七尾城 [3/5] 城の北部、二ノ丸と三ノ丸を分断する巨大堀切へ。

七尾城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
山頂駐車場より城内へ。調度丸の高石垣から遊佐屋敷を越えて絶景の本丸跡。搦手口から遊佐屋敷の裏を越えて温井屋敷跡、そこから城外へと抜ける斜面上の登山道との接点にあたる九尺石を見る。其の三では二の丸から三の丸、安寧寺跡へ。

訪問時期:2016年10月
七尾城 訪問記 −


<訪問記>

nanaojo_64-7490温井屋敷跡から二ノ丸方面を見る。段々に積み上げられた低い石垣の上が二ノ丸。スロープも当時のものだろう、サイドが石垣になっている。

nanaojo_65-7493スロープの上から二ノ丸下の段の石垣を見る。かなり古い石垣だろうか、小粒な石材が使われているようだ。

nanaojo_66-7496二ノ丸上の段石垣。

nanaojo_67-7497スロープを登りきって、二ノ丸へ。結構広い。

nanaojo_68-7499二の丸跡 看板。

nanaojo_69-7502二の丸跡の一番奥には櫓台跡のような盛り上がりと、詳細な説明板がある。

nanaojo_70-7503二ノ丸に立つ七尾城跡 説明板。七尾城の特徴は、尾根上に先程見てきたような造成段の郭を計画的に多数連ねていること。山上のこの山城と、山下の城下が一体となる北陸を代表する戦国都市だったという。左側に簡易な曲輪配置図が掲載されている。

nanaojo_71-7504七尾城 曲輪配置図。右上が北にあたる。ちなみに温井屋敷と桜馬場の間の高台にある西の丸は、温井屋敷の奥から土塁の上を逆流して登ることができるが、上部はまったく草刈りがされていない状態で何も見えなかった。二ノ丸とこの奥の三ノ丸との間は巨大な堀切が築かれている。

nanaojo_72-7505近くにあった、二ノ丸のCG。周囲を低い石垣と土塀で囲った二ノ丸内部には、屋敷が建っていたようだ。少し盛り上がったところは堀切側を見下ろせる物見櫓的な建物があったのだろう。

nanaojo_73-7506CG看板のあたりから二ノ丸内部全景を見る。上のCGと同じ場所とは思えない状態だが、かつてこの周りは石垣と土塀で囲まれ、中には巨大な屋敷が建っていた。

nanaojo_74-7509二ノ丸北端部、出っ張りの部分。この下は人工的に尾根を分断した大堀切。手前の木の奥は木の高さがガクンと落ちるので高低差があることがよく分かる。少し覗いてみよう。

nanaojo_75-7510二ノ丸と三ノ丸の間の大堀切を上から。高低差があるのはわかるが、草ぼうぼうでよく見えない。下へ降りてみよう。

nanaojo_76-7511二ノ丸の北端部脇に、堀切下へ降りる急階段が設置されている。当時はこんな道はなく、堀切間を木橋で渡していたのだろうか。

nanaojo_77-7514大堀切が見えてきた。

nanaojo_78-7516大堀切を中段あたりから。石がゴロゴロしているのは、当時は上部に先程のCGのように低い石垣が築かれていたものだろうか。

nanaojo_79-7521二ノ丸・三ノ丸の間の大堀切の堀底。かなり深い!切岸高い!降りたら上がれません。向かって右側が二ノ丸、左側が三ノ丸。

nanaojo_80-7532三ノ丸側から堀切越しに二ノ丸の切岸を見る。大堀切を越えて木橋を渡らせるにはちと遠いか。

nanaojo_81-7533三ノ丸へ向かう。左の土塁の上が三ノ丸だが、入り口はまだかなり先。

nanaojo_82-7536三ノ丸へ。

nanaojo_83-7537三ノ丸跡 説明板。城内最大規模の曲輪という。

nanaojo_84-7535三ノ丸の中央部には低い土塁と石積み跡が残る盛り上がりがある。築地塀の跡か。

nanaojo_85-7538三ノ丸中央部の築地塀跡。塀の向こう側の奥が三ノ丸虎口なので、三ノ丸へ入ってきた人は今のように見晴らしの良い広い三ノ丸は見えず、壁際を歩くことになる。

nanaojo_86-7541三ノ丸の半分以上まで続いている築地塀跡。

nanaojo_87-7546三ノ丸全景。かなり広い。縦長の曲輪。

nanaojo_88-7544三ノ丸の南側には土塁跡も残る。低い石積みがあったと思われる跡も。

nanaojo_89-7547土塁の一部が切れていて、そこから三ノ丸の西側斜面に沿って降りる階段が付けられている。

nanaojo_90-7548三ノ丸西側の通路へ。三ノ丸の外周法面はなかなかの角度で、ちょっと登れそうにもない。

nanaojo_91-7549法面をよーく見ていると、時折石積み跡らしき部分も見える。かつては三ノ丸の外周部もぐるっと石積みが巻いていたのだろう。

nanaojo_92-7556そのまま奥の安寧寺跡へ。墓碑と慰霊碑がある。

nanaojo_93-7555こちらが安寧寺跡に残る墓碑群。

nanaojo_94-7553巨大な供養塔。五輪塔の土台部分には能登畠山氏の家紋 二つ引両紋 も見える。足利氏の家紋としても有名。

nanaojo_95-7552おそらくこの供養塔の説明板なのだろうが、まったく読み取れず。文字の痕跡すらなく、ここまで読み取れない説明板も珍しい。

>> 七尾城 [4/5] へ続く。<<

訪問時期:2016年10月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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