御舘館 (おたちやかた) : 巨大な空堀と土塁に囲まれた平城跡。

御舘館 (おたちやかた) は、石川県羽咋郡 (はくいぐん) 南部の宝達志水町 (ほうだつしみずちょう) に残る平城跡。史料には城主などの明確な情報が残らず、江戸期の地歴書には岡部六弥太、順徳上皇の館跡とあるが確証は無いとか。発掘調査では、14世紀後半〜15世紀前半および16世紀第3四半期頃に遺物のピークがあったという。遺構は、川沿いの崖の北側に80m四方の正方形の主郭、東側に隣接して副郭がある。主郭は全くの未整備状態だが、副郭は土塁や空堀が美しく残る。近くに前田利家・佐々成政が争った末森城跡があり、その頃の改修等も入っているかもしれない。

<基本データ>
●名称:御舘館 (おたちやかた)
●所在:石川県羽咋郡 (地図)
●城主:不明
●築城:14世紀頃か
●遺構:空堀、土塁、曲輪

訪問時期:2016年10月


<訪問記>

otachi_01-7037羽咋郡南部の宝達志水町、その名も「御舘」地区に、御舘館跡はある。田んぼに囲まれた巨大な森がある場所がそうだ。

otachi_02-7087かなり天気の良い日だったが、ここだけ鬱蒼としていて中は薄暗い。大量に木が生えている場所がかつての堀跡となる。まずは堀跡から中へ入ってみよう。

otachi_03-7046堀底へ。右側の巨大土塁の上は、主郭の東部に隣接する副郭となる。空堀はかなり広く、広い場所で10m以上はありそうだ。天然の要害が無く、堀を巨大化させることで防御力を担保したのではと言われる。

otachi_04-7045見返すと、先ほど入ってきたところが曲輪の北東端にあたり、堀がカーブを描いていることが分かる。そして外と中の明るさの違いもよく分かる。

otachi_05-7043副郭の土塁。良好に残る。角度は急で、高さは2mほどだが、発掘調査でかつては6mほどあったとのこと。かなり堅固だ。

otachi_06-7051堀底を通って奥へ。写真では分かり辛いが正面には副郭が一部飛び出た場所があり、堀もそれに沿って左へカーブしている。資料によると、かつてはこのあたりに空掘を渡るように木橋が架かり、ここが当時の大手道だったと推定されているという。横矢が十分に効いている。

otachi_07-7054sこのあたりで一部土塁が低くなっている箇所があるので、土塁の上へあがり、副郭上から空堀を見てみよう。なお当時は当然 土塁が低くなっているなんてことはなく、劣化により登り口風になっているだけだ。前述の通り、発掘調査でこの空掘は深さが6mほどあった事がわかっている。

otachi_08-7055副郭の様子。外周を土塁がぐるっと囲んでおり、また曲輪内部にも凸凹が見られることから、何かしらの構造物があったようだ。

otachi_09-7059s東部の土塁上から、空掘を見下ろす。右前が先ほど見た副郭の凸部で、それに沿って空掘もカギ状に曲げられている。

otachi_10-7061空堀の外側には廃墟がある。あのあたりと、こちら側(副郭)との間に、かつて巨大な木橋が掛けられていたのでは、とのことだ。

otachi_11-7062sかつての大手道に掛かっていたと想定される木橋のイメージ図。ちょうど副郭(手前)の凸部の傍に橋が掛かっているので、渡っている最中に凸部から横矢が効く状態。

otachi_12-7063空堀と土塁。右側の空掘は今は2mほどの深さだが、当時は最大6mほどあったとか。この幅で深さ6mということはかなり薬研堀(V字の堀)だ。

otachi_13-7067副郭凸部の南側の空堀。

otachi_14-7070副郭凸部の内部。

otachi_15-7072副郭内部。南北に縦長で、周囲はビッシリ土塁。

otachi_16-7076副郭の中央部には、細長い土塁状の盛り上がりがある。資料によると、先ほどの大手道として架かっていた木橋で外周土塁の上へ渡り、更に外周土塁の上からこの「島土塁」へ別の橋を渡って副郭の中へ入ってくる仕組みだったとか。

otachi_16-7076sイメージ図。こんな感じか。当時は空掘も深く、外周土塁も高かったとすると、最初に橋を渡って土塁の上に行ってもそのまま副郭へは入れず(木板等で壁を作っていたかも)、再度 内部の橋を渡ってそこから降りて副郭へやっと入れたのだろうか。

otachi_18-7083そして「島土塁」から階段を降りて副郭内へ入り、そのまま主郭へ向かう場合、主郭虎口の前に設けられた土塁を回り込むように曲がる必要がある。土塁はかなり薄くなっていたが、盛り上がりがあることは今でも分かる。

otachi_19-7081土塁を回り込んで、虎口と思われる場所から主郭の中を見る。草刈りなどの整備がされているのは副郭だけで、主郭は虎口からしてこの通り草ぼうぼう。とても入れない。

otachi_17-7078副郭全景。見学できるのは副郭とその周りの空堀だけだが、それでも十分 当時の敷地の形状や横矢が掛かる大手道の仕組みなどを体感できる。

otachi_20-7086主郭北側の堀切。かなり浅くなっているが、幅のかなり取られた空掘跡が残っている。主郭は畑になっていて、耕作でかなりの部分(土塁や櫓台など)が削られているという。

訪問時期:2016年10月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中