大坂城 [特別公開] 2016.11.19 昭和34年発見の豊臣期大坂城 本丸石垣

太閤秀吉公が築いた大坂城。1615年5月、いわゆる大坂夏の陣が勃発、大坂城は戦場となり、大天守含め城は焼失した。徳川家康が同じ場所に造り直したのが今に残る大坂城。ではその太閤秀吉公が築いた大坂城はどこへ行ったのか。昭和34年、本丸大天守前の地中深くから発見された謎の石垣、そこから調査が始まり、豊臣家の大坂城の上に数メートルの盛り土をして覆いかぶせるように徳川家の大坂城が築かれていたことが判明した。その時発見された野面積みの石垣は普段は非公開だが、2016年11月にTV等で話題となり1日だけの一般公開イベントが開催されたので、見に行ってきました。

訪問時期:2016年11月

大坂城 訪問記 はこちら


<訪問記>

osakajo-ishigaki-ido_01-9109s213時開始ということで13時前に行ってみると、もうこの長蛇の列。50人は並んでいるだろうか。既に見学会は始まっているようで、少しずつ列が前に進んでいる。

osakajo-ishigaki-ido_02-9105s約15分で地中の石垣を上から眺める事ができる井戸状の穴の前へ。井戸の周りをぐるっと周りながら見学出来るコースになっている。みんな鉄網にへばり付いて見ている。私もこの写真の後、鉄網にへばりつくことになる。

osakajo-ishigaki-ido_03-9087鉄網から覗いた様子。約8mあるという。家康は豊臣家滅亡後、豊臣家の無念を覆い隠すように、8mもの土を盛り上げて、その上に現在の徳川大坂城を築いた。すごい話だ。なお過去の文献には「家康が豊臣家の大坂城を修復した」という記録しか残っていなかったようで、この石垣が発見されるまでは現在の大坂城も太閤の築いたものと思われていたという。上に8mも土を盛って更に上に石垣を築くというのは「修復」ではない。これでは石垣がよく見えないのでズームしてみよう。

osakajo-ishigaki-ido_04-9089換算35mmレンズ。石垣らしく見えてきたがまだ遠い。

osakajo-ishigaki-ido_05-9092換算80mm程度。石垣の姿がバッチリ見えてきた。石垣の上端で、あそこが豊臣家の大坂城の「地表」だった。石垣は4段ほどしか見えないが、その下にもまだ数m埋まっているという。もう少し規模が分かるように掘り出したままにしておいて欲しかった。

osakajo-ishigaki-ido_06-9096井戸の周りを移動しながら角度を変えて見てみよう。はしごが正面についているので、はしごの真上あたりから見れば、ちょうど良い角度で見られる。降りてみたいが、ここを降りられる機会はそう無いだろう。

osakajo-ishigaki-ido_07-9082井戸状の筒はコンクリートなので、石垣の左右もコンクリートで固められてしまっている。

osakajo-ishigaki-ido_08-9097少し角度を変えて。表面だけ平らに整えた、様々な形の石材を積み上げた、石垣初期の野面積みと呼ばれるスタイルの石垣。

osakajo-ishigaki-ido_09-9078やや斜めから。

osakajo-ishigaki-ido_10-9079ズームで。鉄網の穴の幅が小さく、口径が大きいレンズだとどうしてもかぶってしまって、ズームにすればするほど一部が霞がかったようになってしまう。こういうときはレンズ口径の小さなコンデジやスマホが便利かも。(しかし当然ライト等は無いので中は上からの太陽光のみ、かなり暗い)

osakajo-ishigaki-ido_11-9069反対側へ。随分印象が異なる。なお調査の際、最上段の石垣付近から焼土層や僅かながら金箔瓦の破片が見つかったという。大坂夏の陣で炎上したときの土の表面だ。

osakajo-ishigaki-ido_12-9074横から見るとあまり大きさが分かりづらい。やはり石垣は正面から見るに限る。

osakajo-ishigaki-ido_13-9076左斜め前から。ぐるっと色んな角度から見られるのは面白い。

osakajo-ishigaki-ido_14-9099井戸の隣には簡易テントが建てられ、いくつかのパネル展示。豊臣家大坂城の真上に山を築くように徳川期大坂城が建てられたことが、左上の図でよく分かる。また内濠は半分ほどが流用され、本丸と二ノ丸をくっつけて新本丸としたことなどが下の図で分かる。またここで現在進行中の豊臣石垣公開プロジェクト(場所はここではなく金蔵の裏)の寄付金の受付も行っていた。1万円寄付すると特製コイン、10万円寄付すると氏名掲示と先行内覧会へ。

osakajo-ishigaki-ido_15-9101昭和34年、大坂城の地中から謎の石垣が発見されたときの新聞記事。

osakajo-ishigaki-ido_16-91022つの大坂城の図面。左側の◯が今回見た井戸の底の石垣、右側の◯が豊臣石垣公開プロジェクトで見学設備が作られる場所、だ。

なかなかお目にかかる機会が無い昭和34年発見の豊臣石垣。全体を覆う屋根を造り、アクリル板にするなどして、いつでも見られるようになる日が来ることを期待しています。

訪問時期:2016年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10+ XF14mm / XF55-200mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中