大和郡山城 [3/5] 秀長時代の姿を推定して再建された追手門群へ。

大和郡山城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
鷺池南から南御門跡を通って、二ノ丸(現郡山高校)前を通って土橋から本丸へ。工事中の天守台を本丸裏から垣間見て、柳沢文庫のある毘沙門郭を越えて再建された追手門までやって来た。今回は、毘沙門郭の外周石垣を内濠越しに見てから、再建追手門群を見て回ります。

訪問時期:2016年5月 / 2013年10月
大和郡山城 訪問記 − 其の一工事前


<訪問記>

yamato_koriyama_061-2033s内濠(東)沿いに南へ。ふと振り返ると、復元三櫓が揃い踏み。左から、追手向櫓、その右側には追手門(櫓門)、右端が追手東隅櫓。昭和末期(58年〜62年頃)に市民の寄付で復元されたとか。正面奥の木々の向こうに見えている建物は旧図書館の城址会館。右側は現在は住宅街だが当時は「陣甫郭(じんぼくるわ)」と呼ばれていた。

yamato_koriyama_062-2031追手向櫓の勇姿。古写真や詳細図面等が無く、秀長当時の姿を想像しての再建とのことだが、十分かっこいい。

yamato_koriyama_063-2032天守ではないのだが、他に高い建物がほとんどないことから、現在の大和郡山城の顔にもなっている追手向櫓。

yamato_koriyama_064-2009では東内濠に沿って南下。濠の向こうには柳沢文庫があった毘沙門郭の外周石垣が見えるが、やはり草ぼうぼうでかろうじて石垣がある程度にしか見えない。

yamato_koriyama_065-2011毘沙門郭の南東端の石垣へ。

yamato_koriyama_066-2012毘沙門郭 南東端の石垣。角がびっしり揃って内濠の中からそびえ立つ印象。

yamato_koriyama_067-2028毘沙門郭 南東端の隅石垣をアップで。石垣は打込ハギで、隅部は算木積み(長辺と短辺が交互に積まれる)が施されている。

yamato_koriyama_068-2025sそのまま道に沿って南下すると、二ノ丸から城外へと出る位置にあった「鉄御門跡」へ。これは城の外側から内側に向かって見ている。

yamato_koriyama_069-2017鉄御門跡の石垣台。

yamato_koriyama_070-00_2026鉄御門跡の石垣台。外側は五軒屋敷池と呼ばれるが当時は中堀だろう。内濠東側のもう一重外側を守るエリア。

yamato_koriyama_070-01_03765-s2では再建追手門群を見に行こう。訪問時(2016年5月)はお祭りをしていてこのあたりは屋台が出て大混雑だったので、前回訪問時(2013年10月)の写真でご紹介。こちらは追手向櫓。追手門の向かい側にある櫓。

yamato_koriyama_070-02_03766-sこちらは追手門。当時の姿が分からないため、他の城郭の遺構や写真などを参考に、秀長時代を想定して設計、再建した。軒下の黄金の五七桐(豊臣家家紋)が輝いている。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-03_03768-s追手門と向櫓の間には、小さな薬医門型の説明板が建っている。再建時のもの。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-04_03767s-s郡山城ならびに追手門(梅林門)の由来 説明板。この位置の追手門は最初は天正十三年(1585)に秀長が築城した際に築かれたと思われるが、関ヶ原で西軍方だったため戦後に城は取り壊され、建物はすべて伏見城に移されたという。大坂の役後に、既に荒れ果てていた郡山城は再建され、再び家康の命で伏見城より諸門が戻された。その際この追手門も移された城門の一つで、当時は一庵丸門と呼ばれていたとか。その後 柳澤氏が城主となるとこの門は梅林門と名を変える。明治になり、城の建物は全て取り払われたが、昭和58年に第一次として追手門が復原された。その後、昭和62年までの期間で向櫓、東隅櫓、多門櫓などが次々と再建された。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-05_03769-s追手門を通って内側の虎口内より。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-06_03785-s追手門を正面一段高い「常磐郭」より見下ろす。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-07_03770-s追手門入って内枡形虎口を出るところあたりには「久護門趾」の石碑が建つ。枡形の出口の門ではなく、その脇の追手向櫓に入る郭の入口、か。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-08_03772-s久護門跡から広場を経て、追手向櫓とそれに連結する多門櫓へ向かう。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-09_03774-s追手向櫓 説明板。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-10_03775-s追手向櫓へと続く多門櫓へ行ってみると、現代アートのイベントをやっていたので中へ入ってみる。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-11_03777-s再建多門櫓内部。薄暗めのスポットライトで良い感じ。木造再建にようだ。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-12_03779-sしかし建物内では「現代アート」展をしていたので、各部屋にこのような展示が。不気味だし、とてもシュールで、意味がわからない。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-13_03780-s追手門から、追手向櫓を見る。コの字型に櫓が連結されている。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-14_03783-s追手門の奥、東隅櫓がある郭は「常磐郭」と呼ばれ、現在は城址会館と呼ばれる和洋折衷な印象の不思議な建物が建っている。明治41年に建てられた旧図書館で、昭和43年にこの地に移築された。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-15_03788-s城址会館の奥には、こちらも復原された追手東隅櫓。中ではこちらでも現代アート展をやっていたので入らず。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-16_03789-s追手東隅櫓 説明板。昭和59年の看板だが、かすれて読めない。古絵図には「今太鼓櫓」と書かれている時代もあるとか。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-17_03790-s追手東隅櫓から伸びる、こちらも復原された十九間多門櫓。十九間は約35m。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-19_03794-s追手東隅櫓は城域の北東端を守る要でもあったようで、高い石垣の上にそびえるように建っていた。今でも城下を見下ろしている。[2013年10月訪問時]

yamato_koriyama_070-20_03792-s追手東隅櫓あたりから追手向櫓を見返す。[2013年10月訪問時]

>> 大和郡山城 [4/5] へ続く。<<

訪問時期:2016年5月 / 2013年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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