森寺城 [1/2] 街道を取り込んだ越中北部の中世山城。

森寺城は越中・能登の国境近くにあった越中国内の中世山城。能登畠山氏の越中進出の拠点として築かれ、その後 上杉氏、織田氏(佐々成政)の城となった。北陸の中世山城では珍しく石垣を持っていることが特徴で、これらは織田家臣だった佐々成政が城主の際に築かれたものと考えられている。城は能登越中を南北に繋ぐ街道を取り込む形で本丸・二ノ丸や各曲輪がそれぞれ独立した形で街道の左右に点在している。古文書では「湯山城」と書かれているが、森寺地区にあることから現在は森寺城と呼ばれる。

<基本データ>
●名称:森寺城 (湯山城)
●所在:富山県氷見市 (地図)
●城主:能登畠山氏 / 上杉謙信 / 佐々成政
●築城:16世紀初頭
●遺構:石垣、土塁、堀切、切岸、井戸、虎口跡。

訪問時期:2016年10月
森寺城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

moridera_01-03_7735s森寺城跡は標高162mの御殿山に築かれている。山を南北に貫く荒川街道を城内に取り込んだ形となっており、その街道近くまで車道が整備され、駐車場もある。まずはそこを目指そう。

moridera_02-01_7732駐車場に設置されている森寺城跡 説明板。詳細な図面と色付けされた見どころが、非常に分かりやすく描かれている。右が北、図の左右に通っている緑の線が荒山街道で、能登と越中氷見とを荒山峠を越えて渡る、当時もっともメジャーな街道だったという。森寺城はその街道に沿って左右に独立した曲輪を多数持つ形で築かれていた。中央部の最も高い場所(御殿山)に本丸・二ノ丸が築かれている。図の中央部、黄色く塗られた場所がそうだ。現在は図の右上の方、左下から右上へ茶色い車道が延びている先の駐車場に居る。まずは右端(北端)の搦手口跡を見てから、主要部へ入ってみよう。

moridera_03-02_7733駐車場からは道はふた手に別れる。石段の上が折り返して南(写真では左)の本丸方面へ向かう道と、まっすぐ北(図では右奥)へ進む搦手方面。まずは搦手から行ってみよう。

moridera_04-04_7738搦手口近くにある巨大な削平地は「寺坂屋敷」と看板が掲げられていた。

moridera_05-05_7739しばらく進むと搦手口が近くなってくる。

moridera_06-06_7743巨大な土塁と折れ曲がった道のある場所が搦手口跡となる。

moridera_07-07_7744かつてはまっすぐだった街道を、巨大な土塁で折り曲げている搦手口。見通しがかなり悪い。

moridera_08-08_7745搦手口 説明板。土塁と堀切を街道の左右に1セットずつこしらえ、街道をカギ状に折り曲げている。大勢の軍勢を通せなくするだけでなく、見通しを悪くしたり、城門を築いて防衛ラインとしていたようだ。なお堀切は現在よりもかつては1m以上深いものだったという。

moridera_09-09_7748搦手口 堀切。左側が土塁。今でも結構な高低差があるが、更に1m以上の深さがあったことが発掘調査で判明しているという。街道上には城門が築かれ、それを避けようと左右に逸れても大きな土塁と深い堀切で往来を遮っていた。

moridera_10-10_7752搦手口 土塁の上から堀切を見下ろす。

moridera_11-11_7755搦手口 土塁の上から、カギ状に折り曲げられた街道を見下ろす。発掘調査で跡は出てきていないようだが、かつては城門もどこか(折れ曲がりの最終地点あたりか)に建てられていたと想定されている。

moridera_12-12_7759土塁を降りて、城の外側から、搦手口方面を見る。門が無くても搦手口の向こう側の様子がまったく見えない。

moridera_13-13_7763街道沿いには搦手口以外にもあちこちに堀切や土塁が築かれている。

moridera_14-14_7770駐車場を越えて、本丸方面へと向かう。牛ケ窪と書かれた場所。すごい断崖だ。

moridera_15-15_7771城内には街道の左右に大小の土塁が築かれている。資料によっては、この道は「塹壕」とも表現されている。

moridera_16-17_7775街道の左右が大きく落ち込んでいるところ。竪堀のようにも見えるが、自然の谷地形を活用したものだろうか。

moridera_17-16_7772自然をたにを利用した竪堀状の場所。

moridera_18-19_7779その先には、左右に土塁を築いた食い違い虎口。全く向こう側の様子がわからない。

moridera_19-18_7776三つの土塁に囲まれた場所。特に名前は付いていなかったが、このあたりにも城門の一つでもあったのだろう。左右の土塁の上には柵や木塀が設置され、そこで兵が守りを固めていたか。

moridera_20-20_7781正面の切岸の上は、本丸へと続く尾根の一部。本丸はそのさらに奥にある。街道(城内通路)はここで右に曲がる。

moridera_21-21_7785百間馬場と名付けられた、街道に沿って築かれている細長い曲輪。

moridera_22-22_7788百間馬場を越えるとやや開けた場所へ。左奥が本丸、街道は右奥へと続く。

moridera_23-74_7894街道から本丸・二ノ丸を見上げる。街道はこの位置を左右に貫いている。本丸はこちら側(北側)からも侵入できるが、南側には大きな石垣を持つ虎口も残るので、南側の曲輪群を散策してから最後に本丸へ向かうルートとしよう。

moridera_24-23_7790まずは「サイダ屋敷」「踏段堂」方面へ。街道に沿って南下する。

moridera_25-24_7791お花畑。今は竹林。

moridera_26-25_7792急に街道沿いが開ける場所へ。この奥の段曲輪の最上部が、サイダ屋敷のようだ。登ってみよう。

moridera_27-26_7797段曲輪の端にスロープ状の上り道がある。そこから見た段曲輪。

moridera_28-27_7798最上段へやってきた。かなり広い!

moridera_29-28_7800sサイダ屋敷跡。

moridera_30-29_7802サイダ屋敷跡 全景。これだけの広さがあればかなり大きな屋敷が建っていたことだろう。そして街道へ睨みを効かせていた。

moridera_31-30_7804サイダ屋敷跡から段曲輪越しに街道を見下ろす。通行者は丸見えだ。

moridera_32-31_7807街道からサイダ屋敷を見上げる。山中の街道を歩いていたと思ったら、急に開けて柵や城壁に囲まれた巨大な屋敷が頭上に現れる、という感じか。このあたり、サイダ屋敷の下の広場(街道の左右とも)は「本町」と呼ばれる場所だったようだ。

moridera_33-34_7815看板が壊れているが、カンジャ屋敷 と呼ばれる曲輪へと通じる道。

moridera_34-33_7814奥へ進むと開けた場所へ。

moridera_35-32_7812カンジャ屋敷跡。え?間者?(スパイのこと)なハズはなく、鍛冶屋がなまったものとも言われているようだ。

moridera_36-35_7816街道を更に南へ。

moridera_37-36_7817こちらも巨大な堀切、あるいは竪堀。

moridera_38-37_7821切通のように街道部が凹んだ場所。道は奥でまた右へ大きくカーブする。

moridera_39-38_7823北の搦手口のように大きな土塁、、、というより削り残した土塁が視界を遮る。

moridera_40-39_7824大カーブの先は「踏段堂(ふんだんどう)」と呼ばれる場所。図面によると城域はこのあたりまでのようだった。この先は森寺の集落部へと通じる。では折り返して、もう1つの大曲輪である「野崎屋敷」を訪れた後、石垣で守られた本丸・二ノ丸方面へと向かう。

<< 森寺城 [2/2] へ続く。>>

訪問時期:2016年10月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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