小丸山城 : 前田利家が能登支配のため築いた惣構を持つ丘城。

小丸山城 (こまるやまじょう) は、戦国期に能登一国を治めていた前田利家が、かつての能登守護 畠山氏の巨大山城 七尾城を廃し、港湾を取り込んだ惣構を持つ平城として天正十年〜十七年頃に築いたと言われる。七尾市街地にある小丘陵上に築かれていた小丸山城は、現在は小丸山公園として整備に伴い大きく改変され、遺構の残存状況としては悪い。本丸の隅部には櫓台(天守台?)と思われる土台が幾つか残り、また小丸山を囲むように屈曲した河川が通り、当時人工的に築かれた惣構堀の跡と言われている。

<基本データ>
●名称:小丸山城 (Wikipedia)
●所在:石川県七尾市 (地図)
●城主:前田利家
●築城:天正17年(1589)?
●遺構:櫓台、堀切、切岸、惣構堀

訪問時期:2016年11月


<訪問記>

komaruyama_01-7280小丸山城(小丸山公園)の駐車場へ。ここには城主 前田利家公と、その妻まつ の銅像が建っている。

komaruyama_02-7286大河ドラマ利家とまつ、の放映を記念して当時造られたとか。なかなかの出来栄え。

komaruyama_03-7282かつては本丸跡に建てられていたこの銅像だが、いつの間にか駐車場に移転されている。

komaruyama_04-7284前田利家公。小丸山城を築いた頃とすると、アラフィフぐらい。

komaruyama_05-7334駐車場の脇にある長いスロープを上がって、城内へ向かおう。この道はそのまま本丸と二ノ丸を遮る巨大堀切につながっており、そのまま向こう側へ通り抜けることが出来る。向かって左が本丸、右が二ノ丸。

komaruyama_06-7290s本丸の様子。築山風の土塁などもあるが、大正時代の公園化に伴い遺構は失われてしまったという。隅部にはかつて櫓が建っていた櫓台が残るので、それを見に行ってみよう。

komaruyama_07-7288二ノ丸へ掛かる橋がある近くに建つ、巨大な史蹟碑。

komaruyama_08-7289史蹟 前田利家小丸山城址。

komaruyama_09-7291史蹟碑の近くにあった小丸山城 説明板。当時の姿のイメージ図と城に関する説明。説明文には天正九年(1581)築城とあるが、近年の研究では天正十七年頃とする説もある。前田家と言えば加賀百万石のイメージが強いが加賀を与えられるのは賤ヶ岳の後、それまでは能登国主でここ小丸山城を新たに築いて本城としていた。当時は地名を取って所口城とも呼ばれたという。

komaruyama_10-7292当時の小丸山城イメージ図。小丘陵4つから成る平山城で、その周囲を七尾港も含め取り囲む惣構も見える。現在居る場所が本丸、橋を渡った先が天性丸(二ノ丸)、道路の向かい側には大念寺山という曲輪もあったが近年の河川工事や都市化に伴い既に山ごと削平されている。左上の小さな宮丸は現在は西光寺や相撲場になっているという。後ほど訪れてみよう。

komaruyama_11-7293こちらが先ほどのイメージ図で三層の天守らしき図が書かれていた櫓台。今も土塁が残る。

komaruyama_12-7298櫓台の上。礎石の類などは一切ない。地中にあるのかもしれないが。

komaruyama_13-7294もう1つの櫓台へ。上には坊さんの巨大銅像が建ち、周りも石やコンクリートで囲まれているようだが、発掘調査で当時からここには櫓台(土塁)があったことが判明しているという。

komaruyama_14-7295坊さんの銅像の裏側から、惣構堀の向こう側の様子がよく見えるので登ってみたが、あいにくの濃霧でこの有様。致し方なし。目の前を左右に流れるのが当時の惣構堀の跡といわれる御祓川(おはらいがわ、ではなく、みそぎがわ)。

komaruyama_15-7301では天性丸へと繋がる橋を渡ってみよう。当時もここに木橋がかかっていたとされている。

komaruyama_16-7306天性丸。本丸跡と違って外周に大きな木があまりないので、眺望も、下からも、よく見える。

komaruyama_17-7309天性丸の先端へ。

komaruyama_18-7312まだ濃霧は収まらないが、天性丸の先端部に、前方の川向うに見える寺院群の説明板がある。

komaruyama_19-7311山の寺寺院群 説明板。郡ではなく群だろう。前田利家公が小丸山城築城の際に築いた寺町が始まりとのこと。

komaruyama_20-7315では下山して、まずは本丸と天性丸の間を遮る巨大堀切を通り抜けてみよう。かつてこのあたりは谷部で気温が上がりにくく、天然の冷凍庫として氷室(ひむろ)があった、と書かれた説明板もあった。

komaruyama_21-7319植樹され切岸本体が見えないが、人工的に丘の中央部を削って作ったものか、元々2つの丘が隣接していたのか。

komaruyama_22-7322堀切を奥まで抜けると、小丸山公園の大きな石碑もあった。

komaruyama_23-7323石碑そばの説明板。絵は本丸にあったものと同じだが、説明文が異なる。御祓川は築城の際に能登国中の男を五日間賦役させて掘り上げたという。利家が賤ヶ岳の武功で加賀の一部も与えられると居城を金沢城へ移し、ここ小丸山城は兄の前田安勝が城主となったという。城代は長連龍。その後、利家次男の利政が城主となり、大坂の役後の一国一城令で廃城となった。

komaruyama_24-7324七尾観光マップという案内板。川で囲まれた中洲状態の七尾市街地の先端部に城が位置していることがよく分かる図。そして向かって右側の細い「御祓川」は必要以上にグネグネと曲がり、横矢を効かせた人工的な水濠だということも分かる。御祓川を少し見に行ってみよう。

komaruyama_25-7326小丸山城本丸のある丘陵の南端部。土砂崩れ等を防止するためかコンクリートで覆われている(ほとんど蔦が覆っているが)。この上には先ほど見た巨大坊さんの像があるはずだが、木々が生い茂っていて見えない。

komaruyama_26-7328こちらが城の南側あたりの御祓川。橋があって見えないが、右に曲がったあと、すぐに左に折れている。地図を見ると更にこの先すぐにまた右に左にと折れ曲がりまくっていた。

komaruyama_27-7331御祓川の折れ曲がり。

komaruyama_28-7267では小丸山城の北側にあった「宮丸」という曲輪跡へ向かってみよう。この坂の上。

komaruyama_29-7268坂道のところにあった愛宕小路 説明板。宮丸は愛宕山と呼ばれた小山だった。

komaruyama_30-7269この上が、宮丸跡。

komaruyama_31-7270愛宕山 説明板。

komaruyama_32-7271愛宕山へ。城の曲輪として使われた後も公会堂や科学館など色々建っていたようなので、城の遺構は絶望的か。

komaruyama_33-7275奥の土塁の上には、忠魂碑と読める巨石が不思議な配置で置かれている。

komaruyama_34-7274これは忠魂碑の跡だった。明治42年に日清日露戦争の戦没者を慰霊すべく建てられた塔だったが、平成19年の能登地震で傾き、抜魂式を経て解体、一部をこのように再配置したものだという。合掌。

komaruyama_35-7276本丸と宮丸(愛宕山)の間にある、相撲場。このあたりも曲輪だったとも言われるとか。奥に見える巨大な建物は西光寺。山門が小丸山城築城前に能登地区の主たる城だった七尾城の城門が移築されていると伝わるので、ここまで来たら是非寄って行こう。

komaruyama_36-7265西光寺 山門。

komaruyama_37-7261西光寺。奥州藤原三代孫 感叡上人 開基、とある。

komaruyama_38-7259こちらが七尾城 城門の移築と伝わる西光寺 山門。木戸や柱の一部などはかなり修繕されているようで、移築門特有の古さは感じないが、冠木や主柱などはそうであろうか。

komaruyama_39-7262西光寺山門を内側から。控柱や破風の懸魚なども真新しい。七尾城の城門を移築したのであれば、それらしい説明板などが近くにあっても良さそうだが、特に見当たらなかった。

komaruyama_40-7263西光寺 本殿と、その裏にそびえる小丸山城跡。

訪問時期:2016年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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