、石碑は上だと案内板まであったので、石碑を見るだけならOKなのだろう。静かに中へ。石碑は目の前のコンクリートの端っこあたりにある。

idairajo_35_0100井平城跡 石碑。ぴかぴかの大理石に刻まれているので、正面から撮れない。なお以前は同じ場所に手書きの木札が建っていたとか。これも大河ドラマ効果、か。

idairajo_36_0101下山中、畑地に井平城のノボリが多数建っている場所を発見。

idairajo_37_0102このあたりが、井平氏の居館跡のようだ。平時はここに住み、有事の際は先程の城にこもって戦う、ということなのだろう。右側の台は、井伊谷城の入り口などで見られた新しい説明板の設置用(枠組)。訪問の直後に設置されたようだ。少し早かった。

訪問時期:2016年12月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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