狭山陣屋 : 小田原合戦後に赦免された北条氏が立藩した地。

狭山陣屋 (さやまじんや) は大阪南部の大阪狭山市に江戸時代にあった陣屋跡。狭山藩主は元関東の雄 北条氏。天正十八年(1590)、小田原合戦の敗戦で北条氏政ら主だった家中の者は切腹となったが、若き当主 氏直は高野山へ蟄居となった。翌年 赦免されるも病死 (享年30)、北条家の名跡や遺領は叔父の氏規を経てその子 (で氏直の養子の) 氏盛が引き継いだ。しばらくは大坂の北条屋敷で政務を執っていたが大坂夏ノ陣で屋敷が焼失。北条一族は本拠狭山へ移り、狭山池の畔に陣屋を築いた。以降 明治維新まで北条家が狭山藩を治めた。陣屋跡は住宅地となり遺構は残らないが、上屋敷跡近くに石碑があり、また上屋敷にあった陣屋大手門が本願寺堺別院に移築現存する。

<基本データ>
●名称:狭山陣屋 (Wikipedia)
●所在:大阪府大阪狭山市 (地図)
●城主:北条氏盛
●築城:慶長五年 (1600)
●遺構:陣屋大手門 (移築現存)

訪問時期:2016年4月


<訪問記>

sayama-jinya_01-9505狭山陣屋跡は、巨大ため池・狭山池の東畔にあったという。付近を歩いてみると、既に宅地化により当時の面影は全く残らないものの、跡地を示す説明板などが建っている。まずはこちら、巨大マンションの前に通る道路沿いに建つこの案内板。

sayama-jinya_02-9504狭山藩陣屋跡 説明板。狭山池の東畔に、北側に上屋敷、南側に下屋敷が築かれていた。狭山藩主となったのは、北条家5代当主(小田原合戦時の当主)だった北条氏直の叔父にあたる北条氏規の子、北条氏盛の時代。陣屋を築いたのは2代藩主 氏信、上屋敷は3代 氏宗の時代という。右に描かれているのは当時(江戸中期以降)の古絵図で、そこには目の前の道路も街道として描かれていることが分かる。

sayama-jinya_03-9506では上屋敷跡へ向かってみよう。遺構は残らないが現地の一部がミニ公園「ポケットパーク」になっていて石碑などがあるという。地図を見ながら北へ。途中「狭山計画」と書かれた看板のある家がすごい。奥の屋敷は古い蔵のような重厚さで、手前の建物はまさに長屋門そのまま。当時の武家屋敷か何か(のリフォーム)だろうか。詳細不明。最初はここが陣屋跡かと思ってしまった。

sayama-jinya_04-9508狭山計画の長屋門。門扉には八双に乳金物、出窓や勝手口もある。重厚な門構え。

sayama-jinya_05-9520そしてその長屋門の北側に、目指す石碑のある場所があった。土塀の裏は宅地で、写真に写っているまさにここだけ。

sayama-jinya_06-9519狭山藩陣屋跡 石碑。

sayama-jinya_07-9517現地にあった説明板。陣屋の上屋敷 (藩主の御殿) はこの地にある、とあるが、上の屋敷図を見ると今居るこの場所は「馬場」となっていて、陣屋はまさに土塀の奥、現在の宅地がある場所のようだ。元陣屋上屋敷の土地に住む人って、どういう出自の人なんだろうか。

以上で狭山陣屋跡の訪問はおしまい。ここ上屋敷の南端にあったという「陣屋大手門」が移築され本願寺堺別院に残っているが、北西に10kmほど離れているので南海電車と阪堺鉄道を乗り継いで行ってみる。その前にせっかく狭山まで来たので狭山池と郷土資料館へ行ってみよう。

sayama-jinya_08-9481狭山池のすぐ北側にある狭山池博物館。郷土資料館も兼ねている。開催中の特別展に注目。

sayama-jinya_09-9482狭山藩北条氏 特別展。これを見るついでに狭山陣屋跡を訪れた。

sayama-jinya_10-9497狭山池博物館へ。とてもきれいな建物。中は狭山池(日本最古の人工池)の歴史や発掘調査の結果などがメイン展示。それはそれで興味深い。

sayama-jinya_11-9492メイン目的はこちら、狭山藩北条氏 特別展。中は当然 撮影NGなので入口だけ。小田原北条氏五代の肖像画や書状、朱印状、旗指物や甲冑などがズラリ!だった。

sayama-jinya_12-9489入口に掲載されていた巨大案内。小田原北条五代と狭山北条十二代。狭山一万一千石の大名となった北条氏は当初 大坂久宝寺町にあった北条氏の屋敷で政務を執っていたが、その屋敷が大坂夏の陣に伴う戦火で焼失。その後 ここ狭山の地に陣屋を築いて移り住み、そのまま明治まで12代続いたという。

sayama-jinya_13-9561狭山藩北条氏 特別展の図録。立派な出来で見応え読み応え十分。

sayama-jinya_14-9465続いて狭山池へ。日本最古のため池、その歴史はなんと1400年。古事記や日本書紀にもその名が記され、築造時期は諸説あるものの4〜7世紀頃と言われる。地中からは626年に伐採された木材 (年輪年代測定で判明) で造られた樋管が出てきたり、奈良時代の731年に行基というお坊さんが修築した記録もある。1608年には豊臣秀頼の家臣 片桐且元も改修している。すごい。

sayama-jinya_15-9476狭山池 訪問時にたまたま来ていた、オランダの黄色い巨大アヒル。大阪では中之島やほたるまちでたまに見かける。

sayama-jinya_16-9525街を散策。歴史のある街 狭山にはいろんな史跡の説明板が多い。

sayama-jinya_17-9526各地から高野山まで伸びる街道。平野と高野山を結ぶ中高野街道、四天王寺と結ぶ下高野街道。狭山陣屋はこの街道の交わる要所に建っていた。

sayama-jinya_20-9534このあたりは古くからある寺社仏閣が多い。そのうちの一つ、善長寺。

sayama-jinya_21-9533善長寺 説明板。戦国時代、三好一族の菩提所として開基され、寺紋は三好家と同じ三階菱。上の山門の写真の丸瓦に注目。

そして、南海電車と阪堺電車(路面電車)を乗り継ぎ、堺市内にある本願寺堺別院へ。ここには上屋敷南端にあった狭山陣屋大手門が移築現存している。

sayama-jinya_22-9539本願寺堺別院 山門。かなり立派な山門と五本線の土塀。

sayama-jinya_23-9541本願寺堺別院 説明板。本堂や鐘楼などの説明、堺県庁跡の説明はあるものの、狭山陣屋の表門に関しては説明なし。右下の図面で「御成門」と書かれた建物が、旧陣屋大手門だ。

sayama-jinya_24-9546s明治4年(廃藩置県)から14年まで、ここ堺別院が堺県庁だったという。堺県は旧 和泉・河内・大和 (奈良!) を合わせた巨大な県だったという。

sayama-jinya_25-9542そしてこちらが本願寺堺別院 御成門、旧 狭山陣屋大手門だ。山門よりも更に重厚で、堅固な城門といった様相。

sayama-jinya_26-9545s旧 狭山陣屋大手門。奥には2階建ての鐘楼も見える。鐘楼の梵鐘は元和二年(1617)に大坂夏の陣からの復興を祈願して造られたものとか。

sayama-jinya_27-9552境内へ入って、陣屋表大手門を裏側から。なんと、荷物置き場になっていた。。。屋根があって雨ざらしにならないちょうどいい場所なのかもしれない。表側のあの重厚さは微塵も感じられない裏側。

sayama-jinya_28-9555荷物が見えない角度から、狭山陣屋大手門と奥の鐘楼 ツーショット。

sayama-jinya_29-9549本願寺堺別院 本堂。1825年築。

sayama-jinya_30-9558s再び外へ出て、狭山陣屋大手門。この存在感。

sayama-jinya_31-9559狭山陣屋大手門。よくぞ残してくれました。

sayama-jinya_32-9560s狭山陣屋大手門と、角の鐘楼。隅櫓にも見えてしまう、まるで平城だ。

小田原北条氏から狭山北条氏へ。大きな敗戦を乗り越え、わずか一万一千石とは言えこれだけの大手門を持つ陣屋を構え、明治まで生き延びた北条氏。小田原城を訪問した後はぜひこちらへも。

訪問時期:2016年4月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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