穴水城 : 能登有数の国士 長氏一族の居城だった中世山城跡。

穴水城は能登半島の首根っこあたりにある山城で、能登有数の国士で能登守護畠山氏の重臣(畠山七人衆)やその後の加賀前田家家老を務めた長氏一族の居城だった。穴水港を見下ろす低丘陵上に位置する。室町初期より長氏一族が居城としており、天正四年には上杉謙信の能登侵攻により落城しているが、謙信死去後の天正六年には長連龍が奪還している。天正九年には能登一国が前田利家に与えられ長氏は退去、利家は穴水城の改修を行っているが、中央から遠く離れた穴水城はその後 記録に現れなくなり、しばらくして廃城となったと考えられているという。城跡は車道および公園化により破壊が大きく、また主郭以外のエリアはまったく整備もされておらず藪で散策は厳しい。主郭下に石碑や説明板が建つ。

<基本データ>
●名称:穴水城 (Wikipedia)
●所在:石川県鳳至郡穴水町 (地図)
●城主:長連龍 / 前田利家
●築城:貞治元年(1362)?
●遺構:曲輪、土塁、切岸、堀切

訪問時期:2016年10月


<訪問記>

anamizu_01-7199能登穴水へ。のと鉄道七尾線の終着駅・穴水駅から北東へ。町役場の裏山が、穴水城跡となる。役場側からは登れない。役場の少し南にある「穴水城跡公園入口」と書いてある看板がある登り道は徒歩のみ通行可。車で行く場合は山の裏側から。主郭下まで車道が延びている。

anamizu_02-7202車道を通って城跡へ。あっという間に主郭下へ到着。正面の切岸の上が主郭跡。ここに駐車場が設置されており、切岸前には城跡碑や説明板などが並ぶ。

anamizu_03-7205穴水城址碑。揮毫は長氏 第三十四代当主 長昭連氏。

anamizu_04-7203穴水城跡 説明板。長氏は鎌倉時代の長谷部信連が祖とされ、穴水城は八代 正連が築城、二十一代の連龍まで居城としたという。能登畠山氏の重臣だった父 長続連が、奸臣 遊佐続光の謀計により惨殺され城が上杉家に渡ると、連龍は織田方に付き穴水城奪還を果たす。その後 前田利家が能登一国を与えられ城を去った(その後 長氏は代々前田家家老となった)。

anamizu_05-7204古城追想という石碑。読みづらいが、先の説明板などと同じようなことが書いてある。

anamizu_06-7208主郭へは、おそらく当時はこのルートではなかったと思うが、切岸を巻くように設置されたスロープから。

anamizu_07-7210穴水城 主郭。何もない。

anamizu_08-7211主郭の奥には、何故か中国北京の会社・学校の慰霊碑が建つ。当時の北京は日本占領期、その卒業生が戦後穴水に住んだことから建てたのかもしれないが、なぜ穴水しかも城跡なのか、理解不能。

anamizu_09-7213主郭から港方面へ伸びる細い曲輪。先端まで行けば港が一望できそうな雰囲気もあるが、草ぼうぼうで入り込めなかった。

anamizu_10-7216主郭の北側には一段低くなった広大な曲輪が広がる。発掘調査で16世紀の器などの生活用品が出ているそうで、ここが城主一族の居住空間であったのではないかとされている。が、中はこんな状態でまったく入れる状態にあらず。

anamizu_11-7227主要部から少し離れ、曲輪を貫く車道を逆走、曲輪群へ入り込めそうな場所を探してみる。堀切を分断しているところもあったが、段差が高くそこからの侵入は諦めた。

anamizu_12-7228s主郭部から東へ伸びる曲輪群の東端あたりを遮る(そして車道で分断破壊されている)堀切あたりを目指して、ここから曲輪内へ入ってみる。奥に小屋が見える。

anamizu_13-7229曲輪内へ入ってみた。資料にはこの奥には伝大手口と言われる虎口などがあるそうだが、草ぼうぼうで視認不可だったとのこと(同行者が突撃)。

anamizu_14-7230sここから、土塁を上がり、堀切で遮断される主郭部最東端の曲輪へ行ってみる。

anamizu_15-7233主郭東の曲輪へ。やや凸凹が見えるが、詳細不明。奥へ。

anamizu_16-7234北側は自然地形か切岸か、かなりの角度で斜面が見える。

anamizu_17-7238東端の堀切跡。

anamizu_18-7240北側の大切岸。谷の自然地形を活用したのかもしれない。こちらから攻め上がるのはほぼ不可能。

anamizu_19-7243主郭へ戻って、西側を少し散策してみよう。トイレがある。その裏側はコンクリートパネルで固められている。

anamizu_20-7244トイレの正面に港側に向かって伸びる細長い曲輪。先端部にあたるので、今は林の中状態でまったく港湾は見えないが、当時は港を出入りする船が一望の、絶好の監視場所だっただろう。

anamizu_21-7248山麓へ。山城の南東側に歴史民俗資料館がある。その向かい側に鎮座するのは「長谷部神社」。穴水城主だった長氏の祖は、鎌倉時代に遡る長谷部氏ということで、その長谷部氏を祀る神社となっている。

anamizu_22-7247長谷部神社 説明板。長氏の祖 長谷部信連を祀る。元は来迎寺というお寺にあった木造が本尊で、昭和になってここに移転したようだ。しかし本殿そのものは何と寛永期(江戸初期)の建立という由緒あるもの。

anamizu_23-7250穴水町歴史民俗資料館へ。二階が長家史料室で、信長や利家らの朱印状や具足、采配などが展示されている。貴重だけど数は少ないのですぐに見終わる。休憩がてら、どうぞ。入場料100円。

anamizu_24-7253穴水港越しに見る穴水城跡。正面の小丘陵上が城跡。

anamizu_25-7254穴水湾。中世屈指の重要港だったとか。

訪問時期:2016年10月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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