大和郡山城 [2013] 石垣積み直し工事前に訪れた際の天守台の姿。

大和郡山城 訪問記 おまけ。

2013年10月から3年半に渡って実施されている大和郡山城 天守台積み直し工事。2017年3月頃に工事完了の予定だが、工事が始まる前、まだ孕んだ石垣が露わになっていた頃に天守台の真下まで訪れた際の写真を幾つか公開します。

訪問時期:2013年10月
大和郡山城 訪問記 − 其の一工事前


<訪問記>

yamato_koriyama_old_01-dsc03723-s本丸の柳澤神社前よりスタート。神社本殿向かって右側の奥へ。

yamato_koriyama_old_02-dsc03726-s天守台に向かうまでの間に本丸東側には大きな門跡が残る。内濠の向こう側、毘沙門郭へと通じていた「極楽橋」が掛かっていた場所に残る「白澤門」跡だ。

yamato_koriyama_old_03-dsc03725s2白澤門跡 石碑と、巨石を積み上げた櫓門台。

yamato_koriyama_old_04-dsc03752-s奥へ向かうと天守台へ。天守台の見どころの一つに「さかさ地蔵」があるので、その看板も出ている。

yamato_koriyama_old_05-dsc03727-s天守台へ。天守台は、小天守が載っていた南側の低い台と、大天守が載っていた北側の高い台の二段構成になっている。こちらは南側の小天守台。かつてはこの小天守台の南側に埋門のような形で石段があり、石垣の中から小天守の中へ入る構造になっていた。今はその石段は埋められてしまっている。石段があったのは手前の長い辺の中央あたり、ちょうど草が上から降りてきているあたりかその奥あたり。

yamato_koriyama_old_06-dsc03728-s本丸から天守台奥へと通じる左右の通路上には「埋門跡」という石碑が立っていた。石垣で道を封鎖し、石垣に穴を開けた形の門があったそうだ。石垣に穴を開けたタイプの門のため、戦闘時には崩したり埋めたりして敵の動きを封じることが出来るため「埋門(うずみもん)」と呼ばれる。

yamato_koriyama_old_07-dsc03729-s天守台に沿って奥へ。こちらは低いほうが小天守台(の北東端)、奥の高い部分が大天守台となる。

yamato_koriyama_old_08-dsc03730-s訪問時、天守台は崩れかかっているとのことで立ち入り禁止だった。かつては登れたという。天守台へは石段が設けられているものの、これは廃城後の公園化(神社化)の際に天守台上端の石垣を崩して(!!)作った石段という。そのため郡山城の大天守台はオリジナルよりも何段か低くなっており、更にガタガタになっている。

yamato_koriyama_old_09-dsc03735-s大天守台北東端の隅石垣。下三段が黄色く、四角く、そしてほぞ穴的な加工も見られる。これは旧 平城宮の羅城門の礎石という。かなり格式の高い(?)転用石だ。

yamato_koriyama_old_10-dsc03731s-sさかさ地蔵 説明板。築城に際し近隣の寺や墓から石という石が運ばれてきた。その中には石地蔵もあり、菩薩像が逆さに積み込まれているという。この看板の横の五輪塔の裏の穴から覗き込むと逆さ地蔵様が拝める。なお墓石や地蔵などの転用石は大和郡山城に限った話ではなく、当時の築城ではよく見られた行為だった(信長の安土城や光秀の福知山城などが有名)。

yamato_koriyama_old_11-dsc03732-s天守台の前に置かれた五輪塔。その周りには転用石と思われる地蔵などが沢山並べられていた。さかさ地蔵はこの五輪塔の真裏の石の隙間から覗き込むと、奥の方に見える。

yamato_koriyama_old_12-dsc03737-s大天守台 北面。五輪塔の周囲には多くの石地蔵や五輪塔などが並ぶ。

yamato_koriyama_old_14-dsc03739-s大天守台 北西端。こちらの隅石もかなりの巨石が算木積みで積み上げられている。

yamato_koriyama_old_15-dsc03740-s大天守台 西面。

yamato_koriyama_old_16-dsc03742-s大天守台 南西端と、小天守台への接続部分。

yamato_koriyama_old_17-dsc03743-s小天守台の西側には、御厩向櫓が建っていた。内濠の向こう側は御厩郭だった。

yamato_koriyama_old_19-dsc03745-s小天守台 南西端へ。石垣が膨らんでいることが分かる。

yamato_koriyama_old_20-dsc03747-s小天守台 南西部分。隅部は矢穴も残りキレイに切り出した石材を算木積みで積み上げているが、中央部分は自然石をほぼそのまま積み上げた野面積みだ。

yamato_koriyama_old_21-dsc03748-s小天守台 南西側の出張った部分。横矢掛けか。

yamato_koriyama_old_23-dsc03750-s小天守台 南側へ。ぐるっと大小天守台の周囲を一周回ってきた。

yamato_koriyama_old_24-dsc03751-s天守台近くに建っていた巨大な石碑。漢文で書かれており、藩主の子孫 柳沢氏の文章のようだ。明治30年建立。

yamato_koriyama_old_25-dsc03741-s天守台のある場所から見た内濠の図。本丸石垣にはびっしりと草が生え、まったく見えない状態になっている。天守台の積み直し工事により、本丸周囲の石垣も草刈りなどいくらかの整備がなされていた。美しく生まれ変わる大和郡山城に期待したい。

訪問時期:2013年10月
撮影機器:SONY NEX-C3
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