大和郡山城 [2/5] 積み直し工事中の天守台石垣を神社本殿裏から見る。

大和郡山城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
二ノ丸南の鷺池から南御門跡を通って城内へ。松陰門を越えて本丸内濠沿いを東へ。本丸入口に当たる柳沢神社の大鳥居をくぐって竹林門跡から本丸内へ。今回は本丸奥から天守台の工事の様子を垣間見てから(天守台付近は2016年/平成28年度末まで立入禁止)柳沢文庫方面へと向かいます。

訪問時期:2016年5月 / 2013年10月
大和郡山城 訪問記 − 其の一工事前


<訪問記>

yamato_koriyama_032-1950大和郡山城 本丸跡に鎮座する柳沢神社。「祭神 旧 川越城主・甲府城主 柳澤美濃守吉保公」と彫られた大きな石碑が建っている。

yamato_koriyama_033-1951柳澤神社 本殿へ。石段は神社のもの。

yamato_koriyama_034-1961なかなかの迫力の狛犬様。犬というより獅子に近い御姿。

yamato_koriyama_035-1959本殿にお参りして、脇から奥へ。天守台付近は工事中のため立入禁止だが、脇の社奥から近くで見ることが出来る。

yamato_koriyama_036-1953小さな社の奥へ。

yamato_koriyama_037-1955積み直し工事中の大和郡山城 天守台。かつては草ぼうぼうで石もに苔が生えまくりだったが、この通りすべてキレイにされている。既に積み直し工事は完了済と思われる(撮影 平成28年5月)。

yamato_koriyama_038-1956積み直し工事中の大和郡山城 天守台。位置的に小天守台の南端に位置する。この上に小さな社がかつてあったが、そちらも撤去(あるいは一時移動?)されているようだ。

yamato_koriyama_039-1957小天守台の少し飛び出たところ。発掘調査で、この飛び出た部分のすぐ右側の凹んだところにかつては天守への入口があった(埋門的な構造)が、おそらく明治の公園化の際に埋められて代わりに石段が造られたという経緯がわかったそうだ。

yamato_koriyama_040-1965では天守台前から戻り、内濠を渡って東の柳沢文庫(史料館)方面へ行ってみよう。こちらは先ほど入ってきた竹林門跡。左側に進む道が見える。

yamato_koriyama_041-1967竹林門越えてすぐの、柳沢文庫方面へ向かうルート。当時もこの道があったかは怪しく、当時の古絵図を見ると内濠には木橋が架かっていたようだ。

yamato_koriyama_042-1969今はこのように小さな木戸が作られ、内濠の外側をグルっと周りながら向こう側へ抜けるような構造になっている。

yamato_koriyama_043-1971木戸前あたりから内濠を見る。奥の建物は柳沢文庫。内濠はかつては水堀だったが、今はこのとおり草むら。先ほど見た天守台の整備された状態との対比がスゴイ。工事が始まる前は、城内全体がこのような状態だった。

yamato_koriyama_044-1976内掘を分断する土橋の上から、竹林門の石垣台と先ほどの木戸を見返す、、、が、すごい草ぼうぼうでよく分からない。

yamato_koriyama_045-1974土橋の上から内濠を見下ろす。左側が本丸、右側が本丸の内濠を隔てて東隣にあたる「毘沙門郭跡」。この場所はきちんと石垣や堀底の草を整備すれば、非常に見栄えが良くなる場所だと思う。ただ残念ながらいつ来てもこの状態。現在進行中の天守台工事に伴い、このあたりも整備されることを強く期待していよう。

yamato_koriyama_046-1978内濠の現状。奥に行けば行くほど、大量の草に覆われて石垣全体が見えなくなってくる。

yamato_koriyama_047-1980土橋の外側も石垣造りなのだが、この光景。5月なので、真冬に来れば草も枯れて多少は見易いのかもしれない。

yamato_koriyama_048-1981内濠 東側と本丸石垣。

yamato_koriyama_049-1983かつて、内濠東側には本丸と毘沙門郭とを結ぶ一本の木橋が掛かっていた。その名も「極楽橋」。この位置がそうなのだが、草ぼうぼうすぎて、全く向こう側が見えない。本丸側の極楽橋跡には石垣で作られた櫓台がある(天守台工事期間中は立入禁止エリア内に位置するため訪問NG)。

yamato_koriyama_050-1985昔から建っている、夢の極楽橋を再現しよう看板。どういう活動をされているのか不明だが、せめて当時の姿を絵じゃなく目の前の現実の姿で想像できるよう、草刈りをして欲しい。

yamato_koriyama_051-1984看板に掲載されていた、当時の古絵図より、極楽橋。中央の内濠東側に架かる橋が極楽橋。今通ってきた土塁の上ルートは、かつては竹林門から続く多門櫓があった場所のようだ。そして現在 毘沙門郭と呼ばれている柳沢文庫がある郭は「二ノ丸」、現在 二ノ丸と呼ばれる郡山高校がある場所は別の名前が書かれている。

yamato_koriyama_052-2001s毘沙門郭にある、柳沢文庫へ。現在は江戸後半に城主を務めた柳澤家、および大和郡山城に関する史料が収められている。入館料300円。奥の大広間が展示室になっていて、季節替わりで興味深い企画展をいろいろやっている印象。

yamato_koriyama_053-1986s柳沢文庫。正面の車寄の柔らかい印象の屋根の角度が印象的。如何にも武家屋敷という印象のこの建物は、明治時代に建てられた旧藩主 柳澤氏の別邸(柳澤伯爵家)。

yamato_koriyama_054-1990柳沢文庫内は文化財が多く撮影NGのため、入口に置いてあった城の遺構を紹介。こちらは二ノ丸南東端に建っていた「砂子之間前櫓」の鯱瓦だとか。写っていないが左側にも対になるもう一体も現存している。

yamato_koriyama_055-1999柳沢文庫の建物の正面向かって左奥には、豊臣期に建てられた城郭によく見られる転用石のうち、珍しいものが見られる。こちらの石仏がそう。

yamato_koriyama_056-1998二面石仏について 説明板。鎌倉時代後期に作られたと推定されるこの石仏は、大和郡山城の築城に際して近隣より石垣にするため持ち込まれた。一つの石材の裏表に、亡者を導く十王の一人と、亡者を救う地蔵を彫り出しているという。

yamato_koriyama_057-1997こちらが十王側。閻魔様のような亡者を裁く姿。

yamato_koriyama_058-1995裏側は地蔵。頭部が残念ながら欠けてしまっている。左側手前には五輪塔の一部だろうか、梵字が彫られた直方体の石材と、奥には石鳥居の足の一部か、円筒形の石材が置いてある。すべて郡山城でかつて使われていた転用石だろう。

yamato_koriyama_059-2034s柳沢文庫から北へ。毘沙門郭を抜けると、巨大な石垣の上に復元された櫓と櫓門が見えてくる。こちらは追手門(正面の櫓門)、追手向櫓(左側の二層櫓)、追手東隅櫓(右奥に少し見える二層櫓)、およびそれらを連結する多門櫓。すべて復元。訪問日はちょうど門の前で屋台が出て何かのお祭りをしていたので、遠景のみ紹介。折角外側に出たので、このまま内濠に沿って南下し、毘沙門郭の外周石垣や門跡などを見に行ってみよう。

yamato_koriyama_060-2004門の前あたりにある郡山城跡 説明板。復元門の話が書かれていないので、その前の古い案内板か。門復元は昭和58〜62年。

>> 大和郡山城 [3/5] へ続く。<<

訪問時期:2016年5月 / 2013年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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