一乗寺城 : 佐々成政と前田利家が争った加賀・越中 境目の城。

一乗寺城は、南北朝期〜戦国時代に存在した越中国と加賀国の境目にある山城。標高277mの山頂に位置し、南北朝期に越中守護の桃井氏方の拠点として築かれた一乗寺城は、国境そして街道沿いにあったことから戦いの舞台として多く歴史に残る。天正年間には、越中を抑える佐々成政と、加賀の前田利家の争いの舞台となり、一乗寺城は佐々方の城として織豊系の改修がなされている。山頂部の主郭を中心に階段状に曲輪が配置され、土塁や櫓台などを持っている。地図は入口の石碑の位置。

<基本データ>
●名称:一乗寺城 (Wikipedia)
●所在:富山県小矢部市 (地図)
●城主:桃井直常 / 杉山小助(佐々方)
●築城:南北朝期〜天正期
●遺構:堀切、土塁、虎口、曲輪

訪問時期:2016年10月


<訪問記>

ichijouji-jo-7020一乗寺城は今も昔も国境の城。富山県と石川県の県境(のやや富山側)に位置する。

ichijouji-jo-7022一乗寺古城 北尾根口 案内板。

ichijouji-jo-6885北尾根口を進むと、やがてこの大きな石碑がある広場へ出る。ここから奥が城域のようだ。

ichijouji-jo-6887石碑の基壇の部分には、一乗寺城見取り図(簡易縄張図)が彫ってあるのだが… 残念ながらよく分からない。此の碑、と左端に書いてあるので、ここから奥に真っ直ぐ道なりに進むと、左側に三ノ丸、二ノ丸、そして本丸が連続して配置されているようだ。

ichijouji-jo-6890しばらく進むと設置されている説明板。南北朝期から天正年間まで、歴史に名を残す一乗寺城。

ichijouji-jo-6897やがて姿をあらわす巨大切岸と、その手前の帯曲輪と土塁だろうか。全体で堀切に見えなくも無い。

ichijouji-jo-6898縄張図を見ていると、当時の登城ルートは先ほどの堀底道を奥に行ったところから、切岸の上(三ノ丸)へと上がるルートのようだが、堀切の向こう側はこのとおり藪ヤブだった。現在は最初の道を真っ直ぐすすんだところに切岸を斜めに上がるハイキングコースが設置されているそうなので、そちらから登ろう。

ichijouji-jo-6899堀底道を逆側から。左奥の大斜面が三ノ丸の切岸。ここからは到底登れそうにない。

ichijouji-jo-6901しばらく道を進む。当時は此のルートからは直接左側の三ノ丸へは上がれず、このまま真っ直ぐ突っ切った先にある大手口から本丸の裏側へと出るルートもあった模様。本丸の裏側が大手口、というのもちょっとよく分からない構造だが。

ichijouji-jo-6902三ノ丸の切岸横に設けられている上り道。当時の道ではない模様。ここから上へあがる。

ichijouji-jo-6905上へ登ると様子は一変、周囲を土塁に囲まれた広い曲輪へ到達する。ここが三ノ丸。

ichijouji-jo-6909結構広い曲輪だが、周囲を低くはない土塁がぐるっと取り囲んでいる。

ichijouji-jo-6908そして土塁の一部には切り込みが入れられ虎口が設けられている。こちらの虎口は先ほど切岸・堀底道の奥から行けなかった道につながっている。

ichijouji-jo-6919三の丸の虎口から下を見たところ。下にも外側を土塁で守られた帯曲輪的な空間がある。

ichijouji-jo-6921三ノ丸の外周土塁は、ところどころやや高く広く盛り上げられている場所がある。櫓台だろうか。

ichijouji-jo-6923三ノ丸外周土塁と切岸の急角度がよく分かる構図。当時は更に此の上に木板や柵、ノボリなどが立ち並んでいたのだろうか。

ichijouji-jo-6930やや薄くなってしまった土塁の部分もあるが、全周をくまなく囲っている。

ichijouji-jo-6937土塁に切込みを入れる形の虎口。木戸を設け、左右には柵や盾に覆われた櫓などがあれば、容易には近づけない堅固な防衛施設となろう。

ichijouji-jo-6939では三ノ丸から二ノ丸を抜けて主郭へと向かおう。この真っ直ぐとなったあたりが二ノ丸か。

ichijouji-jo-6941そして二ノ丸と本丸との間には、何度も折れ曲がらせられる土ベースの食い違い虎口(枡形虎口の小型版?)が色濃く残る。佐々成政時代に構築された部分だろうか。道は一旦左に曲がり、更に右に曲がる。

ichijouji-jo-6961食い違い虎口の内部の土塁上から、二ノ丸方面を見返す。

ichijouji-jo-7008そしてダブル食い違い虎口を越えると、大きな切岸を登って、最長部の主郭へ。

ichijouji-jo-6970一乗寺城 主郭。大パノラマ!

ichijouji-jo-6967一乗寺城主郭からの眺望。眼下は全て山、平野部はかなり遠い。方角的には東、越中国内方面となる。対 加賀国向けの城なので、主郭背後は味方の地。

ichijouji-jo-7005主郭の奥には先ほど通ってきた道の行き着く先にある大手口があるという。特に降り道などは無いが、先人のトラロープが掛けてある部分があったのでそこから降りてみよう。

ichijouji-jo-6973主郭から一段降りてみる。帯曲輪的な場所。木々が伐採されよく整備されている。

ichijouji-jo-6974回り込んで主郭を下から見ようとしたがこちら側の斜面は草ぼうぼうで全く分からず。整備しないと、この城全体がこうなっていたということで、感謝。

ichijouji-jo-6977では主郭から更に奥へ降りてみよう。大量の笹が生えていたのを一気に整備したのだろう、地面には刈られた笹の葉が大量に落ちている。地面の凸凹に注意。

ichijouji-jo-6978斜面の左右にはこちらにも土塁。かなりの高さがある。

ichijouji-jo-6982土塁に囲まれた細い登城路を降りてきた。見上げてみるとこんな様相。こちらから入ってきた敵兵は真っ直ぐ進むしか無く、左右正面の土塁の奥からまさに狙い撃ち。

ichijouji-jo-6995土塁で複雑に構成された大手口方面。笹がスゴイ。元々は全く入ることも叶わないぐらい笹がビッシリ、だったのだろう。

ichijouji-jo-6996大手口方面。此処から先はあまり刈られておらず、降りたら戻れなさそうだったので、ここまで。

織豊期の遺構が色濃く残り、整備も進行中の 加賀越中 境目の城、一乗寺城。この後、説明板などが随所に立ち、図面などを掲載した案内板ができることを期待しよう。

訪問時期:2016年10月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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