芳野城 : “宇陀三人衆”の一人 芳野氏の居城

芳野城 (ほうのじょう) は奈良県の北東部、宇陀市の山中に残る中世山城跡で、南伊勢の戦国大名 北畠氏に仕えた「宇陀三人衆」の一人として数えられる芳野氏の居城として知られる。芳野川に北部を守られた位置にある比高100mほどの小山で、山麓には慶長期に建立した桜葉神社がある。登山道は荒れ果てほぼ直登・直降となる。近くには居館跡と推定される下城もある。

<基本データ>
●名称:芳野城 (ほうのじょう)
●所在:奈良県宇陀市 (地図)
●城主:芳野氏
●築城:16世紀頃
●遺構:土塁、堀切、虎口跡?

訪問時期:2016年10月


<訪問記>

uda_houno-6422芳野城は、芳野川の中流域沿いの小山に位置する。赤い柵が囲む桜葉神社が目印。資料によってはこの桜葉神社の裏手から登城できる、とあったが、訪問時(2016年10月)には獣害避けの金網が厳重に巻かれており入口も無く、神社裏からの登城はできなかった。現地で地図とニラメッコし、川沿いに何本か架かる橋のところに柵の入口があることを発見、そこから登ることにした。

uda_houno-8326_map_optim戎光祥出版「近畿の城郭 I」p.215より引用加筆。右下が北。赤いルートで登城。倒木で荒れ果てた斜面をほぼ直登だった。地図を見る限りでは桜葉神社の裏手側からが一番登りやすそうではある。あるいは図の右下に山の先に突端のように描かれているところ(現場は墓地だった)から尾根沿いに登るのも出来そうだった。どちらにしろ、直登。

uda_houno-6425芳野川沿いに南下。見えている山の頂上付近が芳野城跡だ。

uda_houno-6426橋のところにある金網を開けて山中へ。この写真は柵の内側から撮ったもの。

uda_houno-6428直登だけでなく、大量の倒木・枯葉・枯れ枝などが散乱し、蜘蛛の巣も大量に張られていて、かなりキツイ登城だった。前日が雨で地面もグチャグチャ。途中休み休み、約30分の直登。

uda_houno-6432途中このような削平地っぽいところがあったが、城の遺構かどうかは分からない。こんなところに畑なぞ作らないとは思うが。

uda_houno-643830分の直登で、主郭へ到着。主郭は荒れ放題。説明板なども一切ない。かなり心が折れる。

uda_houno-6441縄張図を参考に、まずは城の北端部を目指す。先の縄張図のとおり、城は山頂部を北から南東に向けて、堀切で分断された幾つかの郭が連続する連郭式山城となっている。北へ進むと、荒れ放題だった本丸と違い、見やすくなってきた。本丸は何だったんだ。

uda_houno-6443縄張図には主郭虎口跡と書かれているあたり。写真では分かりづらいが、現物も薄くて分かりづらかった。中央の石があるあたり、やや道が折れ曲がるように土塁が配置されていた、ような感じがする。

uda_houno-6445主郭虎口を北側から。緑の石の左側を通って奥へ行く感じ。うーん。

uda_houno-6447更に奥(北)へ。堀切が見える。この堀切の向こう側が、通称 II郭、北の郭群。

uda_houno-6452北の堀切。左側が主郭側切岸、降りてみると、上から見るよりも高さが際立って見える。

uda_houno-6454北の堀切、北の郭群から。

uda_houno-6457北の郭より、やや離れて北の堀切越しに主郭を見る。主郭は北の郭群より一段高い。

uda_houno-6461北の郭 北端部にある虎口跡。資料にはここから幅2mほどの城道が延び、尾根や平坦地を経て山麓の桜葉神社へ至る、とある。桜葉神社の柵が越えられれば、ここから上がって降りるのが正規ルートのようだ。

uda_houno-6463北の郭 虎口跡を横から。かつてはもっと左右の土塁が高く、城の入口といった感がよりあっただろう。

uda_houno-6467では南東の郭群(通称 東城)へ向かおう。また主郭を通る。こんな有様。なぜ主郭だけ荒れ放題なんだ。

uda_houno-6468主郭南端へ。草ぼうぼうだが、急に崖が現れることが分かる。降りてみる。

uda_houno-6470主郭南の大堀切A。主郭の上からは(主郭全体が草ぼうぼうのため)大堀切を見下ろすことは出来ないが、斜面の途中まで降りてくるとこの通り、見事な堀切が現れる。

uda_houno-6472主郭南の大堀切。

uda_houno-6476主郭南の大堀切を堀底から。きれいなV字を描いている。あまり埋もれてもいなさそうだ。

uda_houno-6482主郭南の大堀切を越えて、III郭、東城へ。細長い郭で、途中 櫓台状の土塁や土壇が見られるという。目の前の向かって右側、木が多く生えているあたりが盛り上がっている。これが土壇か。

uda_houno-6488東城。郭面は見事に平坦化されており、斜面の角度がかなりあるので、柵で囲めば斜面から攻め上がるのはかなり厳しそうな印象だ。

uda_houno-6490東城 南東端の櫓台状の土塁。この奥には小さな堀切が縄張図には描かれていたが、見てもよく分からなかった。城内散策はここまで。

uda_houno-6496帰りは東城と主郭の間あたりの尾根筋を降りてみた。登りよりかは幾分マシだったが、降りた先が芳野川に阻まれ、橋が無く、結局 川沿いに平行移動して元来た橋のところまで移動せざるを得なかった。川沿いの平行移動もかなり大変だった。桜葉神社側から行けるものなら行くべき。

宇陀三人衆・秋山氏の宇陀松山城、沢氏の沢城、そして芳野氏の芳野城。彼らが与力として仕えた南伊勢 北畠氏の霧山城。テーマを決めてゆかりの地を訪ねる旅もまた面白い。

訪問時期:2016年10月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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